22、バルクライ、幼女の先行きを案じる
* * * * * *
「……大丈夫か?」
「うぅぅ、目が回ってる。気持ち悪いよぅ」
五歳児に戻ったことを喜んでいたモモは今、ソファに横たわっている。身体の上にはバルクライの外套をかぶせているが、当然その下は全裸である。
着替えはダレジャに頼んだものの、おそらく用意にはしばらくかかるだろう。バルクライにもよく尽くしてくれる男なだけに、必要以上に上等な物を用意しようとするはずだ。……奥方が適当なところで止めてくれることを願う。
先ほどは動揺した。突然、モモの眉が下がり、涙目で口元を押さえたのだ。大量のセージを与えたのが良くなかったらしい。
「あなた、大盤振る舞いし過ぎよ。そんなに多くのセージを与えちゃ身体に悪いわ。その子にセージを与える時は、撫でたり抱っこしたりする時にちょっとずつ与えるようになさい。毎日与えていれば、少しずつ身体が慣れていくはずよ」
「神様、もっと大きくはなれますか?」
「あら、神様なんて総称美しくないわ。あたくしは名前を気に入ってるの。気軽にアデーナと呼んでちょうだい?」
「はい、アデーナ様!」
「素直なのはいいことよ。通常と同じ速度で成長することは可能でしょうけど、年齢を一気に上げたいとなると今の状態では難しいでしょうねぇ。底に穴の開いた桶にいくら水を注いだところで抜けて行っちゃうでしょ? それと同じよ。セージを渡さないままだと、今の年齢をキープ出来るのは三日が限度でしょうねぇ」
バルクライは師団長の役職柄、常に最悪を予想する性分が身についている。だから、モモのことも気がかりで念を入れて尋ねる。
「もし、そのままモモにセージを渡せなければどうなる?」
「三日は赤ちゃんのままで、後はたぶん死んじゃうわね」
「私、死んじゃうの!?」
「えぇ」
「いや、オレ達が死なせないから! そうですよね、団長」
「あぁ。対策を考える」
カイの言う通りだ。バルクライは横になったモモを見下ろす。絶対に死なせない。この幼女が呼吸を止め、瞼を閉じたまま二度と開かない……それを想像するだけで、ごわごわした布で心臓を撫でられた気分になった。とても不愉快な感覚だ。
微笑む女神に僅かな苛立ちが募る。笑っている場合ではないと言いたいが、さすがに不敬なため口は噤む。この女神とはどうも合わないようだ。
「心強い味方がいるようだし、そうそう死ぬことはないでしょ。んっふふ、あなたの丸い目はとても澄んでいるのね。黒って地味だと思ってたけど、こう見ると意外と素敵ねぇ」
モモの両頬が女神の手に囚われる。その手触りが気に入ったのか、ふよんふよんと揉まれている。……すり減らないか?
「まぁ! 不思議な手触りだわ。弾力があるのに柔らかいし、気持ちいい手触りね。ちょっとこれ、癖になりそうよ!」
興奮している女神にバルクライはなんとなく苛立った。モモにいつまでも触れているのも気になる。
女神と目が合う。すると、彼女はモモの頬から手を離して、バルクライに甘くほほ笑みかけてきた。
「バルクライ、そんな怖い目をしないで? あたくしはモモを害するものではないわ。それとも女のあたくしに嫉妬するほど、愛が深いのかしらねぇ?」
「あ、あ、あ、愛!? バルクライ様、違いますわよね!?」
「お嬢様、落ち着いて。団長も早く否定してくださいよ!」
大人しく座っていたミラがいきり立ち、顔色を変えてバルクライに詰め寄ってくる。それをカイが宥めにかかった。
言われた言葉を考えてみるが、特にこれというものは浮かばなかった。モモになにかを感じているのは間違いないが、それが愛かと問われると、よくわからない。元は十六歳と言えども、今は五歳児、時々一歳児だ。男はその相手に恋愛感情を抱くものか? その場合、愛は愛でも親子愛になるのでは?
今理解しているのは、幼女の百面相が見飽きないということと、自分以外の誰かがモモに触れるのがなんとなく気になる。それだけだ。だから、この場合の答えは──。
「…………違う」
はずだ。
「その間はなんですのぉ!?」
「ちょっ、団長、なんでそこで正直に!?」
ミラの激しい突っ込みに一瞥をやると、怯んだ。ただ見ただけなのだが。彼女のことは苦手だが、別に嫌ってはいない。押しの強さと我儘な部分が目に余っていたが、女神に叱られて少しは懲りたようだ。
女神が慈愛に満ちた目で自分が加護を与えている子供を見下ろす。
「ミラ、愛の前には年齢なんて些細なことなのよ?」
モモがどう思ったのかが気になる。ちらりと視線を向けると、はにかまれた。柔らかな頬が照れて赤くなっている。なんとなく抱きしめたくなったので、外套ごとだっこした。この重さに慣れて来たので、腕にあると気持ちが落ち着く。
「違うと言った」
「団長、モモをだっこしながら言っても説得力ないですよ……」
「ふふふ、あぁ、そろそろあたくしは戻るわ。神が一所に留まるのはよくないもの」
女神はふわりと空中に浮かぶ。その姿に神々しい輝きが天井から差し込む。これは女神が自分でしている演出なのか? その美貌に星が飛ぶのをミラがうっとりと憧れるように見つめている。モモは目を丸くして素直に驚いているようだ。……目が乾くぞ?
「お応えくださり、ありがとうございました」
「アデーナ様、ありがとうございました!」
「団長のご無礼を寛大なお心でお許しくださり、ありがとうございます」
確かに助かった部分はある。バルクライも女神を見上げて礼を述べておく。
「……助かった」
「あたくしの助けが欲しい時は、ミラを通してなら応じるわよ。ただし、あたくしの手が空いている時だけね?」
美の女神は言いたいことだけを言うと紫のスパークと共に一瞬でその場から消える。最後まで自由気ままな神だ。
緊張の面持ちで成り行きを見守っていたカイの肩からようやく力が抜けた。
「バルクライ様、勘弁してくださいよ。神に喧嘩売るつもりですか?」
「そんなつもりはなかったが」
「まったく、変なとこで素直なんですから……」
呆れたようにため息をつかれたが、何故だ? ただ、あの女神とはあまり頻繁には会いたいとは思わない。
「あの、バルクライ様はモモのような子供がお好きなんですの?」
「嫌いではない」
どちらかと言えば好感は持っている。素直で健気な子だと思う。この世界に望まずして来てしまったというのに、モモは一言もバルクライ達を責めなかった。彼女は自分が感じている寂しさに気づいていない。
それはおそらく、モモから聞いた幼少期に関係しているのだろう。両親が自分を心配しないと当たり前のように言ったことからも、どんな状況で育って来たのか十分察せられる。我慢と諦めを知っている彼女は、無意識に不安や寂しさという人間にとって負の感情を押し殺してしまっているのだ。
バルクライはモモの寂しさを埋めてやりたかった。
「で、では、わたくしのことは……」
「嫌いではない」
「そ、そうですのっ!」
嬉しそうなミラから目を逸らす。見下ろしたモモも、なにが楽しいのか、機嫌がよさそうににこにこしている。
だが、もしあの時、モモが叩かれていたら、バルクライは自分がどうしていたか予測出来なかった。
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