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『八月二十二日夜遅く、市内山中のキャンプ場にて火事がありました。焼け跡からは五人の遺体が見つかり、一人が意識不明の重体です。

 通報があったのは、午後二十三時半過ぎ。市民から「山が燃えている」と119番に連絡がありました。消防が出動し、火は約二時間後に消し止められましたが、キャンプ場内のコテージは全焼。出火当時、コテージには団体利用客がいたとのことで、警察は遺体の身元の確認を急ぎ、出火原因などを詳しく調べています』




 十年前、六人の命を奪うことになった火事。

 その出火原因は不明なままだ。火元になったのはコテージ内の台所で、でも夜遅くに誰が火を使っているはずもない。

 だから当時、放火の可能性が囁かれたのも事実だ。

 けど、警察の捜査にもかかわらず真相は判明しないままで、生き残った僕たちはそれぞれの現実を生きて行かなければならなかった。

 火事の真実を知りたいと思っても、そんな余裕がなかったんだ。

 でも静葉は、今それと向き合う気になったのだと言う。




             ※




 住宅街の裏路地にある小さなカフェは、古い木のドアと中の見えないステンドグラスで、中に入るのに勇気が要る作りになっている。

 そこが店だとわかるのは、かろうじて小さな植木鉢の中に「COFFEE×CAKE」といういろせた木の看板が挿してあるからだ。

 僕は薄暗い店内に入ると、華やかな光がテーブルに落ちる窓際の席を選ぶ。

 アンティークな内装に視線を奪われていた静葉は、僕が椅子を引いたのに気づくと、あわてて追いかけてきた。


「良くん、大人っぽいお店知ってるんですね」

「あんまり人が来ないから、込み入った話をするのにいいんだ」


 と言っても、ここに人を連れてきたのは初めてだ。なんかこう……を張ってしまった感があって、後から恥ずかしい。彼女の向けてくる視線が純粋な尊敬に似てたりするから、もう潔く早退したい。

 僕は改めて、向かいに座った彼女を見つめる。

 ステンドグラスの光を受けて、目を伏せる彼女は一枚の絵画みたいだ。

 どことなく物憂げで、静謐で、ただ綺麗だ。白状すると、この店のこの席に静葉が座ったらきっと似合うだろうなんて想像は、今まで何度もした。

 そして実物の彼女は、その想像以上だ。

 僕のしつけな視線に気づかない静葉は、古びたメニューを手に取った。


「お勧めはありますか?」

「実はドリップコーヒーしか飲んだことがない。甘いのがいいならホットチョコレートがあるよ」

「梅ちやは?」

「え、何それ……そんなメニューあったんだ……頼んでみるか」

「カフェラテにします。良くんは梅昆布茶でいいですか」

「何のわなだ」


 静葉はふっと笑ってメニューを閉じる。そうして視線がテーブルに落ちると、彼女が何を考えているのか途端にわからなくなった。そして僕は、彼女の感情がわからないことに安心する。


 ──僕が女子を苦手に思っているのは、十年前の彼女とのことが原因だ。


 あの時、彼女を綺麗だと思ってしまった、それと同じ愚かさを二度と繰り返したくないと思ったからだ。幸い、あれ以来静葉以外の女子に対して何かを思ったことはない。ただ性別問わず「みんな幸せであれ」と願っているだけだ。

 だから──何も考えないように、感じないように。

 彼女には見えない一線を引く。

 そしてそこから、彼女の手助けをする。

 でもそれが、十年前の火事の真相究明っていうのは、さすがに意表をつかれた。

 老店主に注文を済ませると、僕は改めてさっきの「お願い」について話を戻す。


「犯人って言ってたけど、それはあの火事を放火だと思ってるってこと?」

「火元は台所でしょう? そこにある雑誌束が燃えたって調査結果が出てますけど、台所に雑誌なんてありませんでした。私、夕飯の片付けした時に見ましたし」

「誰かがその後に運び入れたのかもしれない」

「誰かって誰ですか? 放火の犯人?」

「…………」


 彼女の言い分はわかる。夕食の片付けが終わった後、キッチンは使われないままだった。そこに雑誌の束を持ちこんで、誰が何をしようというのか。

 無言の僕に、静葉は畳みかける。


「それに、あのキッチンは勝手口がありました。ならそこから誰か入りこむこともできたんじゃないでしょうか。勝手口に鍵はかかってなかったそうですし」

「よく調べてるね」

「この間、火災調査書類の出火原因を開示してもらったんです。許可が下りたのは一部だけでしたけど」


 静葉はバッグの中からプリントの束を取り出した。どうやら昼間、階段を落ちそうになったのは、このプリントが原因らしい。僕はそれを受け取って、ざっと目を通す。調査書にはキャンプや被害者家族について触れられている部分はない。あくまで火災についての報告書だ。部分部分が黒塗りで消されている書類を、僕は静葉に返した。


「すごいけど、ここに載ってるようなことは警察も知ってたはずだ。でも犯人が捕まってないってことは、僕らにできることはないんじゃないか?」

「良くんは気にならないんですか?」

「知ってどうする? 過去が変えられるわけじゃないんだ」


 そんなことより、彼女にはもっと幸せであって欲しい。

 過去の降り積もる砂場で砂を搔き続けるなんて、ただ不毛なだけだ。

 僕の答えに、静葉は押し黙る。そこでちょうど二人分のカップが運ばれてきた。僕はドリップを、静葉はカフェラテを受け取る。行儀よく「ありがとうございます」と老店主に返す彼女に、僕は目を細めた。

 そうしてまた、光の落ちるテーブルは二人に戻る。

 燻る香りは、少しだけ僕たちが過ごした十年間に似ていた。

 静葉は宙を見上げるように、僕を見る。


「良くん、私は……犯人を知ってるかもしれないんです」

「え?」


 なんだそれ。そんな話、僕は知らない。

 驚く僕に、静葉はすっと一通の封書を差し出した。見ると宛先は静葉だ。住所は彼女が住んでいた遠い県になっている。裏返すと差出人はない。

 静葉は美しい眉を寄せて、軽く身を乗り出した。


「良くん、今どんな顔をしてますか? 何を思ってます?」

「何って……」


 乗り出された分、反射的に体を引いてしまった僕は、けどすぐにその問いの意味を理解した。彼女は、僕の表情がわからないから不安なんだろう。他の人間の前では我慢していても、手札を開示した相手には耐えきれなかったのかもしれない。

 僕は顔の苦さを隠さず答える。


「驚いてる。あとちょっと引いてる」

「引いてるって……なにが駄目でした……?」

「急にそんなこと聞かれたから。でも理由を理解したから自己解決した。大丈夫」


 静葉が自己嫌悪に陥る前にフォローを入れる。今回はちゃんと間に合ったみたいだ。彼女はほっと肩の力を抜いた。


「それが私のところに届いたんです」

「……手紙か」


 消印は二か月前になってる。差出人の名前はないが、消印に記されているのはこの街の名だ。僕ははさみで端が切られた封筒を、顔の前で裏返す。


「読んでもいい?」

「お願いします」


 許可をとって中の便箋を引き出した僕は、それを開いてすぐ息をのんだ。

 線もなにもない、ただの白い紙に文章をプリントしただけの手紙。

 そこには素っ気ないフォントで、一文だけ書かれていた。



『あの火事のことを調べるな』



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