第21話 これでも結構強いよ?
ガタッ、と椅子を倒したのも気に留めず、室長が張り詰めた表情で立ち上がった。
既に戦いの気配を感じて意識が自然にシフトしている。
騒がしくなってきた周囲からの声を聴きつつ、自分がするべきことを冷静に考える。
「間が良いのか悪いのか……俺はここで市民の避難を援護しつつ連絡だな。カズサは訓練校に戻って皇女様の護衛を最優先。襲われた場合は迎撃しても構わん」
「了解」
「都市に眷属が出現するなんて前代未聞だぞ。全く……今日は忙しくなりそうだ」
ぼやく室長とともに店を出ると怒号のような叫び声が
「皆さん押さないで! 焦らずともシェルターまでは我々が守ります!」
「子連れの方は絶対に手を離さないで下さい! はぐれている人を見かけたら近くの軍警へご一報を!」
都市に暮らす大人のほとんどは一度軍に所属しているだけあって、驚きはありながらも混乱は少ない。
軍警は非常時に備えた誘導訓練も行っているため手際よく人の流れをさばいている。
「健闘を祈る」
室長がそう言葉を残し雑踏へ消えていく。
俺も訓練校へ帰るため、店の屋根に飛び乗って駆けだした。
壁を蹴って空を飛び、次々と屋根を飛び移りながら街の景色が高速で流れていく。
そしてものの数分で都市の中央区から訓練校まで戻ってくると、
「――こっちだ! 森には近づくな!!」
「人数の確認をしろ! 行方不明は最悪を想定しておけ!」
切迫した空気の中で、軍警の声が絶えず響いていた。
彼らに連れられている訓練生の中には顔面が蒼白になっている者も少なからずいる。
加えて森に近づくなという言葉。
さっきから感じる嫌な気配……恐らく、そういうことだろう。
だが、訓練校には優秀な人材が揃っている。
眷属相手ならば簡単に後れを取ることはない……と思いたい。
であれば、俺は俺の役目を果たすのみ。
レンカの魔力を探し――感じた方向に思わず舌を打つ。
それは軍警が近づくなと警告していた森の方角であり、
「助けてくれ! 俺たちを逃がすために皇女様が――」
男子生徒の今にも泣きだしそうな声を聴いて、気配を断ち切り全速力で森へ走りだす。
同じ訓練生なら一緒に逃げても誰も咎めないというのに、レンカは彼らが逃げる時間を稼ぐために一人残って戦っている。
まだ訓練生……一人で眷属の相手など務まるはずがないとわかっているはずなのに。
『高貴なる者の
「……でも、自分をもっと大切にして欲しいかな」
身分はここでは関係ないと言っていたのはレンカ本人なのに。
一番囚われているのは、他でもないレンカじゃないかと。
やはり、優しすぎる。
人のために自分の命を捨てられるなど、少なくとも正気の沙汰ではない。
でも。
だからこそ。
「――それはまだ俺の役目だ」
森へ到着し細かい気配を探る。
……周囲に眷属らしき気配が四つ、少し遠くに二つと風前の灯となりつつあるレンカの気配が一つ。
苦戦を強いられているのだろう。
後退しながら時間を稼いでいるらしい。
早く行かないと手遅れになりかねないな。
木々の合間を
戦いの現場へ近づくにつれ、樹木が無惨にもなぎ倒された光景が広がっていた。
その、奥に。
「――ま、だあっ!!」
少女が叫ぶ声を聴いた。
軍服は所々が解れ、裂けた布地の奥に鮮烈な赤い血が滲んでいる。
スカート部分にもスリットのように縦に傷が刻まれていて、右の太ももに深手を負っているのが遠目でも窺えた。
あの分では逃げ回るのも難しい。
そして、それをわかっているかのように緩慢な挙動でレンカとの距離を詰めるのは、一見して樹木のように見える人間を模した眷属。
悪意を隠すことのない奇声を発している。
ニタニタと嫌な笑みを浮かべながら、時間をかけて一歩ずつ進んでいた。
鬼気迫る気迫を
ずん、と影が金色を塗りつぶし、見上げた蒼玉の瞳に諦めの色はなく。
振り降ろされた、眷属の捻じれた木の腕は。
「――よく、一人で耐えたね」
割って入った俺の手刀で粉微塵に粉砕された。
背後で「あっ」と漏れ出た細い声。
朽ち木でも砕いたかのようなやけに軽い手ごたえを感じつつも、勢いのままくるりと回ってブーツの踵を眷属の胴体へ浴びせる。
反応すらできずにくの字に折れ、遥か後方へと吹き飛んだのを確認してレンカへ振り向いて。
「遅くなった。にしても、随分と無茶したね」
「カズサ、さん……? どうして、熱はっ」
「もう大丈夫。それより傷を治そう」
一歩距離を詰めて手のひらをレンカの頬に這わせ、魔法を行使した。
瞬間、時間が巻き戻るようにレンカの傷が癒えていく。
その裏で、レンカが負った傷の痛みが一瞬に凝縮されて痛覚を蹂躙するが、意図的に無視して安心させるように微笑む。
「っ、これで全部治ったかな」
「……凄い。こんな治癒魔術まで」
「傷は治せても体力までは無理。だから大人しく見てて。もう立ってるのも限界でしょ?」
「……バレていましたか。情けない限りです」
力なく笑って、レンカは近くの木の幹に背を預ける。
あれだけの魔術を連打して、厳しい戦力差でも時間をこれだけ稼いだのだ。
肉体は当然として、精神的な疲労は計り知れない。
申し訳なさそうに言うレンカへ首を振って、
「そうでもないよ。実習中に襲われて、咄嗟の判断で他の人が逃げる時間を作ったんだから。その行動は無駄にはならなかった。だから、間に合った」
頬に当てていた手を頭へ移動させ、三度撫でる。
安堵したような、それでいて不安さを残した眼差し。
「まさか、カズサさんが一人で戦うと? 無茶です。今すぐ逃げて――」
「それ、一人で
「うぐっ」
「レンカが帰ってきてないって聞いて本当に心配したんだから、反省ついでに見ていてよ」
「何を……?」
そろそろかと正面へ振り返って、レンカの呟きを背に受ける。
残っていた五体満足の眷属が森の奥から姿を現す。
さっきの戦闘音でこっちへ近づいてきたらしい。
確かに普通の眷属よりは手ごわいものの――敵じゃない。
「私、これでも結構強いよ?」
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