第30話
それから、信頼できる者に領地の運営を任せることにして、ルーフェスも王都に移り住んだ。
エリーレが皇太子の婚約者となってしまったからには、祖父や父のように、領地に引きこもっているわけにはいかない。
妹を守るため、なるべく社交の場に出る必要があった。
夜会などでピエスト侯爵と対抗する立場の者と接触して、味方を増やしていく。そうしているうちに、高位の貴族令嬢と婚約の話も出た。
相手は顔を合わせたこともない女性だったが、すぐに承諾した。
ルーフェスの婚姻によって、向こう側は皇太子妃の身内になれる。こちらは、有力貴族の後ろ盾を得ることができる。どちらにも利がある婚約だった。
このときのルーフェスは、ただ妹のエリーレのためだけに動いていた。
話が進むうちに妹も覚悟を決めたようで、以前よりも明るい顔をするようになった。
必ず守ると言った皇太子も、その言葉通り、常に妹の傍にいてくれる。最愛のエリーレのためならば、父である皇帝陛下にも逆らうほどだ。
あまりの寵愛ぶりに、これなら本当にエリーレが、ピエスト侯爵の娘を退けて皇太子妃になるかもしれない。そう思う人が増えたようで、ルーフェスの周囲も騒がしくなった。
そもそも後ろ盾がないだけで、エリーレは公爵令嬢なのだ。
高位の令嬢を優遇する皇太子は、間違ったことをしているわけではない。
近寄ってくる者の中には、ただ権力を持つ側に擦り寄りたいだけの輩もいる。
それでも今は、ひとりでも多くの味方がほしい。
下心を持って近付いてくる者にも、表向きはにこやかに接した。妹とよく似た美貌も、少しは役に立ったようだ。
さらにエリーレも、思いがけない味方を得ていた。
皇太子のもうひとりの婚約者である、ピエスト侯爵の令嬢マドリアナだ。
彼女はすぐに、エリーレが皇太子ほどの情熱を持っていないことに気が付いたらしい。望んでいないのに表舞台に引っ張り出されたエリーレに同情して、いろいろと親切にしてくれたと言っていた。
「とても素敵な方なのよ」
エリーレは嬉しそうにそう語り、顔を合わせるたびに彼女の話をするようになった。最近は宮廷で妃教育を受けたあと、学園の寮にあるマドリアナの部屋に招かれて、一緒にお茶を飲むようになったらしい。
彼女もまた、皇太子の婚約者である。
だが、父親ほど野心家ではないようだ。
エリーレにとって、長い付き合いになりそうな相手と、仲良くなれたのは良いことだ。ルーフェスはそう思っていた。
ピエスト伯爵は、何とか娘を皇太子妃にしようと画策していたようだが、当の皇太子が自分の正妃はエリーレだと定め、けっして心を動かさなかった。
エリーレが学園を卒業したら、すぐにでも正式に婚姻を結びたい。
彼は、ルーフェスにもそう語っていた。
それを現実にするべく、母である現皇妃を味方につけて、根気強く皇帝を説得していた。自分の側近の、ピエスト侯爵の娘を皇太子妃にしたかった皇帝も、息子の熱意に負けて、最後にはそれを承諾してくれた。
そして正式に、三年後にはエリーレが皇太子妃になることが決定したのだ。
皇太子は、必ず守ると言ったその言葉を実行したことになる。
今度はルーフェスがエリーレの兄として、ロードリアーノ公爵家の当主として。三年後の結婚式まで、妹をしっかりと守らなくてはならない。
ピエスト侯爵の陣営は、不気味な沈黙を守っていた。
彼がどう動くのか。
ルーフェスは常に気を配り、情報を集めていた。
だが、結婚式まであと一年に迫った頃に、異変が起きた。
エリーレが、体調を崩すことが増えたのだ。
食欲がなく、顔も青白い。
最近、覚えることが多くて忙しいからだと言っていたが、日に日に痩せていく姿を見て、皇太子も心配していた。彼と話し合い、やや強引に妃教育を中断して、屋敷で療養させた。すると、ひと月ほどですっかり回復した。
やはり忙しすぎたのだろう。
だが、これから式の準備や卒業に向けての試験などもある。いつまでも休むことはできず、再び学園と宮廷に通い始めた。
あのとき、もっと強引に休ませておけば。
ルーフェスは今でも強く、後悔している。
一度回復したことで、疲労からの体調不良だと思い込んでしまった。そしてルーフェス自身も、一年後の妹の結婚式のためにやらなくてはいけないことが多すぎた。
さらに、領地の仕事も山積みだった。
「私なら、大丈夫。それよりお兄様もあまり無理はしないで。酷い顔色よ?」
何とか時間を作って会いにいくと、かえって心配をさせてしまう。
だから妹からの「順調です。何の問題もありません」という連絡に安心して、顔を見に行く回数が減ってしまっていた。
取返しのつかない事態になっていると気が付いたのは、エリーレが宮廷で倒れたと連絡を貰ってからだ。
ルーフェスはその知らせを聞き、すべてを投げ出して宮廷に駆けつけた。すると皇太子が青い顔をして、エリーレの傍に寄り添っていた。
彼は隣国に外交に行き、昨日帰ってきたばかりだった。彼もまた結婚式のために、忙しい毎日を送っていた。
すべて、一年後の結婚式のため。
誰もが忙しく、ほとんど顔を合わせることもない日々でのできごとだった。
寝台に横たわっていたエリーレは、痩せ細った腕を伸ばして皇太子の手を握り、ごめんなさい、と小さく呟いた。
「心配をかけたくなかったの。お兄様も、ごめんなさい」
宮廷医師は、疲労で衰弱しているだけなので、ゆっくりと休めば大丈夫だと言った。ルーフェスは皇太子と話し合った結果、そのまま妹を屋敷に連れて帰り、しばらく休ませることにした。
エリーレはまだやらなくてはならないことが山積みだと言って嫌がったが、このまま無理をさせることはできない。
きっとあのときのように、充分に休養すれば良くなる。今は、エリーレの体調が最優先だった。
ルーフェスはずっと妹に付き添い、屋敷に赴いてくれた宮廷医師の言葉に従って看病し続けた。
だがエリーレは回復するどころか、日ごとに衰弱していった。
それを聞きつけたピエスト侯爵が、動き始めていた。
ルーフェスの婚約者となった令嬢の父親は、しきりに対策をするように言ってきたが、ルーフェスはエリーレの傍から離れなかった。
妹を皇太子妃にすることよりも、その身体のほうが大切だった。
皇太子もずっと屋敷に滞在して、エリーレに付き添っている。
だが、毎日のように訪れる宮廷医師は、次第に口数が少なくなっていく。とうとう自分で起き上がることもできなくなっていた。
「ああ、エリーレ。どうしてこんなことに……」
嘆く皇太子の言葉にも、答える気力がないようだ。
ずっと付き添っている皇太子は公務を放棄することになっていたが、皇帝は何も言わなかった。エリーレの容態が悪く、もう回復は見込めないと知っていたからだ。
ピエスト侯爵令嬢のマドリアナも見舞いたいと申し出てくれたが、もう面会できるような状態ではなかった。
宮廷で倒れてから、半年後。
もう半年で結婚式を迎えるはずだった妹は、皇太子に見守られながら息を引き取った。
愛する婚約者を失った皇太子の嘆きは深かった。彼自身もそのまま病みついてしまうほどだった。妹を守れなかった、ルーフェスも同じだった。
一度倒れたあとに、もっと気遣うべきだった。
皇太子とマドリアナが味方になってくれたとはいえ、宮廷ではまだピエスト侯爵の影響力は強い。
辺境の領地で育ち、やや世間知らずだった妹は、ルーフェスの知らないところで苦労していたのかもしれない。つらい思いをしたこともあったのだろう。
その結果、命を落としてしまうほど、無理をさせてしまったのではないか。
もともと、エリーレが望んだ婚約ではなかった。そのことに、ルーフェスは深い後悔を抱いていた。
たとえ皇太子の不興を買ったとしても、どうせ落ちぶれた名ばかりの公爵家。妹とふたりで、領地に籠って暮らしていればよかった。
むしろ、貴族の地位さえも捨てても構わなかった。
ただ、エリーレさえ生きていてくれたら、それだけでよかったのに。
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