29、モモ、緊急事態に慌てる~ピンチは忘れなくてもやってきた~

 この世界にやってきて計5日が過ぎた今日この頃、いよいよお城に行く日がやってまいりました! 今日までは、バル様がお仕事の時間帯はお屋敷でカイといい子に過ごし、夜は恥ずかしながら五歳児精神に喚かれて添い寝をお願いしていた。疲れてるのに、ごめんよ。


 それで昨日はお城用の正装を整えると言われて、バル様が本当にお屋敷に衣装屋さんを呼びつけたのでびっくりした。


 煌びやかな幼児用ドレスを見せられてあたふたしてたら、レリーナさん達メイド組が嬉々として参戦して、モデルさんばりに着せ替えショーをやることになった。着られればなんでも良い派の桃子にとっては大変なお仕事だった。


 何でもいいよぅ。全部綺麗だよぅ。もったいないよぅ。最後はこの三つを繰り返していた気がする。お姫様って大変だ。綺麗な裏には多大なる努力があることを知ってしまった。


 私が犬だったら、間違いなく舌を出して床に伸びてたね。うへぇ、誰か水を、水を下さいっ。って感じで。ぴくぴく痙攣しながら訴えていたと思う。はっ! それってつまり死にかけてたってこと? きっとそうだ!


 今考えても過酷な状況だったとしみじみ振り返ってみる。そんな困難を乗り越えて迎えた本日、桃子は髪を整えられて、目の覚めるような青色のお子様ドレスを着ていた。手触りはすべらかで、これも大変お高い匂いがする。背中が丸出しで胸元できゅっと絞りが入っていた。


 ワンピースのようなドレスにはふくらみがなく、上からすっぽり着られるのがいい。ただ、翡翠の首飾りがものすごく重い。実際は繊細な作りで重さはほとんどないんだけど、お値段が気になって重い。……気にしちゃ駄目だよ! と桃子は自分に言い聞かせる。

 

 バル様も素敵な正装姿だ。白いシャツと身体にぴったり合うように黒の上着を身に着けている。袖と襟になされた金糸の刺繍がお洒落さんだ。前髪を軽く上げて後ろに流しているので、いつもより涼し気な目元がよく見える。ごつくはないけど運動をする人の引き締まった体型だから、すごく似合う。思わず見惚れてしまった。


「……なんだ?」


「バル様、すっごく格好いい」


「…………そうか」


 返事の間が長くなったのは照れたからかな? 表情は変わりないけど、そうだったらギャップに萌えるね!


「モモのドレスもお似合いですよ。頬が美味しそうに色づいていますね」


「齧りたくなっちゃうな。さぁ、時間だ。オレ達は護衛で外に付くから、モモはバルクライ様と一緒に馬車に乗るんだよ?」


「はーい」


 五歳児らしく、いい子の返事を返した時、慌てた様子で騎士団の服を着た男の人が飛び込んできた。


「だ、団長、大変です! 国王様が毒を盛られて重体と連絡が!」


「なんだと?」


 バル様の目が鋭く尖る。じわりと圧力がかけられた感覚がして、寒気が走った。国王様ってバル様のお父さんだよ。大変な事態だ。


「ジュノラス様からの伝令で、至急城に登城せよとのこと!」


「……わかった。キルマとカイは騎士団に戻り、内部の動揺を抑えろ。民衆まで話が広がらないように至急手を打て!」


「わかりました!」


「団長、モモはどうしますか?」


「私のことなら心配しないで。バル様が帰ってくるまで部屋に篭ってればいいよね?」


 こんな大変な時に、私が足を引っ張るわけにはいかないもん。隠れていれば大丈夫なはず。バル様を見上げて自分の意思を伝えると、バル様は一瞬迷うように目を伏せた。そして、はっきりと告げる。


「……そうしてくれ。オレ達が帰ってくるまで、部屋から出てはいけない。何かあればメイドに言うんだ。いいな?」


「うん! 皆、気をつけてね」


「あぁ。行くぞ!」


「はいっ」


「はっ」


 バル様達が騎士団の人を引き連れて屋敷を飛び出していく。桃子は自室に向かいながらバル様達と国王様が無事であることを一生懸命願う。神様、神様、お願いします。バル様達を助けてください!


「モモ様、顔色が悪いです。大丈夫ですよ、あの方達は優秀な騎士なのですから」


「うん……」


 まさかそんなことが起こるなんて思ってもみなかった。毒殺なんていう、恐ろしいことが起こる世界なんだと改めて異世界の認識を強く持つ。桃子は震える手をぎゅっと強く握りしめた。バル様達が見えない敵に向けて戦いに向かったんだから、桃子だって怖がって負けたくない。


 強い気持ちで廊下を進むと、レリーナさんがドアを開けてくれた。


「落ち着くためにお茶の用意をいたしますね。少々お待ちください」


「レリーナさんも一緒に飲んでくれる?」


「……えぇ。今回だけご相伴に預からせて頂きますね。バルクライ様にはご内密にお願いします」


「約束するよ!」


 悪戯な目でレリーナさんが微笑んでくれたので、桃子は逃げ出した元気を再び捕まえる。ベッドに腰掛けて、大人しく待っていると、コンコンと扉をノックされた。なんだろう?


「どーぞー」


 桃子が返事をすると、しずしずとメイドさんが入って来た。でも、なにか違和感がある。五日でだいたいの人は覚えたのに、この美人さんは見たことがないような……? そう思った時には、メイドさんに口を押えられて無理やり抱き上げられていた。固い胸板が背中に当たる。この人、男だ!


「むーっ、うむーっ!」


「静かにしろ。お前が騒げばこの屋敷の者を殺さねばならなくなる」


「む……」


 冷酷な声が囁く。それは駄目だ。桃子に優しくしてくれた人達に怪我をさせたくはない。けれど、かといってこのまま黙って攫われるわけにもいかなかった。バル様に、この部屋で待つと約束したのだから。


 桃子は思い切って男の手を噛んだ。口の中にじわりと血の味が滲む。うえぇっ、気持ち悪い。でも、ガジガジ噛みます。このっ、このっ。


「無駄だ。たとえ指を食いちぎられようと離さない」


 予定では痛みで手を離してもらうはずだったんだけど、上手くいかなかった。男は痛みを感じていないのか平然としている。冷えた水色の目が、桃子を無感動に見下ろしていた。もしかして、人攫いを専門にしてる人? 指も鍛えてる?


「うむぐぐぐっ」


「反抗的な態度はお前のためにならない。大人しくしていろ」


 男は桃子を抱えたまま、軽やかな身のこなしで窓から外に出ると一気に走り出した。

 庭にいたメイドさんと目が合い、叫び声が上がる。


「モモ様!? ロンさん、外に曲者が!」


「──待ちなさいっ!!」


「モモ様を離しなさい!」


 ロンさんとレリーナさんの大声が足音と一緒に後ろから聞こえる。けれど、男の方が上手だった。門の外の通りに出ると、手綱を握っていた子供を突き飛ばして、桃子を抱えたまま馬に乗り上げる。そして、手綱を手慣れた様子でさばく。


 馬は大きな嘶きを上げて、街中を走り出す。


「ロンさーん、レリーナさーん!!」


 男の身体が邪魔で、二人の姿が見えない。必死に声を上げるものの、男に布で口元を押さえられてくらりと視界が揺れた。なにこれ!? 変な匂いで、意識、が……。


 駄目だとわかっているのに、意識が遠くなっていく。桃子は必死に呼吸を止めた。けれど、いつまでも止められなくて、少し吸った瞬間に、目の前が真っ暗になった。

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