22話 星空


 「文化祭で見た映画のポスター覚えてる?」


 夕陽はもう沈みかけている。類香は煌めきを失った川面を見た。


「うん」


 和乃は泣いて少し赤くなった頬を緩ませる。


「あれね……あの、映画の俳優……」


 和乃は類香の次の言葉を待っている。それが痛みのように胸を圧し潰し、類香はぐっとこぶしを握った。舌に針が刺さったようにピリピリとした刺激が走る。


「あれ、私の……わ、私の、両親なの」


 類香が意を決して伝えた真実に和乃は唇から力が抜けて微かに口を開いた。恐らく情報を頭の中で整理しているのだろう。交通整備を終えた和乃の目がどんどん開いていく。


「え……? それって……」


 類香を真っ直ぐに見ている和乃の表情から体温が引いた。


「お母さんに聞いたんだけど……あの、あの人たちって……」

「……うん。自殺してる」

「…………!」


 和乃は絵に描いたように絶句した。類香はその正直な反応に感謝すら覚える。変に気を遣われるのも困るからだ。


「だから私は、二人に会った記憶はないんだけど、確かにそうなんだって」

「…………」


 和乃はまだ何も言えないようだ。類香はそのまま話を続ける。


「昔は、お婆ちゃんたちと一緒に住んでたんだけど、私のせいで、皆悲しくなっちゃうから、楓花さんっていう叔母さんと一緒に今は暮らしてる。私、昔から周りの人を悲しませるのが得意みたいで、私のせいにされるのも嫌で、一人でいることにした」


 類香は大嫌いな自分の白い掌を見る。


「その方が楽だし、それがいいんだって。私はそう思ってる。私は両親のことを誰よりも知らない。あの映画も最後まで見れたことがないの。他人にしか見えないし。だけど、きっと二人を追い込んだのも自分なの。私がいなければ、二人はまだこの世界にいた。楓花さんは違うよって言ってくれるけど、それは違う。誰がどう見たって、きっかけは私。私が不幸にした。だから、私は幸せを求めちゃいけないんだよ。瀬名類香は、あの人たちの幸せすら奪ったんだから」


 類香は顔を上げた。周りにはもう誰もいなくなっている。隣に和乃がいるだけだ。


「私は両親に望まれる瀬名類香になった。あの人たちの望まなかった、“普通の幸せ”は相応しくない。周りも巻き込みたくない。だから、一人がいいの」


 類香はそこまで言い切ると和乃を見た。赤い目でまた泣きそうな顔をしている。


(和乃が泣かなくてもいいのに。……ごめん。やっぱり話すべきじゃなかった)


 類香は謝ろうと口を開いた。しかし和乃に先を越されてしまった。


「類香ちゃんは、自分のせいだと思ってるの?」

「…………うん」

「私、私も類香ちゃんのご両親のことは映画の中でしか知らないよ。だけど、私は、類香ちゃんは悪くないと思う」

「……和乃?」


 和乃の類香を見つめる瞳は精悍で、それでいて優しかった。


「類香ちゃんは、幸せって、なんだと思う?」

「……え?」


 類香は思いがけない問いにきょとんとした顔をする。


「幸せって、形がないでしょう? どんな姿にも変わる。見る人によっても全然違うし、きっと、この世で一番共有が難しいことだと思う。数えきれないほどの幸せの姿があるから」


 和乃は、ふふふと笑った。無邪気なその笑顔が類香の瞳に焼き付いた。


「類香ちゃん、幸せを型にはめなくてもいいんだよ。類香ちゃんは、自分の幸せを求めて、いいんだよ。誰にもそこは手出しできない。周りがどう思おうと、類香ちゃんは、悪くない。類香ちゃんは、そのままでいいの。不器用で、ほんの少し素直じゃない時もあるけど、照れ屋さんで、呆れた顔してても、結局は優しくて、人のことを考えてくれてる。私、そんな類香ちゃんが好き。ご両親に感謝したい。類香ちゃんに出会わせてくれてありがとうって。類香ちゃんはこれまで、自分を隠してたくさんの人のことを考えてきたんだもの。類香ちゃんは本当に、とっても優しい! 類香ちゃん、そんなに自分を責めなくていいんだよ。類香ちゃんの幸せは、他の誰のものでもないでしょう?」


 和乃はそこまで言うと吸い込まれるようにして空を見上げた。


「あ、見て!」


 言われた通り、類香は空を見上げる。そこにはもう星が見えてきていた。


「綺麗な星……! 類香ちゃん、お願い事しよう?」

「え? でも、流れ星じゃ……」

「いいから!」


 和乃は満面の笑みだった。そのまま胸の前で手を組みだした。瞳を閉じ、何かを祈っている。

 類香はそれを見て自分も真似をしてみた。

 目を開けると、和乃は清々しい表情で星を見つめていた。そのわくわくが伝播しそうだ。


「何をお願いしたの……?」

「えー? 教えたいけど、教えたら叶わなくならないかな?」


 和乃がはにかんだ。頬が薄暗さに紛れて僅かに赤らむ。


「類香ちゃんも教えてくれる?」

「……いいよ」

「じゃあ言っちゃおうかな!」

「勿体つけないで……」


 類香は和乃につられ、なんだかそわそわしてきた。


「ふふふ。あのね、類香ちゃんが、素直でいられますようにって、お願いしたの」

「……何それ」


 類香は和乃をじとっと見る。和乃は楽しそうに声をあげて笑った。


「類香ちゃんは何?」

「……両親の、こと、知る勇気を持てますようにって」

「……」

「何よ……?」


 類香は恥ずかしくなり耳を真っ赤にした。和乃の無言の微笑みが歯がゆかった。


「とても素敵なお願いだね! もし協力できることがあったら言ってね」

「うん……」

「ねぇ類香ちゃん」

「何?」

「……話してくれてありがとう」


 和乃が穏やかな瞳を類香に向ける。類香は、「別に……」と、一度黒目を逸らし、またすぐに戻した。


「友達……なんでしょ?」


 類香の小さな言葉に和乃は面を食らったような顔をした。しかしそれはすぐに微笑みへと移ろう。


「もっちろん!」


 元気すぎる声が暗くなった川面を揺らした。


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