2、モモ、美声に酔う~絵本を朗読してくれたらよく眠れそう~

 ひっくひっくとしゃくり上げながら、桃子は小さな掌で、もっちりした頬をこすっていた。泣きすぎて目が痛いのに、本能が泣けと叫ぶので涙が止まらないのだ。この洪水を誰か止めて! 舞台女優のように叫びたい。


「そんなに擦るな。目玉が傷つくぞ」


 泣き喚く幼女に周りが慌てる中、殿下と呼ばれた美形さんはため息をつきながら、桃子をひょいっと抱き上げてくれた。親も含んで覚えのない距離に、おぉぅと声が出かける。ごめん、世の中の幼女に夢見る人達。幼女の口から出る言葉じゃないね、これ。


 十六歳の桃子は案外呑気なもので、泣きながらも半分は冷静だったりする。へんてこな気分だ。高校生と幼女が溶けあって一つの身体に同居してると言えばいいのだろうか。お刺身にはわさびをつける派なのに、今の身体じゃ食べられないかもしれない。


 冷静な部分がのほほんとしてると、美形さんが緩く眉をひそめた。


「随分と冷えているな。カイ、外套を」


「気が利かずに申し訳ありません。どうぞ、お姫様」


 夜の街が似合いそうな人が即座に自分の外套を外すと、桃子にかけてくれる。これまた美麗なホスト顔がにっこりと笑いかけてくる。


 その近さに思わず自分を抱く美形さんにしがみつくと、その袖から覗く腕には十分な筋肉がついているのが目に入った。けしてごつくは見えないのに、近づくとよくわかる! 実は鍛えている人だ。いい筋肉ですねぇ。その肉体には、敬語で敬意を表したい。


 桃子は慣れない距離に照れもあり、二人の男を見上げてきょときょと目を動かした。そんな綺麗な目で見つめられると照れる。盛大に照れる。


「うぅぅぅ……っ」


「下がれ。また泣かれては困る」


 美形さんが命じると、カイと呼ばれた男は桃子にぱちんときれいなウインクをして少し離れてくれた。それにほっとして、外套で身体を包むようにしてくれた美形さんを見上げれば、黒曜石のような双眼が緩む。


 僅かに上がる口端を見れば、彫刻のような美丈夫に、人間の温かみが生まれた。ものすごく目の保養だ。こんな美しい人がいたなんて本当にびっくり! 鬼瓦と見まがった相貌を忘れて、思わず見とれちゃうの。


「小柄ではあるが、年は、五つほどか? こんな幼子を誤って召喚してしまうとは……」


「バルクライ様、オレ達だけでは手に余るのでは? 子供なら女に任せたほうがいいんじゃないですかねぇ」


「まずは落ち着かせて話を聞き出す。この幼子にどこまで通じるかはわからないが」


「では、バルクライ様のお屋敷に移動しましょう。幼子ですから、けして手荒に扱ってはいけませんよ? そーっと、そーっと、にゃんこに触れるようにですよ?」


「わかっている」


 美人さんに注意されて、腕の力が緩んだ。そっと優しく左腕でお尻を支えられて、少しはだけた胸元に慌てて捕まる。厚い胸筋にずいぶんと小さくなってしまった手で触れると、どきっとした。


 美形さん達のやり取りを聞いて慌てたのか、神官が頭に汗を浮かべながらまろび寄る。


「間違いなどと、そんなはずはございません! 幼子といえども、育てば軍神になるのでは? なれば、我らが国の戦力にもなり得ましょうぞ」


「軍神がこんな幼子のわけがあるか! 貴様は大神官でありながら、悪魔に魂を売ったのか? 親元を無理やり離され泣いているこんな幼子を前に、なぜそんな非道なことが言える。もしこの子が自分の子供や孫だったとしても、同じことが言えるのか?」


「いえ、その、私はこの国を思いまして、他国を牽制する戦力としての…………」


「黙れ、痴れ者が。この子供はオレが連れていく。この子に対し、神殿は一切の手出しを禁じる。軍神の召喚も今後一切許さん」


「そんな、殿下! どうか、どうかお許しください。次こそは必ずこの国の守り神である軍神ガデス様を召喚してみせます! どうかお許しを!」


「くどいっ!!」


 美形さんは一喝すると、鋭い眼光で大神官を黙らせる。その気迫に気おされたのは大神官だけではなかった。


 桃子も思わずびくりと震えて、自然と水たまりのような涙が浮かんでくる。今のは純粋に怖かった。幼い精神が泣け、今泣け! と喚きたてている。どうにも涙腺の制御が利かなくて困っちゃうよ。


「バルクライ様! 怯えさせてどうするんですかっ」


「すまん、驚かせたな。お前に怒ったのではない。……いい子だから、な」


 身体を抱き上げられて、あやすようにゆるゆると揺らされる。その腕はどこまでも優しいものだった。安心したら、思わずぽろりと涙が落ちた。頬を伝う涙を男は唇で受け止めて、囁く。


「泣くな。オレが後見人だ。親元から離してしまった償いをさせてくれ。ここに召喚してしまった責任は負う。だから、何も怖がることはない」


 甘やかで安心できる声にあやされると、とろとろと眠気がやってくる。ダメなの、そんないい声で囁かれたら────ぐぅ。

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