彼女の名はL

担倉 刻

第一章 レディース仮面、三原中川に立つ

第1話 彼女は走ってやってくる

 初夏の空気が涼しい、私立三原中川学院。

 最近ではすっかり珍しくもなくなった叫び声が、学院の片隅で上がった。


「やだっ……こんなの、聞いてないわよっ!」


 二年五組、岡部美幸おかべみゆき

 平々凡々な女子高校生、の、はずだった。

 クラス委員に呼び出され、のこのこと顔を出したのが運の尽き。

 彼女は瞬く間にヤンキーどもに囲まれてしまった。


「ごめん、岡部さん……誰か一人連れてきたら、許してやるって言われて……」

「サイッテー! あ、もちろん、あんたたちがね! 何考えてんの!」

「ぺちゃくちゃと騒げるのも今のうちだ。すぐ楽になる」

「ちょ……放してよっ!」


 腕をつかまれる。


「誰かっ、助けてっ!」


 叫ぶ。

 だが、それが無駄なことであるのは十分わかっている。

 特に、この学校に通うようになってからは。

 ヤンキーどもが跳梁跋扈するこの高校において、一般生徒が襲われるのなどは日常茶飯事。

 カツアゲ、暴力、そのほか諸々。

 普通だった生徒も、ひとたび捕まればすっかり人が変わったようにヤンキー化する。

 誰もが見て見ぬふりをしているのだ。

 美幸など、二年生になった今の今まで無事でいられたのがただの幸運であった。

 それでも。

 彼女はもう一度、力いっぱい叫んだ。


「助けて――――ッ!」

「無駄だっ! 諦めてこっちに来い!」


 そのとき――――


「寄ってたかって一人をってのは、ちょっとズルいんじゃなあい?」


 よく通る声がした。

 少し低めだが、それは女性の声だった。


「誰だっ」


 声のするほうを見る。誰でもいい、この状況をどうにかしてくれるなら。

 その恰好はワインレッドのノースリーブにミニスカート。

 首にはグリーンのマフラーを巻いて、頭には長いハチマキを締めていた。

 腰には木刀らしき長物を差していて、どう見ても場違いのコスプレイヤーといった風体だ。


「いや……ホントに誰……」


 ヤンキーは突然の闖入者にあっけにとられた顔をしている。

 美幸も半ば呆れ顔で彼女を見た。

 仮面で隠されているため目の表情はよく見えないが、口元がにい、と笑う。


「何の用だ! ここはコスプレ会場じゃねぇぞ!」

「コスプレなんかじゃないわ。あたしはこの学校をもとに戻すために来たのよ。そしてあんたたちもね」


 胸を張ってそう言い切った女性に、ヤンキーたちはますます逆上した。


「そんなことされてたまるか! おいっ、お前ら、こいつも一緒に捕まえろ!」

「はいっ」


 手下格と思われるヤンキーたちが飛びかかる。

 屈んで一人めの攻撃をかわす女性。

 同時に、腰に差していた木刀を少し抜いて、ずどんと当てた。


「ぐっふ」

「光あるところに影あり――悪あるところに正義あり」

「お前っ」


 二人めが後ろから羽交い絞めにしかける。

 女性は振り向きざまに木刀を抜いて、水平に滑らせる。脇腹を正確にとらえた。


「山あるところに谷があり、川の先には海がある! そしてッッ!!」


 飛びかかる三人めの脛に木刀をがづんと食らわせる。


「全ての道はローマに通ず!!」


 四人め。木刀の柄の部分を、首筋に勢いよくぶつける。


「世紀末の覇者、レディース仮面!! 只今参上ッ!!」


 ようやく彼女が名乗り終わったとき、周りにはヤンキーたちがゴロゴロと転がっていた。

 小さなうめき声が聞こえてはいて、とりあえず死んではいないのだと美幸は安堵した。


「レ……レディース仮面だとっ……!? なんだそのふざけた名前はぁああぁ!!」


 ボス格のヤンキーは絶叫した。

 それはそうだ、そんなふざけた格好でふざけた名乗りをした女に木刀でボコボコにされたとあっては、あしたから校内はまともに歩けない。


「ふざけてなんかないっ! それがあたしの名前よっ!!」


 レディース仮面は大真面目に木刀を構え直した。

 その胸倉をつかもうと、ヤンキーが太めの腕を伸ばす。

 木刀が伸ばした腕を下から叩き上げる!


「ぐあっ」

「木刀クラッシャ――――――ッ!!!!」


 スキのできた脇腹に、木刀を叩きつける。ボス格のヤンキーはくの字に折れ曲がって、泡を吹いて倒れた。

 一部始終を呆然と見ていた美幸は、ようやく我に返った。


「あっ、あのっ、えと、ありがとうございましたっ」

「長居はしないほうがいいよ、また襲われるかもしれないからね」

「えっと、あなたは……」


 美幸の口を指で押さえて、レディース仮面はニッと笑った。


「あたしのことは秘密にしといてね」


 そのまま、彼女はいずこかへ走り去る。

 美幸はその背中をただ茫然と見つめているだけだった。

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