亜麻色の幼馴染

おこめ大統領

「なんか、かわいい子と話してたね」

 クラスでの用事も終了し、カバンを手に取って教室から出たところで幼馴染である奥居 麻おくい あさに話しかけられた。


「ん? あぁ、会長のことか。ちょっと文化祭関係のことでな」


 俺は文化祭実行委員として、クラスメイトである生徒会長に時間を取ってもらって去年までの事例とか規約とかを色々確認したり相談に乗ってもらっていたのだ。

 ふーん、とあまり興味なさそうに、床に置いていたカバンを拾い上げるあさ


「いいね」

「いいねって、何がだ?」

「なんていうんだろう。マドンナ~って感じ」

「言われてみれば、確かにそうかも」


 いつものようにふわふわした口調で麻は言った。天然、というよりは『飄々としている』という評価がふさわしい彼女は、緩い口調でつかみどころのないことを言うのが常であった。


 それにしても、マドンナなんて言葉、久しぶりに聞いた気がする。

 おしとやかな頭もよくてきれいな黒髪ロングが似合っている生徒会長は、一昔前ならばそう称されていてもおかしくはなかっただろう。今の時代は……、何て言うのが正解なんだろう?


「私も目指そうかな、マドンナ」

あさが? ──無理なんじゃないかな」


 あさにマドンナと言う表現はなんとなく似合わないと思いつつ、改めて彼女の容姿に目を向けた。名前の通りの美しい亜麻色の長髪に、きりっとしたきつめの目つき、俺の胸あたりまでしかない低めの身長。初めて彼女を見た人の多くからは、警戒心の強い子犬のように映るだろう。

 クールで小さなお人形さん。そんな彼女には、みんなの憧れの的であるマドンナという称号はやはりふさわしくない気がする。……本人には絶対に言わないが、キレイでかわいいとは、俺も思ってる。


「えー、なにそれ」


 そんな視線を知ってか知らずか、あさはかすかに笑いながら軽い返事をした。俺が眉をひそめ困惑した表情を作ると、彼女はそのまま言葉を続けた。


「なんかさ、君なら目指せるよとか、お前はもう俺のマドンナだよとか、そういうのないの?」


 マドンナって目指してなるようなものなのか?

 

「俺がそんなこと言い出したらあさは絶対引くじゃん」

「どうだろう。んー、引くかも」


 引くんかい。

 

 まぁ前者ならともかく、後者を本気で言ってるやつがいたら痛すぎるし、さすがに俺でも引く。自分が言うとしたらなおさらだ。

 話はひと段落したが、あさは依然俺のほうにただ目を向けている。あれ、教室の前にいたから、てっきり俺に何か用事でもあったのかと思ったけど、この反応からするに違うようだな。


「もしかして美玖に用か?」


 あさがうちのクラスに来る理由の9割はもう一人の幼馴染、美玖だ。最近は俺への用事も増えた気がするけど、彼女たちの仲の良さにはかなわないと常々思っていた。


「美玖? あー、うん、そうそう。美玖いるかなーって」


 一瞬目が泳いだ気もするし随分と適当な返事だが、あさが何を考えているかを考えることは無謀だしあまり意味もないことなのは、この10年で嫌と言うほど体感した。


「美玖も委員会だぞ。メールとか来てるんじゃないか?」

「わかんない、充電なくて」


 確かに教室の入り口で待っていた時も、スマホとかをいじらずにボーっとしてたな。俺がひとりでに納得しながら歩き始めると、あさも一緒に歩きだした。


「あ、私も帰る。美玖いないし」

「すまん、俺も委員会なんだ。そろそろ行かないと美玖に殺されちゃう」

「あれ、同じ委員会なんだ」

「これ三回は言ってるぞ。寄り道しないでまっすぐ帰れよ」

「だいじょーぶ。それ、お母さんにも言われたから」

「大丈夫じゃないから言われてるんじゃない?」


 軽口をたたきながら委員会が行われる場所へ向かうも、なぜかあさもついてくる。教室までは一緒に来るらしい。


「でもそっか。二人ともこれから忙しくなる感じか。マドンナ残念」

「ついにマドンナを自称し始めたか。初めて見たわ、そんな奴」


 なんなら一人称をマドンナにしてる人も初めて見た。俺がマドンナって言わなかったことを意外と気にしてたのか? まさかな。

 

「じゃあさ、他称してよ」


「他称って──」


 あさは最近、こうやって俺をよくからかう。


 真面目に取り合うとすごく照れてしまうのは自分でもわかっていた。だから、毎回うまいことを言ってやりすごしているのだが、今回はいい返しが思いつかない。おふざけだと分かっていてもマドンナという言葉は恥ずかしすぎる。今風で、それでいて恥ずかしくなくて、冗談っぽくも取れるいい表現はないだろうか……。

 もう目的地に着いてしまったので何かしら返事はしないと。足りない語彙とわずかなラブコメの知識を総動員して、俺はそれっぽい返事をひねり出した。


「じゃあまた明日な、俺のフィアンセ」


 なんとなくマドンナみたいなニュアンスで使ったけど、フィアンセの意味ってこんな感じであってたっけ? やっぱり読書とかしないと、こういうときにウィットに富んだ返しができなくて辛いな。

 美玖にからかわれた時は「うるせー」とか「ほっとけ」とか適当に言っておけば万事解決なのに。あさは無自覚っぽいから強気であしらいにくいんだよな。

 

「……ほんっとに」


 そんな呑気なことを考えていると、ぼそっとあさが言葉をこぼした。声のするほうへ目を向けると、さっきまで俺の隣にいたはずの麻はいつの間にか俺の後ろにいた。耳を真っ赤にして下を向いていた。


「え?」


 想定していなかった反応を前に俺は少し固まってしまった。もしかして怒ってる? しまった、フィアンセって蔑称か何かだったのか。


「それ、だめだから。私以外に言うの」

「え、なんで?」

「なんでも」


 あさがうつむいたまま、俺の背中にぐりぐりと頭を押し付ける。


「ちょ……」


 大人っぽいあさのそうした子供みたいな行動にただただ驚いた。

 そして、その反応から純粋な怒りでないことは分かったが、似合わぬ行動をさせるほどの何かをしたことは事実なので、ここは素直に謝ったほうがいいのだろうとも思った。


「ごめん。意味分かってないで言っちゃった。本気にしないで」

「うん、そうかなって思ってた」


 怒っていないことにひとまず胸をなでおろしたが、ぐりぐりは続く。安堵が通りすぎると、今度はあさの子供じみた行動が、なんだかだんだんかわいらしく見えてきてしまった。このままいつまでもやられていると精神衛生上よくない気がしたので、俺はくるっと体を回転させて彼女を振り払った。

 突然支えを失った彼女は、おっとっと、っと言いながらよたよたと数歩進み、やがてこちらへ振り返った。


「でも、ありがと」


 月のような笑顔に、思わず顔が熱くなるのがわかった。俺の耳も赤くなっているに違いない。先ほどの麻の紅潮とは違う意味だろうが、別にそれでもいいと思えた。

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