第十九話 リン=フォーグナー

―聖王暦六九○年―


 魔族の女に対して、リンは言い切る。


「この世から魔族を駆逐すると誓った姫騎士リンドランテは一五年前に死んだ! 今ここにいる私は、リン=フォーグナーだ!」

「戯言を!」


 魔族の女が放つ氷の魔法がリンへを襲った。リンは飛んで来る無数の氷塊を紙一重でかわしながら、魔族の女へと迫る。


「私はお前との戦闘を望んでいない! ここは黙って引いてくれないか?」

「何をバカな! 数多の同胞を殺しておきながら、何を今更!」


 氷雪が地面を走り、リンの足を絡め取った。次の瞬間、氷塊のひとつがリンの腹に直撃する。幸い刺さりはしなかったが、内蔵はいくつか持っていかれたようだ。リンが吐血したことに驚き、タクトはリンに駆け寄ろうとする。


「師匠!?」

「来るな!」

「で、でも!」

「大丈夫。この程度はかすり傷だ。知ってるだろ? 私は頑丈なんだ」


 すぐに癒しの魔法が発動し、リンの傷を癒した。これはリンが意図しておこなったことではない。リンの受けている加護により、自然に発動するものだ。即死でなければ大抵の傷はなかったことに出来る。今のリンからしたら一種の呪いのような能力だ。


 リンは炎の魔法で足元の氷雪を溶かし、束縛から逃れる。いくら傷が治ると言っても痛いものは痛いし、あまりタクトに醜態を晒したくない。それは師匠としての矜持であると同時に、女としての恥じらいでもあった。


「確かに私は多くの魔族を殺して来た。そこに正義があると信じて。けど違った。正義なんてどこにもなかったんだ。それは今も同じ。私達が争う理由はない!」

「それで許せと? そのお方を連れ去り、たぶらかしたお前を!」


 混乱し立ちすくんでいるタクトを背に隠すように立ち、リンはキッと魔族の女を睨みつける。


「こいつに私達の確執は関係ない! 戦争を知らないこいつに、私達の因縁を押し付けていい訳がないんだ!」


 そう言って、リンは剣を抜き放った。再び襲い来る氷塊を剣で斬り落とし、魔族の女目がけて地面を蹴る。


「バカめ。ここは水上だぞ? 水の中で私に勝てると、本気で思っているのか?」

「バカなのはお前だ。私が何の考えもなしに、ただ突っ込むと思うのか?」


 リンの足が水面に着こうとした瞬間。リンの足元の水が凍る。二歩、三歩と進むうちに氷は徐々に範囲を広げ、やがて湖全体を氷に変えた。


「そんな、湖全体を凍らせただと!?」


 魔族の女はリンの魔力の強さを侮っていたようだ。リンの魔力を持ってすれば、流れる川すら一瞬の内に凍らせる事が可能なのである。


「これで水の中に逃れる事も出来ないだろ? 大人しく負けを認めるなら、命までは取らないが?」


 リンに剣を向けられた魔族の女は、目を見開いて声を大にした。


「調子に乗るなよ、人間風情が!」


 魔族の女から魔力が溢れ、暴風となってリン達を襲う。あまりの風速に、タクトとアルシェリードは立っていられなくなり、吹き飛ばされてしまった。


「タクト! アルシェ!」


 リンは咄嗟に振り返ろうとするが、魔族の女の攻撃で、それどころではなくなる。鋭い爪が振り下ろされ、それを剣で受けざるを得なかったのだ。


「あのお方は私が魔王城へと連れ帰る。お前は邪魔だ、リンドランテ!」

「連れ帰られちゃ困るんだよ。あいつは私の弟子だからな」

「ほざけ!」


 暗闇の中、爪の連撃がリンに迫る。リンは気配だけでそれを察し、剣で往なしながら、反撃の機を窺った。


「そもそも何のためにあの方を連れ去った! 貴様は魔族を憎んでいたはずだ!」

「ああ、憎んでいたよ。多くの人々を苦しめ、蹂躙した魔族を。でもあいつは別だ。何にも染まっていないあいつは純粋で、守ってやらないとと思った。あらゆる悪意からあいつを守って、一人前に育てる。それが今の私の生きる道だ!」


 連撃は凄まじく、なかなか反撃の機会はやって来ない。それでもリンには引くという選択肢はなかった。人間に対する強い憎しみを持っている魔族は、放置すれば必ずタクトの行く道を遮る障害となる。まだ不出来な弟子の行く道を阻む者を放置するほど、師として落ちぶれてはいない。いつか自分の元から巣立つその時までは、自分がタクトを守らなければならないのだ。


 それまで剣で往なしていた攻撃のタイミングを見極め、リンは相手の懐に飛び込む。相手の右腰から左肩にかけての切り上げ。剣の切っ先は的確に魔族の女を捉え、真っ赤な血をほとばしらせる。しかしまだ浅い。相手が咄嗟に後方に飛び退いたため、一撃で決める事は叶わなかった。


 この魔族の女は魔族の中でも相当強い部類に入るだろう。それだけ強力な魔族なら、リンが知らないはずはないのだが、実際、リンの記憶にこの女の顔はない。と言う事は、この一五年で力をつけてきた新しい世代の魔族と言うことだ。


「お前達の目的は何だ?」


 リンは魔族の女に問う。


「知れたこと。魔王軍を再編し、今一度世界に打って出るのだ!」

「何だと!?」


 ここの所、各地で魔物の動きが活性化している事はリンも気づいていた。しかし、その影で新たな魔王軍が暗躍しているとなると、話は途端に大事になる。下手をすれば魔王軍の脅威が世界を襲うことになるのだ。


 今各国はお互いの足を引っ張り合い、疲弊している。新たな魔王軍等というものに攻め入られたらひとたまりもないだろう。最悪、人間が滅びることもあり得るのだ。それだけは絶対に阻止しなければならない。


「あの方にはその旗頭になってもらおう。てっきり殺されてしまったとばかり思っていたが、生きていたのなら都合がいい!」


 苦痛に耐えながら、それでも魔族の女は笑った。それもそうだろう。魔王の息子が生きていたのだから。新たな魔王軍とやらを作るに当たり、担ぎ上げるには格好の存在だ。相手にしてみれば、これを逃すすべはない。


「あいつを新たな魔王に据えようってか? そんな事させるかよ!」


 凍った湖面を蹴り、再びリンは魔族の女に肉迫する。しかし、魔族の女もなかなか素早く、まともに剣が当たらない。手傷を負ってこれだけ動けると言う事は、まだ余力を残していると言う事だ。


 リンは舌打ちしつつ、剣を振るう。今彼女が振るっているのが聖剣エヴァンスレイであったのなら、とうに決着はついていただろう。エヴァンスレイには光の精霊の力がこもっており、魔の者を祓う力があるのだ。だが、今リンの手にあるのは聖剣ではなく、一般に流通している鋼の剣。鋼の剣は重く、振り回すだけでも相当な力が要る。エヴァンスレイであればもっと速く振るうことができるが、鋼の剣では今の剣速が精一杯だ。


「噂に聞くリンドランテも大したことないな。それとも、歳食って衰えたか?」


 魔族の女がにやりと笑う。リンはその様子に憤りを感じつつ、それでも冷静に答えた。


「いいや。お前如きに本気を出すのもアレかと思ってな。それに、この洞窟を崩しちまったら、いろいろとまずいんでね」


 事実、リンはまだ本気を出していない。リンが本気を出すと、周囲に何かしら影響が出るのだ。それほどに彼女の持つ加護は多岐に渡っていた。


「流石に目が慣れてきた。これでやっと少しまともに戦える」


 リンはその場で跳びはね、リズムを取る。今までは碌に見えない敵相手だったが、暗闇に目が慣れてくれば状況は変わるのだ。五度目のジャンプで呼吸を整え、一気に魔族の女との距離を詰める。


「悪いがここからは、私の独壇場だ」


 不敵に笑うリンと、それを迎え撃とうと試みる魔族の女。暗闇での戦いはついに最終局面を迎えていた。

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