12話 音楽
駅前のカラオケ店に着くと、津埜は慣れた様子で受付を済ませた。和乃もよくカラオケに来ているようだ。ちらちらと目が移ろう類香とは違って落ち着いている。類香は二人に続いて部屋へと入った。
三人にしては少し広い部屋だった。部屋に入るなり津埜は「やったね」と喜んだ。
ドリンクを頼み、和乃と津埜は早速曲を選ぶ機械を囲んだ。
「まずは私が歌ってもいい?」
津埜は待ちきれない様子で言った。和乃は当然頷く。
「類香ちゃんもどうぞ」
和乃にリモコン機を渡され、類香はこわばった表情でそれを受け取った。まだ曲を決めてはいない。
津埜はバンドの曲が好きなようだ。選曲したイントロが流れると、彼女はマイクを手に力強く歌い始めた。よく伸びる声だった。遠くまで響かせられるような、透き通った歌声が部屋中に溢れていった。
「津埜ちゃん、上手いんだよね」
和乃はこそっと類香に耳打ちした。
彼女の評価に疑いもなく類香も黙って頷く。バンドのボーカルとしても十分に通用するだろう。これだけの実力があればどんな歌でも歌えるだろうから、それは歌うのが楽しいはずだ。
類香は津埜の歌声に聞き惚れ、自分がこの後歌うかもしれないことを忘れてしまった。こんな才能を抱えている人だったとは。津埜は弦楽部に入っているそうだが、音楽が本当に好きなのだろう。
好きなことがあるって、羨ましい。
類香は彼女の笑顔を無表情のまま見つめ、ぽっかりと心に穴を開けた。
「はぁー! すっきりした!」
歌い終えた津埜は満足そうに両手を広げる。続けて和乃の拍手が耳に届いてきた。
「津埜ちゃーん! 最高だよー!」
「ありがとうー!」
津埜と和乃はハイタッチをする。二人ともとても楽しそうだ。
まだ一曲歌っただけなのに、すでにクライマックスを迎えた気分になる。
類香はリモコン機を手に持ったまま固まった。テンションの高低差が天と地だ。
すると津埜が、類香に向かって挙げた両手を差し出してきた。
「瀬名さんも!」
にっこりと笑う津埜はキラキラと輝いている。これは誇張ではなかった。確かに類香にはそう見えたのだ。
「……良かったよ」
類香はそう呟くと、その両手に向かって自分の掌を弾いた。類香のハイタッチを受けた津埜は、ふふっと嬉しそうに笑みをこぼす。
続いてマイクを手に持った和乃は、文化祭のために皆で選曲した曲を歌い始める。ちゃんと練習をしに来たのだ。歌声も期待通りに可愛らしくて、その柔らかさに聞いていると疲れが取れていくのではないかと錯覚した。彼女の歌は、類香が思っていたよりも上手だった。
思わず類香は選曲の手を止める。
「瀬名さんは歌わないの?」
それを見た津埜がドリンクを一口飲みながら類香に近づいてきた。
「え? あ、ううん。まだ決まってなくて……」
「そう?」
「津埜さん、また歌う?」
「いいの?そしたら遠慮なく……」
津埜は嬉しそうにリモコン機を操作し始める。
「歌うの、好きなんだね」
「うん。昔から好きなんだ。うちの家、お母さんがピアノ教室やっているからいつも音楽が流れてるんだよね。伴奏に合わせてよく歌ってたんだ」
「そうなんだ……」
「瀬名さんもいつでも歌っていいからね! 結構歌ってみるとやみつきになっちゃうんだよ?」
津埜は悪戯な笑顔をした。
「……うん。ありがとう」
類香は津埜の笑顔にそう返事をすると、ディスプレイの前に立っている和乃を見た。真剣な表情で歌い続けている。
その姿を見ていると、まるで本当にあのキャラクターが歌っているように思えた。和乃はキャラクターになりきろうと頑張っている。誰かを演じることは楽しいが、同時に難しい。自分ではできていると思っていても、傍から見たらそうは見えていないこともある。
類香は眉を下げた。
自分は、本当に瀬名類香を演じ切れていたのだろうか。今となっては、その姿はもはや自分自身そのもので、演技ではなく素の姿と一体化したと思い込んでいたのに。少なくとも和乃にはそうは見えていなかった可能性がある。
夏哉にポスターを渡した生徒は間違っていない。その反応は正しいのだ。
どこかにまだ迷いがあったのかもしれない。まだ演じるには未熟すぎた。類香は目を伏せる。
自分は何かを求めていたのだろうか。
自らで強いた窮屈な環境には満足していたはずなのに。その隙間がまだあったとは。
類香は何度も自問してしまうこの違和感にこの頃は疲弊を感じてきていた。
俯いた彼女を呼び起こすように、放課後に皆で最後にキャラクターが歌うように決めた曲が流れてくる。類香が唯一他の同級生と認識を同じく共有できる曲だ。
類香が目線を上げると、ちょうど歌おうとしている和乃と目が合った。
「そうだ! 類香ちゃんも一緒に歌う?」
「え?」
「いいね! みんなで歌おうよ!」
津埜は、ぽかんとしている類香をよそ目にマイクを二本手に取った。
「瀬名さん、どうぞ」
そしてそのうちの一本を類香に渡すと、にっこりと微笑んだ。
「……うん」
類香がマイクを受け取ると、津埜と和乃が嬉しそうに歌い始める。声質の全く異なる二人の歌声が重なると耳にとても心地が良かった。
類香は少し遠慮がちに二人に続いて歌い始めた。その控えめな歌声に、和乃と類香は目を見合わせて笑顔を輝かせる。
少し離れて座っていた津埜は類香の隣に近づき、和乃もその反対側に座った。
類香を挟んで二人は楽しそうに歌を奏でた。
自分の歌声に寄り添う二人の優しさに、類香は思わず照れくさくなってきた。しかし少しずつ心が跳ねていくのを感じた。
(歌って、楽しい)
ふと、頬が緩んだ気がした。次第にその鈴のような歌声も、二人に負けないくらいの存在感を増してきた。もうこの部屋の中には緊張も気まずさもなかった。
無邪気に重なり合う三人の歌声は、そのまま最後まで素直な音色を響かせた。
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