6話 解答
類香がマカロニグラタンを食べ終えた頃、玄関の扉が開く音がした。楓花のご帰宅だ。時計に目をやると、もうすぐ十時になるところだった。
「おかえり」
鞄を扉付近に置き、両手をあげて身体を伸ばしながらリビングに入ってきた楓花に、類香はいつものように声をかける。
「ただいま。なんかいい匂いがするんだけど」
楓花は綺麗に編み込まれた髪の毛を鬱陶しそうに解きながら嬉しそうな声を出した。
「グラタンだよ」
「本当? ちょうど食べたかったの。類香、気が利くじゃない」
「偶然だよ」
楓花はイヤリングを外し、にこにこしたまま手を洗いに行った。そのまま流れるようにオフィススタイルの洋服からゆったりとしたパーカーに着替えると、楓花は机に置かれていたグラタンを温める。
「そういえば、今日ちょっといいお菓子を貰ったの。類香、お供えしてくれる?」
「分かった。……これ?」
類香はリビングの入り口に置かれた紙袋を手に取った。
「そう」
「何を貰ったの?」
「旅行に行ってた同僚からお土産。チョコレートなんだけど……」
「北海道限定……」
類香は紙袋からお菓子を取り出してパッケージの文字を読んだ。
「そこに行かなきゃ買えないやつなの。物産展でも手に入らないのよ」
「……ふーん」
「それ、
「……そうなんだ」
類香はパッケージをまじまじと見た後で、箱のままリビングの端にある小さな仏壇の前にお菓子を置く。
小さなおりんを鳴らして軽く手を合わせた。
仏壇には二枚の写真が飾ってある。一枚は、とても可愛らしい女性の写真だった。誰が見たとしても綺麗な人だと口をそろえて言うであろうその美貌の女性は、派手な顔立ちではないものの、上品で清楚な正統派の美人だった。写真の中で今も穏やかに微笑んでいる。
もう一人は男性だった。その人もまた上品な顔立ちをしていて目鼻立ちがくっきりとしていた。少し涼しげな印象の目元を緩ませて、近づきがたいその端正な造形を写真の中に閉じ込めていた。
写真の二人は類香の両親。二人とも生前は俳優業をしており、国内ではそれなりに知名度も人気もあった。国民的な俳優として両者とも名を馳せていたのだ。
母の名は
類香が生まれてすぐに父の芳樹は自殺をした。原因は分からなかった。ただ、彼自身が実の両親とはあまり関係が良くなかったという噂はある。そのため、類香が生まれたことが繊細な彼の負担になったのだと言う者もいた。しかし、結局のところ真相は分からないままだ。人柄も評判も良かった芳樹だが、その素顔をあまり周囲に相談をすることもなかった。他人とは距離を保ったままで、涼佳とも籍を入れることはないまま生涯を閉じた。
涼佳は芳樹とのそんな関係に不満を持つことはなかった。籍を入れなくとも、二人が同じ方向を向いてともに歩んでいければそれでいいと十分に満足していたようだ。
しかしその愛が彼女に呪いのように襲い掛かってきたのか、芳樹が自殺して数か月後、その後を追うようにして涼佳も自ら命を絶った。噂では病気が発覚したとのことだったが、検死でもその事実は見つからず、家族である楓花ですら真相は闇の中だった。
当時、このスキャンダルに沸いたマスコミから逃げるため、生まれたばかりの類香は海外に住む祖父母のもとへと渡った。楓花もちょうど海外を拠点に生活していたため、幼いころは四人で暮らしていた。
何も知らない無垢な類香に対して、祖父母は惜しみない愛を注いでくれていた。しかしそれは、娘を失った悲しみを紛らわすためのものだった。祖父母は類香に罪がないことは分かっていた。純粋に可愛がっていただろう。それは傍にいた楓花も分かっていたはずだった。
しかし、祖父母は知らず知らずのうちに無理をしていたようだ。成長するにつれて涼佳の過去がどうしても蘇り、類香を見ることがきっと辛かったのだろう。楓花がその違和感に気づいたとき、ちょうど楓花の職場で日本へ赴任する話が出た。これは良い機会だと、毎晩のように隠れて泣き出してしまう祖父母を見かねた楓花は類香を連れて日本へと渡った。
日本に戻った頃には、両親のことは既に過去のスキャンダルとなっていたため、類香のことを探し出そうする者もいなかった。そもそも、類香の出生については楓花が上手いこと隠してくれたのだ。
彼女の尽力により、日本にいても類香の両親の正体について知る者は周りにいなかった。
両親のことを理解できるようになった頃、類香は一度二人が共演している映画を見た。画面の中では、自分の知らない両親が他の誰かを演じている。その姿は魅入るほどに美しく、まるで本当に両親は役そのままの人だったのだと錯覚してしまうほどだった。
周りの大人たちは自分の知らない両親のことを知っている。テレビ番組に出ていた姿やイベントでの姿。自分の両親のことなのに、類香は誰よりも二人のことを知らないままだった。
画面の向こうにいる人たちは本当に自分の親なのだろうか。実感など持てるはずもない。しかし類香は一つだけ確信していることがあった。
それは類香の勝手な思い込みに他ならない。それでも彼女にとってそれはあまりにもしっくりくる救いのような答えでもあった。
両親はきっと自分のせいで命を落とした。
自分が生まれなければ二人は自殺なんてすることはなく、今でもスクリーンの向こうから皆を楽しませてくれていたことだろう。
自分が生まれたことが両親にとっての不幸だったのだ。そうとしか思えない。そうでなければ、何故自殺などしたのだろう。地位も名誉もあって、誰もが羨む人生を歩んでいたのに。
類香はその答えを見つけてから、自分をヴィランだと思い込むようになった。その方がずっと楽だ。自分は生まれながらに悪なのだ。なら、そう生きればいい。
昔から容姿が良かった類香は、その大人しくて愛らしかった性格から、小学校のころから無自覚のうちに頻繁に人の気を惹いていた。そこから起こるトラブルも少なくはなく、類香は自分を恨んだ。
問題事はすべて自分のせいだ。
だから誰にも関わりたくないのだと自分に言い聞かせ洗脳し続けた。
人に関心を持たなくなるまで、ずっと自分にヴィランという役割を科した。
そうやって作り上げた自分の像。
今の自分も、その環境も心地悪くはない。むしろ自分の性に合っている。
類香は手を合わせたままゆっくりと目を開けた。
陽の光を望んではいけない。きっとこれが、両親の想いに報いていることだろう。
*
翌日、登校するや否や教室に行く途中の廊下で夏哉とばったり会った。他の教室に用事があったようで、彼はちょうど類香の反対側から歩いてきた。類香は正面で立ち止まったまま何も言わずに夏哉の顔をじっと見つめ続ける。彼もそれに負けじと根競べのごとく目を離そうとしなかった。
しかし二十秒ほど経った頃、流石に気まずくなった夏哉が口を開いた。
「おはよう、瀬名」
「……おはよう」
類香は砕けたように笑う夏哉に無表情で応える。
「いつも通りで何よりです」
夏哉は軽くそう言い残すと先に教室へと入っていく。
「隣のクラスに何か用事でもあったの?」
「お、会話してくれるのか」
後を追うように教室に入ってきた類香に、夏哉は少し驚いたような声を出した。
「昨日のこと、嶺に聞かれて」
「……嶺」
「もう忘れた?」
夏哉はポカンとしている類香を見てからかうように言った。
「覚えてるよ。園芸委員の……」
「そうそう」
「友達なの?」
「部活の助っ人の時にな。もう友達って思えないけど」
「薄情だね」
「言うねぇ……」
夏哉は机に鞄を置いて弱弱しく笑う。
「向こうは友達だって、思ってるかも」
「だとしても、俺はあんまりいい気はしないから……ほら、あいつ……」
「彼女の友達とも仲良くしてたから?」
「……仲が良いのにも限度があるだろ」
類香は困った表情をしている夏哉を見てふと首を傾げる。
彼はちょこんと隣に並んだまま自分を見上げる彼女の動向を窺おうと瞬きをした。
一度息を吸い込んで間を置いた類香は、ぽつりと口を開く。
「夏哉、は、大丈夫だったの?」
「……ん?」
夏哉は類香が自分の名前を呼んだことに驚き、口を一文字にして目を見開いた。
彼女はそんな彼の違和感など放り投げたまま続ける。
「だから、友達だって思われてる人に昨日のこと聞かれたんでしょ? 正直、嶺たちにとって昨日のことって良いことだったとは思えないんだけど。それに加担したんだから、夏哉は」
「そういうことにはなるけど、だからって責めてくるような奴じゃないって」
「そうなの? そこまで腐った奴ではないんだ」
「だらしない奴だけど、友達の事は責めないんだってよ」
「そうしたら、友達でいてあげたら?」
涼しげな瞳をキラリと光らせる、類香は困惑した彼のことを放置して自分の席まで歩いて行った。途中、無意識のうちに和乃の席を見てしまう。今日はまだ来ていないようだ。類香は思わずほっと胸を撫で下ろした。
今日も和乃は話しかけてくるのだろうか。
類香はもやもやとした気持ちを表情に出さないように唇を噛む。
(あんなに温かい陽の光を浴びすぎると逆に枯れちゃうよ)
机に両腕を置いてうなだれていても、昨日の和乃の声と笑顔が勝手に脳裏に浮かんでくる。
(どうしよう……)
これまで、和乃のようにめげずに立ち向かってくる人はいなかった。冷たくしていれば、すぐに皆いなくなってくれたのに。打たれても打たれても決してめげない。彼女は起き上がりこぼしのようだ。こんなことは初めてだ。
うなだれる類香を見て周りの席の生徒は不思議そうな顔をしている。背骨が張り詰めそうなほど姿勢のいい類香がこんなことをしているなんて、滅多にないことだからだ。
類香は外では完璧に演じ、演出し続けてきたのだ。
クールで何事にも無関心な自分を。
(だめだだめだ……)
類香は顔を上げ、いつものように背筋を伸ばした。糸に引っ張られたように真っ直ぐ起き上がる勢いに類香の様子を観察していた周りの生徒たちは慌てて目を逸らす。
そのことに類香は気がついていなかったが、後方の席からそれを見ていた夏哉は、類香の様子とその周りの動きに思わず笑うことに耐え切ることが出来なかった。
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