第26話 一緒に寝たいです



 カフェテリアで昼食を楽しんだ後、俺とレンカはあてもなく敷地内を散策していた。

 勉学と訓練に励む学校だが、それ故に普段から使う施設以外にはあまり立ち入ったことがなかったためだ。


 石畳で舗装された道を、変わらず手を繋いで歩く。

 すれ違う人に二度見されることも珍しくなく、気恥ずかしさを感じつつも離すのは惜しいと感じてしまう。


 この感情は、なんだろう。


 正体不明のそれへの回答は出てこない。

 いずれわかるだろうと蓋をして、視線を前に景色を見渡す。


「ここは庭園。日当たりもいいし、何より空気が澄んでいるから落ち着くよ」

「綺麗に芝が揃えられていますね。寝転がってお昼寝でもしたらよく眠れそうです」

「お昼寝してく? 私はいいよ」

「……いえ、遠慮しておきます。流石に人目があるところでは恥ずかしいので」


 首を横に振って断る。

 皇女として育てられたレンカはそうかもしれない。


 睡眠中は人間が無防備になる時間。

 明確な隙を人目に晒すわけにはいかないのだろう。


 今はお昼過ぎということもあってか、それなりに人気がある。

 自分で作ってきた昼食を食べている生徒もいるくらいだ。

 この中で昼寝をするのは余程精神的に図太くなければ不可能だろう。


 俺は気配を感じて起きることができるが……まあ、無理強いをする気はない。


 そのまま庭園を過ぎ去ろうかと提案しかけた時。


「……え」

「どうしたんですか?」

「ああ、いや、ちょっとね。知り合いが気持ちよさそうに……もとい、死んだように寝てたから気になっちゃって」


 若干苦笑を漏らしつつ視線を向けた先には芝生に突っ伏している少女がいた。

 その近くには、無人の車椅子。

 桜色の髪が風で芝生とともに揺れる様を見届けつつ、どういうことだと眉間を揉む。


 見知った魔力の感覚。

 まず間違いなく、彼女は比那名居エマで相違ない。


 特務室にて俺の専属オペレーターを務める天才の少女が、なぜ。


 こんなにも無防備に、しかも不自然な体制で眠っているのだろう。


「……えっと、助けたほうがいいのでしょうか」

「多分だけど簡単には起きないよ」

「なら、尚更近くにいたほうがいいのでは? 訓練校とはいえ、不埒な真似をする人がいないとも限りませんし」

「私ならアレに近づこうとは思わないけど……それはそうだね。付き合わせる形になってごめん」

「気にしないでください。ゆっくり休憩したいと思っていましたし」


 朗らかに微笑むレンカに感謝しつつ、俺は先にエマをまともな体勢にすることにした。

 芝生の上にうつ伏せで眠るエマを抱え上げる。

 上向きになったエマは死んだように眠っていて、まるで起きる気配がない。

 しかも柔らかな頬には芝生がついていた。

 起こさないように手で払って、ついでに頬を触ってみる。


 あ、指が沈む。

 なんだ、これ。


 ふに、ふに、ふにに。


 指先で押すたびに確かな弾力と瑞々しさ、そして形が変わる頬が視覚に楽しい。


 中毒性が凄まじいな。


「……カズサさん?」

「あ、うん。ちょっと我を忘れてた」


 怪訝そうな目で見られ、慌てて手を放しながら答える。

 こほんと咳ばらいを挟んで立ち上がり、近場にある木陰のベンチに腰を下ろしてエマをそのまま膝に寝かせる。

 すると猫のように背を丸めて腹の方に顔を向け、しがみつくように眠り始めた。


「……いいですね、それ」

「何か言った?」

「ああ、いえ、なんでも」


 呟きは聞こえず、レンカも隣へ腰を落ち着ける。

 間の距離は手のひら一つ程度。

 軽く手を伸ばせば触れられる距離がもどかしく、じれったい。


 レンカへ逸れていた意識を引き戻して変わらず白い雲が覆う空を眺める。

 緩慢に流れていくそれを目で追っていると、隣でレンカが小さく欠伸を漏らした。


 涼し気な空気を乗せた風が間を抜ける。


「一応自己紹介? 違うか、他者紹介かな。今寝てるのは比那名居エマ。通信科の一年で、ちょっと前に知り合ったんだ」

「そう、ですか」


 レンカはエマの方を見て、何か思案するような素振りを見せる。

 紹介が不自然だっただろうか。

 現状、他の科と関わる機会が薄いため、交友関係を持つのは極めて稀ではある。


 班演習など始まれば別なのだが……残念なことにしばらく先だ。


 淡い桜色の髪を撫でつつの、沈黙。


 木々が風にそよいでさざめく音色を聞きながら、ぼうっとしていると。


「……なんだか、エマさんを見ていたら眠くなって来てしまいました」

「こうも過ごしやすい気温だと眠くなっちゃうよね。眠かったら寝ていいよ。肩くらいなら貸すから」


 膝は空いてないから、とエマのことを困ったように見下げる。


「魅力的な提案ですが、それではカズサさんばかりに負担をかけてしまいますから。どうせなら一緒に寝たいです。もちろん、比那名居さんも部屋に連れていきましょう」


 ありがたいが……エマは起きた時に混乱しないだろうか。

 エマに限っては大丈夫な気がしてきた。

 多分、なんにも気にしないで二度寝しそう。


「……じゃあ、この辺で戻ろうか」


 レンカにはエマの車椅子を押して行ってもらって、眠ったままのエマを抱えながら寮へ戻る。

 エマを普段はレンカが使っている下段のベッドに寝かせ、俺とレンカは部屋着に着替えた後に上段へ。


「思えば、上に来るのは初めてです」

「特に違いはないでしょ?」

「……いいえ、なんとなく落ち着きません」


 そわそわと視線を右往左往させるレンカ。

 下と上で違いなんて高さくらいしかないだろうに。

 精々一メートルちょっとの差は、俺には理解できなさそうだ。


 ともあれ。


「私は先に寝かせてもらうよ」


 欠伸を噛み殺しつつ、レンカへ背を向ける形で横になって目を瞑る。

 なんだか今日は、妙に眠い。


 厳戒態勢の中で知らずのうちに気を張っていたのだろうか。


 それとも、後ろで恨みがましい視線を送っている少女のせいか。


 初めての護衛任務は打ち切られることなく続いている。

 何があっても、俺はレンカを守らなければならない。


 ……いや、絶対に守る。

 そのために、俺はここにいる。



「っ、私も寝ます。寝れます!」

「いや別に無理してお昼寝する必要はないと思うよ?」

「このチャンス、絶対に逃がしません……っ」


 やけに気合が入っているレンカも続いて横になる。


 そして、背へゆっくりと手が触れた。


「あったかい、ですね」

「そうかな。普通だと思うよ」

「普通とは得てして贅沢なものですよ」

「……一理ある」


 顔を見ないまま、そんなやり取りを繰り返しているうちに、揃って夢の世界へ旅立っていた。


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