第九話 ダイアモンドトータス
一一頭のマッドウルフの解体には骨を折ったが、出発の時間にはどうにか間に合わせる。解体したマッドウルフの素材は憲兵の馬車に積んでもらえる流れとなり、一行は王都への道のりを進んだ。
タクトはこんなに長い時間馬車に揺られるのは初めてだ。普段は徒歩での移動がほとんどなので、馬車自体に乗った経験が皆無に等しい。それもこんな豪華な馬車ともなれば、その感慨はひとしおだった。
「どうした、タクト。そんなにソワソワして」
「快適過ぎて落ち着かないんだよ。今までの貧乏旅が嘘みたいだ」
足が棒のようになるまで歩くなんてざらのこと。テントもなしに野宿するのも当たり前。普段からそんな生活をしていれば、この状況は天国と言っても過言ではない。
「そう言う師匠は随分落ち着いてるじゃないか。まるで慣れてるみたいだ」
対するリンの落ち着きようと言ったら、まるでそれが当然とでも言うような態度だ。こんなに豪華な馬車など、貴族でもなければ乗る機会等なさそうなのに。
「いろいろあるんだよ、私にも」
いつも通り、リンは何も語ってはくれなかった。そうまでして隠したい過去とはどんなものなのだろう。気にはかかるが、訪ねた所でまたはぐらかされるのは目に見えている。タクトは仕方なく、窓の外に目を向けた。
穏やかな平原だ。どこまでも続く草原が、風に揺られてざわざわと音を立てている。草の丈は低く、見通しが利くので、ここいらは安全だろう。そうなれば護衛である自分達の役目はない。しばらくはのんびり出来そうだ。そう思っていると、馬車が急に止まる。
「何事だ!?」
クランハイト公爵が声を上げると、従者の男性から返事があった。
「申し訳ございません、旦那様。どうやら前方に障害物があるようでして……」
「障害物だと?」
リンと顔を見合わせて、馬車から降りる。すると憲兵達の馬車の前方に、確かに障害物と思しき塊があるのが目に入った。
「あれは……。トータスか?」
トータスは陸生のカメの魔獣で、生息域は様々。こういった平原にも住んでいたりする。性格は温厚なものが多く、あまり危険な魔物ではないので、放置するのが一般的だが、その姿を見たリンは目を輝かせた。
「……タクト。こいつはダイアモンドトータスだ!」
ダイアモンドトータス。その名の通りトータス系の魔物だが、甲羅がダイアモンドで出来ているという希少種だ。素材の換金率が非常に高いので、冒険者によって乱獲され個体数を減らしているという。
「これがダイアモンドトータスか~。実物は初めて見るな」
「感心してないで、さっさと狩って来い! これを逃す手はないぞ!」
「え~、いや、でも。こいつ等は性格も温厚で、危険な魔物じゃない。ちょっと迂回すれば済む話だろ?」
「バカ言うな! 金づるがそこにあるのに、放って置ける訳ないだろ! この機を逃したらもう一生お目にかかれないかも知れないんだぞ!?」
リンの中ではもう換金の想像が始まっているようだ。確かにこれだけ大きなダイアモンドの結晶なら売れば相等の金になるだろうが、のんびり生きているだけの魔物を殺す事は躊躇われた。
「なぁ師匠。こいつはそっとして置こう。こいつだって必死に生きてるんだ」
「……なのな~、タクト。金はいつでも簡単に手に入る訳じゃないから貴重なんだ」
「それはそうだけど……」
「こいつを換金できればお前の装備だって新しく出来る。それにしばらくは働かなくても、美味いものを腹いっぱい食えるんだぞ?」
「俺は今のままでいいよ。別に高い装備が欲しい訳じゃないし。それに働かなくなったら、師匠はただの飲んだくれじゃないか。そんな生活、嫌だぜ?」
ただでさえものぐさなリンが更にものぐさになってしまう。そんな事態だけは避けたい所だ。
「……お前がやらないなら私がやる」
「お、おい、師匠?」
リンが剣に手をかけた。タクトは慌ててリンを羽交い絞めにする。
「何をする、タクト! 止めてくれるな!」
「ダメだって、師匠! 無益な殺生は禁止なんだろ!?」
「私達の懐が暖まるんだから有益だ! ええい、こら、放せ!」
「放さねぇよ! 放したらあいつを殺すんだろ!?」
そうして騒いでいると、ダイアモンドトータスがこちらに気付いたのか、ゆっくりと移動を開始した。やはり向こうにはこちらとやり合うつもりはないらしい。タクトは暴れるリンを何とか押さえ込み、ダイアモンドトータスが去るのを待った。
ダイアモンドトータスの姿が見えなくなった頃になって、ようやくリンが大人しくなる。タクトがリンを開放すると、振り返ったリンがタクトを睨んだ。
「おい、タクト! 何で止めた!」
リンに睨まれるのは背筋がゾッとするのであまり好きではないが、それでもタクトは視線を逸らさずに、真っ直ぐリンを見据える。
「あいつを殺すのは間違ってる。金のために誰かの命を一方的に奪うなんて盗賊と同じじゃないか。師匠にはそうなって欲しくない」
「バカか、お前は。生きるために金は必要だ。どこにいても、どんな時でも、金がなきゃ生きていけないんだぞ」
「それでも、あの状況であいつを殺すのはフェアじゃない。俺だって今まで結構な数の魔物を殺してきたけど、それは人に害を成したり、自分の命が危うくなった時だけだ。あの温厚なダイアモンドトータスを殺すのは……何か違う」
リンは大きくため息をついてから、頭をガシガシとかいた。
「ちょっとばかり甘っちょろく育て過ぎたかな。まぁ、そうしたのは私なんだが……」
剣を鞘に納め、リンはタクトの頭をガシッと掴む。
「今回は見逃してやる。だがな、生きるってのはきれい事だけじゃ済まないんだ。それは憶えておけ」
「……はい、師匠」
最後にタクトの頭をグリグリと撫で回し、リンは馬車に戻って行った。その場に残されたタクトの脳裏に、リンの言葉が再生される。
「きれい事だけじゃ済まない……か」
これまでも様々な理由で怒られて来たが、今回の説教は殊更胸に響いた。リンもただ贅沢がしたくてダイアモンドトータスを殺そうとしたのではないという事は何となく理解できる。タクトの装備は実際に古ぼけているし、食事だって腹いっぱい食べている訳ではない。自分のためだと言われれば、安易に突っぱねる訳にも行かないというのも理解できた。放っておいても、どこかの冒険者に狩られてしまうかも知れない。それを止める権利は自分にはない事もわかっている。それでも、タクトは殺したくなかったのだ。ただ平和に生きているだけのダイアモンドトータスを。
それはタクトが両親を失っているという事が深く関わっていた。一五年前、魔族の進軍で焼かれた村の生き残り。それが赤ん坊の頃のタクトであり、リンがいなければタクトはその場で死んでいたと言う。だが、これらはあくまでリンから聞いた話なので、その全てが真実かどうかはわからない。状況に関してはリンの憶測も混じっているだろう。話を聞く限り、リンはタクトの両親の死を目撃した訳ではないのだから。
障害物がなくなり、憲兵達の馬車が移動を開始する。タクトはため息を一つ吐いて、自らも馬車に戻ることにした。いつもなら叱られた後は一人で過ごす事が多いが、今は馬車での旅の真っ最中。一人でいるためにみなの足を止める訳にはいかない。しばらくはリンとも気まずくなるだろうが、それは時間が解決してくれるだろう。
タクトはダイアモンドトータスが去っていった方を見た。既にダイアモンドトータスの姿はそこにはないが、彼、もしくは彼女は今後も命を狙われ続けるのだろう。出来る事なら長生きして、無事天寿を
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