魔戒の勇士がここにいる。

烏賊墨

正義感。


 4月20日。新年度を迎え数日が経過した頃のこと…。


東京都 真樹津市まじゅつし琴珠町ことだまちょう

人口は10,409人。住宅街などが多く、大型の家電量販店などは隣町に行かなければならない田舎である。


夕日で赤く燃えるような家々の中、道路に散った桜の花が自動車に巻き上げられる。

そんな情景を気にも留めず、ランドセルを背負い歩く黒髪で細い体の少年。

まっすぐと前に視線を向けている少年の名前は納谷正夫なやまさお

正夫は一人で歩いている…。


そう、彼は友達が少ないのだ。


クラスメイトから声をかけられることはあるが、彼から誰かに向けて声をかけることは殆どない。残念ながら友達が少ないのも当然だといえる。


そんな正夫が曲がり角を曲がると…


「うわぁ!?」


にぶつかった。


「ご、ごめんなさい…」


正夫はすぐに謝った。

しかしどういうことか、正夫の目の前には人などいなかった……。




 4月21日。曇天。加湿器を間近に浴びるような湿気が覆う昼頃。


真樹津市まじゅつし糸星町いとぼしちょうにある清蓮せいれん高校。

町に唯一ある高校だからか、校舎は大きい。


昼休みだが、このジメジメした天気では屋外に出る気は起きず、多くの生徒は校舎内で食事をとっていた。


しかしそんな中、この湿気漂う屋外に一人の男子生徒が昇降口の外で立っている。

くせ毛が湿気でさらに膨れていたその男子は 独りでパンを食べながら校門の方をジッと鋭く見ている。


校門には誰もいない。


しかし男子が瞬きしたそのとき、


戒理かいり…」


目の前に女性が立っていた。


戒理かいりより少し背が高い女性の出で立ちは 裾が濡れた紫のパンツと湿気で肌に密着した灰色のシャツに、黒いロングコートを羽織っている。

もっとも目を惹く紫色の長髪は前が輪っかのように切り揃えられ、その毛先から水滴がゆっくりと落ちていく。


「 ぁ…話ってなんだ?」


しばらく彼女に見とれていた戒理かいりは、気を取り直して尋ねた。


女性はゆっくりと口を開き、


の気配が…わずかだけどこの世界で感じられたみい」


そう告げた。


信じられない。


そんなことを言いたそうな戒理かいりの脳裏には、強烈な光に飲み込まれえ消え失せる赤い影の様子が浮かんでいた。


「サリィ…それは、本当か?」

「こんな嘘はつかない」

「だよな…」


お互いを見つめ合い、黙っている戒理かいりとサリィ。

校内から生徒たちの声がうっすらと響き渡る。


「取りあえず」


戒理かいり、頭を掻きながら、


「ここは俺が探ってみるから」

「お願いする…」

「何かわかったらみんなを呼ぶよ」


今後の方針を若干だが雑に決めた二人は、振り返って別の方向に身体を向け、歩き出す。


「あと、召集のときはいつものシナモンワッフル買ってきてね…」


校舎に戻ろうとする戒理かいりの背に、サリィはそう告げた。


「え…?」


戒理かいりが振り向くと、そこにはもう誰もいなかった。




  4月22日。快晴。鳥の鳴き声が響く土曜日。


琴珠町ことだまちょうの団地にある納谷一家の部屋。

玄関からまっすぐ向こうにある小部屋。扉から入って右にはベッド、左には本棚などがある。

幅は狭いが子供には十分な広さであろう部屋の中。奥の窓際にある机の上で、正夫は国語の宿題をしていた。


「……」


宿題を終え、黙々とランドセルにしまう。

机に向き直った正夫は机の棚に飾られた写真に目を向ける。


「正夫~!」


扉の向こうから母の声がした。


「お使いお願いするわね」

「わかったよママ」


正夫はゆっくりと立ち上がり、部屋を後にした。

静かな部屋。

正夫が見つめていた写真は影でよく見えない。



近所のスーパーに立ち寄る正夫。

メモとにらめっこしながらかごに物を入れていく…。

かごの中には玉ねぎ、豚肉、にんじん、じゃがいもが入っている。


「あとはルーだけか」


安くも高くもないルーをかごに入れた正夫は、行儀よくレジまでの列に並んだ。

無言で待ち続け、自分の番だとかごを預けようとした…



「おい!?」


突然の声。

周囲の客がざわざわとし、ある客を見ている。


「レジ袋はないのかよ!」


正夫の目の前で大柄なハゲ頭の中年がレジ担当の店員に怒鳴っていた。

手にはかごとレシートを持っていたため、そのハゲ頭はすでに会計を済ませた後のようだ。

申しわけございません、と店員は謝りながら袋を用意する。

有料のため、レジ袋を渡すのにも時間がかかる。ハゲ頭はイラ立ちを隠さない。


「ッ…」


まだ子供の正夫はわがままなその男を睨むことしかできなかった。


「あーあ」


レジ袋を手に入れたハゲ頭は悪びれる様子はなく、その場を去った。

店員は遅れたことを正夫とその後ろの客に謝っていた。


正夫は自分の司会に映る間ずっとそのハゲ頭を睨みつづけた…。


睨みつづけることしかできなかった。


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