11話 緊張


 金曜日。今日は和乃たちとカラオケに行く日が来た。予定が合わないなんてこと滅多にないだろうと思っていたがその通りだった。類香も和乃も今日は何も予定がないし、津埜もバイトはお休みらしい。


「瀬名」


 放課後を思い憂鬱な気持ちで窓の外を見ていると、夏哉が丸めたポスターのような紙でポンッと類香の頭を叩いた。


「なに?」


 類香が座ったまま視線だけで夏哉を見上げると、彼は類香が見ていた窓の外に視線を向ける。


「おー。隣のクラスのやつらだ」


 次の授業のために、ジャージを着た生徒たちが校庭に出て行こうとするのが見えた。校庭自体はこの席からは見えないが、ちょうど通り道なのだ。


「夏哉、何か用なの?」

「あ、悪い」


 夏哉は気がついたようにそう言うと、急かす類香を見る。


「これ、文化祭のクラスのポスター」

「うん?」


 夏哉は手に持っていたポスターを広げた。そこには、いかにも楽しいライブをやりますと言わんばかりのグラフィックが描かれている。カラフルで思わず目を惹いてしまうものだ。


「夏哉が描いたの?」

「んなわけあるか」

「…………」


 類香の瞳が恨めし気に歪む。夏哉のこともまだそんなに知らないのだから彼が描いたと思ってしまうことも当然だ。彼は不満そうな彼女の眼差しを受け流すように口角を上げた。


「じゃあなんで私に?」

「瀬名、ポスター貼る担当だったよな?」

「……あ」


 類香は自分の役割を思い出した。周りと比べたら部活や委員会との掛け持ちもしていないのに嘘みたいに簡単な役割だ。しかしクラスの皆が気遣ってくれたのか、類香は易々とこの担当を手にした。類香はその配慮に気づいていたが、その気遣いに甘えさせてもらった。


「でも、夏哉がポスター担当じゃないのになんで……」


 そこまで言って類香は口を閉じた。軽率だった。そんなの決まっている。聞くまでもないことだった。俯いた彼女に夏哉は眉尻を下げて気遣うように表情を緩める。


「分かった。ありがとう」


 類香は顔も見ないままポスターの束を夏哉から受け取った。


「手伝おうか?」

「いいよ。夏哉は自分の役割があるでしょ?」

「俺は機材担当だし、今はそこまで忙しくないし」


 類香は夏哉の顔を見てむっとする。見慣れた表情が戻り、夏哉は瞼を上げた。


「そんなこと言って、当日私に手伝わせるつもり?」

「瀬名は察しがいいな」


 夏哉はけらけらと笑って誤魔化す。嫌味のない笑み。だが類香は面白くなかった。


「そういや、今日カラオケ行くんだって?」

「何で知ってるの?」


 類香は少し困ったように言う。折角薄れかけていたのに思い出させないで欲しかったのだ。


「日比に誘われた。でも俺、今日はいけないし」

「そうなんだ。また助っ人?」

「いや、違うけど」


 夏哉はニコッと薄い唇で綺麗な弧を描いた。


「まぁ楽しんでこいよ」

「……他人事だからって」

「それとも、瀬名は歌苦手?」

「……そんなことない、と思ってる」

「じゃあ、ストレス発散できるな」


 類香は小さくため息を吐いた。そんなの、慣れてる人が言うことだ。


「じゃあな」


 類香は席に戻ろうとする夏哉を目で追った。そして、少しばかり不満の残る表情で小さく呟く。


「ほんと、お人好し」


 机に置いたポスターの束には、夏哉からの付箋が貼ってあった。


“助っ人なら任せてくれ”


 思わずフフッと笑い声が漏れた。今も、きっと類香のことが怖いポスター担当チームから頼まれてポスターを渡しに来てくれたのだ。彼が最近になって類香とよく話しているから、クラスメイトはそれを見ていたのだろう。

 和乃とはまた違うが、夏哉もまた類香の調子を乱している。

 しかしもう、咎めなくてもいい。そんなことは無意味だ。

 類香はポスターをしまい、姿が見えなくなった隣のクラスの生徒の残像を探した。



 陽気に歩く和乃の隣を類香はゆっくりと歩く。

 和乃と一緒にいることには慣れてきた。明るすぎて鬱陶しく思うこともあるが、適当にあしらっていればなんてことはない。和乃と一緒にお昼を食べるのも今は上手いこと対応できている自負があった。

 和乃が一方的に話してくることに相槌を打てばいいだけだ。大体は日常のことを話せば終わる。


 和乃はアルバイトも部活もしていなかったが、その分毎日ちゃんと勉強に勤しんでいるようだ。それはそれでなかなか出来ることでもない。類香は彼女の取り組みに素直に感心した。

 類香が通販サイトの倉庫でアルバイトをしていると知ると、和乃は驚いていた。もっと華やかなところで働いているのかと思ったと、取り繕ったことを言ってくる。

 人と関わらなくて済む職場は最高だ。

 類香はその時、無言の瞳でそう訴えた。


「わのちゃん、練習は捗ってる?」


 津埜が今日も綺麗に結ばれた三つ編みを風になびかせ和乃の隣を歩く。


「順調だよ! ダンスについては、モーション撮りをしたの」

「モーション?」

「バーチャルキャラクターの動きを撮っておくの。それをもとに、キャラクターは動くんだって」

「なんか凄そうだね」

「畔上くんの知り合いが、そういうスタジオ持っててね……そこで動きを撮影したよ」

「じゃあ機械みたいなの一杯つけたんだ?」

「うん。あ、でも……」


 和乃は少し気まずそうな顔をする。


「ダンス部の大鳳さんにもやってもらって、ほとんどそっち使うと思う」

「それはしょうがないねぇ」


 津埜はくすくす笑いながら和乃を慰めた。


「だから歌声だけは使ってもらいたいんだ」

「そうだね。わのちゃんの歌声好きだよ」

「ありがとう」


 和乃はぱぁっと顔を上げてはにかむ。

 類香は隣で二人が話している間もずっとカラオケで何を歌えばいいのか考えていた。最近流行っている曲は何だっただろうか。家では楓花が洋楽か動画サイトに投稿された曲を聞いているばかりだ。

 あまりそのほかの曲については詳しくない。


(どうしよう。皆は何を歌うんだろう)


 そもそもカラオケなんていつ以来か数えたこともない。中学校入学前に楓花と一度行っただけだ。それって、もう五年も前ではないか。

 類香はぐっと唇を噛んだ。どうでもいいのに。どう思われてもいいはずなのに、何故こんなに緊張しているのだろう。

 類香は隣の和乃を見る。


(和乃のせいなんだから)


 そうだ。和乃がそんな無邪気な目で見てくるからだ。だから陽の光は毒だ。人の優しさは苦手なのだ。自分は除け者になりたいのに。その気持ちを邪魔してくる。

 唯一の誇りまで戸惑いを隠せなくなってしまう。

 芯すら通すことが出来ないとは。どこまでも自分は駄目な人間だ。

 類香は重い鞄に引っ張られて肩を落とす。

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