第35話 元婚約者、カーティスの悔恨

 リナン王国の王太子カーティスは、父王の前に立って項垂れていた。

 禁止されていたにも関わらず、元婚約者のサーラに会いに修道院に行ったことを咎められたのだ。

「王太子であるお前は、個人の感情ではなく国のために生きなくてはならないのだぞ」

 重々しい父の声が、呆れを含んでいる。

 カーティスがサーラに会いに行ったのは、一度だけではないからだ。

 父の叱咤に何も答えることができず、カーティスはただ俯くだけだった。

「それができないのであれば、王太子の地位を返上するがいい」

「!」

 サーラに償うことばかり考えていたカーティスも、さすがにその言葉には動揺した。

「それは……」

 このままでは廃嫡されて、異母弟が王太子になってしまう。

 今はまだ良い。

 父が亡くなって異母弟が王になったときのことを考えると、何も言えなくなっていた。

 サーラのことよりも、保身を考えていたのだ。

 我ながら、自己中心的な考えだと呆れ果てる。

 だが、サーラが行方不明になったと聞いた瞬間、その躊躇いも消え去った。

 一時期、行方が分からなくなっていた彼女だったが、隣町にある孤児院の手伝いに行っていたことが判明した。そこから修道院に帰る途中、孤児院から護衛代わりに付き添っていた雑用係とともに、姿を消してしまったのだ。

 調査の結果、人買いに攫われたようだと判明した。

 王都の外の治安がそこまで乱れていたことを、王太子であるはずのカーティスも知らなかった。

 貴族社会でも際立って美しかったサーラが、無防備に郊外を歩いていることがどれだけ危険なことなのか。彼女自身も知らなかったに違いない。

 いくら捜索しても手掛かりすら掴めず、サーラの父のエドリーナ公爵でさえ、もう娘のことは諦めてしまったようだ。

 あなたを一途に想っていた娘のことを、どうか忘れないでほしい。

 そう訴えられ、カーティスはとうとう王太子の地位を返上することにした。

 サーラには、何の咎もない。

 ただ一途に自分を想っていてくれただけだ。

 修道院に会いに行ったときに拒絶されたのも、自分のことを心配してのことだろう。愛するが故に、突き放したのだ。

 そんな優しい彼女ばかり、どうしてこんな過酷な運命に巻き込まれてしまうのか。

 実の父親でさえ、カーティスから見れば大した捜索もせずにサーラのことを諦めてしまっている。

 言葉だけは愛娘を気遣う父親の振りをしているが、彼の興味はもう、次の王太子とその婚約者となった姪に向けられていることは明白だった。

 せめてひとりくらい、何もかも捨て去って彼女のために生きる男がいてもいいのではないか。

 エリーに騙されてサーラを一方的に攻撃し、反論もできなくなるまで傷つけた。その償いをしなければならない。


 当然のように、母である正妃は怒り狂った。

 あれはすべて国王とエドリーナ公爵の策略であり、カーティスはそれに乗せられているだけだと言い放つ。

 たしかに、母の言う通りかもしれない。

 王太子の地位を手放してみると、色々とわかってきたことがある。

 思っていた以上に、ソリーア帝国出身の母と、その血を引く自分は疎まれていた。

 ソリーア帝国はたしかに大国だが、近年は内部紛争でかなり力を落としている。今までのように、絶対的な強者ではないのだ。

 このリナン王国も、徐々に帝国の影から抜け出そうとしている。

 そんな時期に、帝国の血を引く者が王太子であることを、快く思わない者が増えていても不思議ではない。

 まして、父には男子がもうひとりいる。

 異母弟の母は側妃だが、この国の侯爵家出身で、由緒正しい家柄だ。

 きっと父にはもう、母も自分も不要な存在なのだろう。

 だからエリーに騙されていても、誰も助言してくれなかったのだ。

(それでも、サーラは違う。彼女だけは、そんな企みを知らなかったに違いない)

 許してくれなくても、かまわない。

 ただ彼女だけは、何としても救い出さなくてはならない。

 調査を続けるうちにカーティスが気になったのは、サーラの護衛として同行した、雑用係の男だ。

 あまりにも痕跡がないことから、彼がサーラを攫ったのではないかと考えた。詳しく調べると、その雑用係は若い男性で、この国では珍しい黒髪をしていたらしい。

 サーラ自身の情報がまったく掴めない以上、その黒髪の男を追ってみるしかないようだ。

 この国ではかなり珍しい黒髪だ。目撃情報も多いだろう。

 人も金も時間もたっぷりと費やして調べたところ、黒髪の男性が、金色の髪をした美しい女性を連れて、船で隣国に移動したらしいという情報を得ることができた。

 もしかしたら、その女性がサーラかもしれない。

 だがそれを確かめるためには、隣国に移動する必要がある。

 王太子の地位は返上したものの、カーティスがリナン王国の王族であることは変わらない。

 国王の許可なく隣国に移動することはできない。

 もし破れば、王族ですらいられなくなるだろう。

 帝国の血を引く自分を排除したい父が、それに同意してくれるとは思えない。

 港町で三日間考え込んだあと、カーティスは母に向けて別れの手紙を書き、船で隣国に向かった。

 サーラも、自分のせいで何もかも捨てることになったのだ。

 カーティスもすべてを捨てて、彼女を助けに行こう。

 そう決意した。


 カーティスがこの国を出たすぐ後に、父はカーティスの廃嫡を正式に発表し、異母弟を王太子にしていた。

 サーラを追ってこの国を出ることまで、想定済みだったのだろう。

(それでもかまわない。俺は、それだけのことをしてしまった)

 リナン王国の王太子だったカーティスは、ただのカーティスとなり、サーラを追ってこの国を旅立ったのだ。


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