第31話
エリーレは皇太子の婚約者であり、半年後には皇太子妃になるはずだった。
その妹を死なせてしまったルーフェスの責任を問う声が、ピエスト侯爵の派閥から上げられた。
これからまた、別の令嬢が皇太子と婚約する可能性がある。逆らう者には容赦しないと示したかったのだろう。
もう敵のいない彼らの勢いは強く、こちら側だったはずの人間も、声を揃えてその主張に同意した。
ルーフェスの周囲からは人が消え、婚約も解消となった。
それに関して思うことはない。
もともと、すべては妹のためだったのだ。
今さら必要のない人脈であり、婚約だった。
彼らの主張に何ひとつ反論せず、ルーフェスは、皇太子の婚約者を死なせてしまったことに対する責任を取ることになった。
表向きは謹慎。
だがルーフェスにはもう、領地に戻るつもりさえなかった。
妹のいない領地にも、この国にも未練はない。
遠い縁戚の者を領地に呼び寄せて、彼が到着したことを確認すると、そのまま領地にも屋敷にも戻ることなく帝国を出た。
それから各国を彷徨い、サーラと出逢ったあの孤児院に辿り着いたのだ。
◆◆◆
ルース……。いや、ルーフェスはすべてを語り終えると、静かに瞳を閉じる。戻らない過去に思いを馳せているような姿に、サーラは両手をきつく握りしめた。
王太子の婚約者として過ごしてきたサーラには、妃教育の厳しさも、王城内で味方がいないつらさもよく知っている。
もうひとりの婚約者であるマドリアナが親切にしてくれたとはいえ、互いの立場を考えれば、完全に心を許すことはできなかったに違いない。
彼女の父親の権力が強い状態では、学園の友人たちも遠巻きに様子を伺っていたことだろう。
友人たちが薄情なのではない。
貴族社会とは、そういう世界なのだ。
そんな中、ルーフェスの妹のエリーレは、孤立無援の状態で必死に頑張っていたのだろう。そして彼女は、体調を崩しても心配をかけたくないと隠してしまうほど、優しい女性だった。
だからこそソリーア帝国の皇太子は、そんな彼女を強く望んだのかもしれない。
跳梁跋扈する世界で生きている彼にとって、その優しさや素直な明るさは、至宝とも思えるほど貴重な存在だったのか。
ルーフェスの話を聞いているだけで、彼のエリーレに対する愛が伺える。その深い愛が、こんなに悲劇的な結末を迎えてしまうなんて痛ましいことだ。
王城は華やかで美しい場所に見えるが、権力と陰謀が渦巻く恐ろしい場所でもある。
まだ爵位を継いだばかりのルーフェスは、そんな貴族社会の中でひとりきりで妹を守っていたのだ。その苦労は、きっと言葉では言い尽くせない。
それだけすべてを賭けて守っていた存在を、彼は失ってしまった。
エリーレが亡くなってしまったのは、もちろんルーフェスのせいではない。
不運が積み重なってしまった結果だ。
むしろ皇太子よりもルーフェスの存在こそが、エリーレの心の支えになっていたのではないかと、サーラは思う。
(わたしには、誰ひとりとして味方がいなかったから、よくわかるわ)
父にとって、サーラは道具。
兄に至っては、ここ数年、顔も合わせていない。
両親はサーラの味方をするどころか、婚約を破棄されたとき、率先してこちらを責めてきた。
もしあのとき、今のようにルーフェスが傍にいてくれたら。
そんなことを考えても無意味だとわかっているのに、ついそう思ってしまう。
しかもサーラと違って彼の妹は、婚約者である皇太子にも深く愛されていたのだ。偽聖女が囁く甘い言葉にすっかり騙されて、サーラを嫌悪して責め立てたカーティスとはまったく違う。
不幸にも若くして亡くなってしまった人を、羨ましいなんて思ってはいけない。
でも、サーラにはエリーレが不幸だったとは思えない。
それを伝えたくて、口を開いた。
「わたしの婚約者であったカーティス王太子殿下は、わたしの言葉を何ひとつ、信じてくれませんでした」
「サーラ?」
俯いていたルーフェスが顔を上げて、サーラを見つめた。驚いた様子の彼に微笑みかけて、言葉を続ける。
「お父様は婚約を破棄されたわたしに、役立たずだと言いました。同じ屋敷に住んでいるはずのお兄様とは数年間、顔も合わせていません」
エリーレと違い、権力者であった父のお陰で、表立ってサーラにつらく当たる人はいなかった。
でも、味方もひとりもいなかった。
「だから、わたしにはわかります。きっと、たくさんつらい思いをなさったのでしょう。でもどんなときも絶対に味方になってくれる兄の存在は、エリーレ様にとって、何よりも心強かったと思います」
似たような立場だったから、よくわかる。
そしてただの慰めなどではなく、経験に基づいた言葉だから、きっとルーフェスにも伝わるだろう。
「そうだとしたら、どんなに……」
そう言いかけた彼は、サーラの立場を思い出したのか、言葉を切った。
「いや、あなたがそう言うのなら、そうだったのかもしれない」
サーラの願い通り、後悔と喪失感に囚われていたルーフェスの表情に、ほんの少しだけ希望が灯る。
いつまでも兄が後悔し続けることを、きっとエリーレは望んでいない。
ルーフェスが妹を大切に思っていたように、彼女もまた、たったひとりの兄を愛していただろうから。
「サーラは、妹よりも過酷な状況で、ひとりで戦っていたのか」
エリーレの魂が、安らかに眠れるように祈っていたサーラは、ふとそんなルーフェスの言葉に顔を上げた。
「味方になってくれる人がいるとは、最初から思っていませんでした。だから、エリーレ様よりも過酷かどうかは……」
愛されたことなどなかったから、誰にも期待はしていなかった。
だから愛を知っていたエリーレの方が、つらかったのかもしれない。
そんなことを言って首を傾げたサーラの手に、ルーフェスがそっと触れる。
「今は、俺がいる。君の願いを必ず叶えてみせる」
亡くなってしまった妹の身代わりかもしれない。
でも、サーラの味方だと言ってくれる。
自由に生きたいという願いを叶えると言ってくれる。
それがこんなに心強いなんて思わなかった。
思わず涙が滲んできて、俯いた。
「……ありがとう」
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