第116話 ハーフエルフの奮戦
「またかくれんぼですの? わたくし、そろそろ飽きてきましたわ」
そう不満げに漏らしたのは、若い女の姿を悪魔だった。
長い紫色の髪を靡かせ、背中には漆黒の翼が、頭部には角が生えている。
翼を広げて宙を舞いながら、眼下の街並みを見下ろしていた。
(……今です)
家屋の陰に身を潜めていたセルカは、その悪魔の死角から矢を射放った。
風を纏った矢が高速で虚空を貫き、悪魔の頭部目がけて飛んでいく。
だが直撃する寸前に気づかれ、身を翻した悪魔に矢は回避されてしまう。
その赤い瞳が、矢の軌道を辿ってセルカの居場所を特定する。すぐに急降下し、一直線に襲い掛かってきた。
「あら、もういませんわね」
だが悪魔がその場に辿り着いたときにはもう、そこにセルカの姿は無い。
セルカは攻撃が失敗に終わると悟るや否や、すぐにその場から離脱していた。
隠密で気配を消しつつ、次の狙撃ポイントへ向かって移動している。
「隠れてばかりでつまらないですわ」
(……そうは言われても、これが私の得意とする戦い方なのですが)
相手は下級悪魔とは別格。
恐らく中級の悪魔だろう。
セルカは単身でこの悪魔を、すでに人々が避難を終えた場所へと誘導し、交戦していた。
そして隠密や矢による遠距離攻撃を得意とする彼女にとって、この戦法は唯一、格上の敵を倒せる可能性のある戦い方だった。
(ですが、あの悪魔は勘がいいからなのか何なのか分かりませんが、矢に気づいて防いでくる……)
単に死角からというだけでなく、もっと不意を突いていかなければならないようだ。
ただでさえ格上だというのに厄介ですね、と彼女は内心で舌を打つ。
「隠れるというのなら、隠れられなくすればいいですわ」
「……っ? 何を……」
再び空へと舞い上がった悪魔が連続で魔法を発動した。
中級の火魔法であるエクスプロージョンだ。
家一軒吹き飛ばす威力があるそれを、なんと悪魔は無差別に放ち始めたのだ。
バァンッ、という激しい爆音とともに、セルカが身を潜めていた家屋が爆散する。
セルカは風の後押しを受けながら寸前で距離を取っていたため、四散した木片を浴びつつもどうにか爆発に巻き込まれることだけは避けることができた。
だが敵の前に身を晒してしまうことになる。
「そこにいらっしゃったのですわねぇ」
「くっ……」
まさかこんな乱暴な手を使ってくるとは。
住民が避難を終えているとは言え、このままでは家屋への被害が甚大だ。仕方なく、セルカは再び家屋に身を潜めることを諦めて悪魔と対峙した。
幸い、まだ距離がある。
必殺の一撃で仕留める――
「アサルトレイン!」
一度に十本以上もの矢を放つ、セルカの大業だ。
下方から迫りくる矢の雨。悪魔は翼をはためかせてそれを回避しようとするが、
「っ!? 追ってきますの……っ?」
風を操作することで、逃げる悪魔を追跡するように矢が軌道を変えた。
元より速度は矢の方が速い。襲来する矢の群れを前に、さすがの悪魔も避けるのは不可能だと判断したのか、
「だったらこうやって防げばいいだけですわ」
矢群の中心で盛大な爆発が巻き起こった。
エクスプロージョンだ。
矢が爆散する。どうにか破壊を免れた矢も、爆風で軌道を強引に変えられてしまい、悪魔の周囲を掠めていった。
「ふふふ、なかなかいい攻撃でしたけれど、まだまだ甘いですわぁ」
宙に制止しながら艶然と微笑む悪魔。
だがその背後に一本の矢が迫っていた。
それは相手の不意を突くため、時間差で放っておいた一撃だ。
今度こそ仕留めた――と思ったセルカだったが、悪魔は驚くべきことに本当に寸前でそれを察し、回避行動を取っていた。
ただし完全には避けることができず、矢は悪魔の頬を抉っていった。
それでも致命傷には程遠いだろう。今度こそ完璧に不意を突いたというのに、この結果だ。さすがにセルカは落胆を隠せない。
「……わ、わたくしの……」
「……?」
傷つけられた頬を抑えながら、悪魔が全身を震わせていた。
明らかに様子がおかしい。一体何があったのかと、セルカが息を呑んでいると、
「よくも……よくもっ……よくもわたくしの美貌にぃぃぃぃっ!!!」
これまでの態度が一変。
顔を忌々しげに歪めながら悪魔が怒号を轟かせた。
「なんてことをっ! なんてことをっ! わたくしのこの美しい顔に傷を付けるなんて、あんまりですわぁぁぁっ!」
いえ、別に美しくはないかと……と、セルカは内心でツッコんだ。
あの女悪魔、お世辞にも決して綺麗な顔ではない。むしろ、失礼だが不細工と言っても過言ではないレベルの顔面偏差値だ。あくまでも人間基準で言えば、だが。
ちなみに体型はちょっとぽっちゃり系だ。
「もしかして嫉妬ですの!? どんどん美しくなっているわたくしに嫉妬したんですのね!? 自分たちこそが最も美しいと自慢しているエルフらしい陰惨なやり口ですわねぇ!」
もちろんセルカに嫉妬などした覚えはない。
それと、エルフは確かに自分たちの美貌を鼻にかけているところはあるが、セルカはハーフエルフだ。人間たちに交じれば美人の部類に入ると思ってはいるが、エルフほど己の美しさに自信がある訳ではなかった。
「殺す! 殺す殺す殺す殺す殺して差し上げますわぁっ! そして殺した後も許しませんわ! その自慢の顔を醜くズタズタにしてあげますのよぉっ!」
……そんなことを主張したところで、目の前の怒り狂った悪魔には通じないだろうが。
だが冷静さを失っている今、逆にチャンスかもしれない。
セルカは弓を構えた。
しかし悪魔は何を考えたか、いきなり空高くへと上昇し始める。いや、あの高さとなると、地上から放つ矢では威力が大幅に減退してしまう。それを踏まえてのことだろうか。
悪魔は百メートル以上の高さまで上がると、そこで停止した。
そして膨大な魔力が収束していく。
「いけません……っ!」
セルカは嫌な予感を覚えて矢を放つ。だがやはり距離が遠く、簡単に躱されてしまう。
そうこうしている内に、巨大な魔法陣が空に展開された。
「あ、あれは、まさか……」
火の超級魔法――劫火地獄(ブリムストーン)。
肌が粟立つ。
あんなものを放たれたら、この辺りの家々は軒並み全焼……いや、木造建築の多い街だ。延焼して一帯が炎の海に成りかねない。
「安心なさいな。こんな大雑把な方法では殺しませんわ。あなたのいる場所だけは避けて燃やしますの。まずはこの一帯を焼け野原にして、それからじっくりと料理して差し上げますのよ」
そして、猛烈な火炎の渦が空から降ってくる――
「え?」
かと思われたその寸前、悪魔の背後に突如として小さな人影が出現したかと思うと、揃ってどこかに消えてしまった。
セルカは呆気にとられたようにその場に立ち尽くす。
「今のはもしかして……」
◇ ◇ ◇
「……は?」
中級悪魔リベアスは、いきなり周囲の光景が切り替わったことに間抜けな声を漏らした。
今まさに放とうとしていた超級魔法がキャンセルされ、魔力が霧散する。
眼下にあるのは海だった。
遥か向こうには陸地が見える。
まさか、転移魔法……? と思い至ったところで、初めて背後の気配を察して慌てて振り返った。
まだせいぜい七、八歳くらいと思われる少女がいた。
「セルカおねーちゃんをいじめるの、だめなの」
少女は怒ったように咎めてくる。
「あ、あなたの仕業ですの? ですがこんな子供が、転移魔法なんて……」
と、そこでリベアスは気が付く。
少女の頭部に生えた羊のような角と、背中にはためく漆黒の翼。彼女はその翼で空を飛んでいるのだ。……リベアスと同じように。
「悪魔ですの……? それに、この鮮血のように真っ赤な頭髪は……まさか……」
赤い髪の悪魔と聞いて真っ先に思い至るのは、悪魔であれば誰もが知る最上級悪魔の名……
「ルノア、わるいひとはやっつけるの」
次の瞬間、詠唱も何もなく唐突に、リベアスの頭上へ巨大な雷霆が降ってきた。
超級雷魔法――雷神鉄槌(トールハンマー)。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
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