第23話 元婚約者、王太子カーティスの後悔

◆ ◆ ◆


「わたしのこと、聖女だって……。王妃にしてくれるって言っていたじゃない!」

 目の前にいる黒髪の少女が、必死にそう叫ぶ。

 男爵家の令嬢、エリーだ。

 艶やかな黒髪とは対照的な白い肌。

 まだ幼さの残る可愛らしい顔立ち。

 あんなに愛らしく、守りたいと思っていた彼女が、今はとても忌々しく思える。

「暴れるな!」

 怒声が響いた。

 華奢な身体は衛兵に取り押さえられ、ここから引きずり出されようとしている。エリーは、自分を拘束する腕から逃れようと必死にもがくが、か弱い少女は簡単に取り押さえられてしまう。

 逃げられないと悟ったエリーは、必死に叫ぶ。

「助けて! カーティスさま!」

「……」

 少し前なら、エリーにこんな声で助けを求められたら、何を犠牲にしても助け出しただろう。だが今は、悲痛な叫び声にすら苛立ちを感じる。

 リナン王国の王太子カーティスは、不快さを隠そうともせずに目を逸らした。

(騙されていた。エリーは、自分が聖女だった頃の記憶があると言っていたというのに)

 さすがにカーティスも、聖女が好んでいた料理を作ったというだけでエリーが聖女だと信じていたわけではない。

 彼女ははっきりと自分にだけ、聖女であった頃の記憶が残っていると告げたのだ。

 エリーは間違いなく本物の聖女だ。

 ならば、その身柄は丁重に扱わなくてはならない。

 カーティスはすぐにでも父である国王に打ち明け、エリーを保護してもらおうとした。

 だが彼女は、まだ国王陛下には言わないでほしいと涙ながらに訴えたのだ。

「まだ記憶もはっきりとしないし、怖いの」

 自分が聖女であることを、受け入れることができない。

 怖くて仕方がない。

 そう訴えられてしまえば、強引に事を運ぶわけにはいかなかった。

 事の経緯が明らかになるまで、自分がしっかりと聖女であるエリーを保護すればいい。

 学園内で聖女として扱われるくらいなら怖くないと言っていたので、側近達にも事情を打ち明け、エリーを守るために協力してもらった。彼らも我が国に再び聖女が降臨したことを喜び、その護衛として選ばれたことを誇りに思ってくれた。

 聖女は、異世界からこの国に来たと伝えられている。

 エリーにもその知識があり、異世界の話をたくさんしてくれた。

 聖女が好きだったという料理も作ってくれたのだ。

 カーティスも側近たちも、エリーが聖女の生まれ変わりだと信じて疑いを持たなかった。

 そんなエリーが、カーティスの婚約者である公爵令嬢のサーラにいじめられていると訴えてきた。

 最初はさすがに信じられなかった。

 サーラは物静かでおとなしい令嬢だ。相手が誰であれ、いじめるとは思えない。

 だがそれが、父親であるエドリーナ公爵トリスタンの指示と聞けば、話は別だった。

 エドリーナ公爵家は、王家に継ぐ権威をもっている。

 その当主である彼は、帝国の皇族である王妃と、その息子である自分を敵視している。

 父がなかなか王太子を決めなかったのも、彼のせいだと母は思い込んでいた。だからこそ、あえてその娘であるサーラを婚約者としたのだと。

 エドリーナ公爵は、敵だ。

 昔から母にそう教えられていた。

 だが実際のサーラはどの貴族の令嬢よりも美しく、さらにカーティスに従順であった。

 だがそんな彼女が、公爵である父の命令で、聖女のエリーを虐げていたのだ。

 正式な発表はまだしていないが、王太子である自分が彼女を丁重に扱うことで、彼女が特別な存在であると伝えてきたつもりだ。

 それに学園内では大丈夫だと言っていたので、エリーが聖女だと周囲の者達にもわかるようにしてきた。

 サーラだって、それは知っていたはずだ。

 それなのにカーティスが大切に保護していたエリーを、サーラは害しようとした。

 それを知ったとき、理想的な婚約者だったサーラが急に忌まわしく思えてきた。

 彼女も所詮、エドリーナ公爵家の人間だ。

 カーティスが聖女を手にすることを疎ましく思っているのだ。

 もしかしたらあのおとなしい性格は見せかけで、中身は父親と同じくらい強欲なのかもしれない。

 カーティスが聖女を娶る可能性があることに気が付き、王太子の婚約者という地位を守るために、サーラはエリーに嫌がらせをしている。そう信じるようになっていった。

 サーラを見るたびにエリーを守り、彼女を罵倒した。

 それでも彼女が、エリーに対する嫌がらせをやめることはなかった。

 王太子であるカーティスが注意しても、聞き入れない。

 そんな女と結婚して、この国の王妃にすることなどできるはずがない。

 そう思ったカーティスは、エリーの目の前でサーラに婚約破棄を言い渡した。

 さすがにサーラは驚いた様子だったが、やがてすべてを諦めたような顔をして、頷いた。

「わかりました。それが、王太子殿下のお望みでしたら」

 それだけ言うと、さっさと退出してしまった。

 もっと泣き喚き、エリーを罵倒するのかと思っていたカーティスは、虚を突かれて呼び止めることもできずにいた。

 わざわざ人の多い夜会で婚約破棄を告げたのは、サーラのそんな姿を大勢の人たちに見てもらい、婚約解消の正当性を理解してもらうためだった。

 それなのに、サーラはあっさりと承知して立ち去り、エリーは悔しそうにその後ろ姿を睨んでいる。

 これでは、真逆ではないか。

 しかもそれから数日後には、エドリーナ公爵によってエリーはあっさりと偽物であることが暴露された。

 呆然とするカーティスの目の前で、彼女は衛兵によって引き立てられていった。

 エリーの背後には、エドリーナ公爵家と敵対している貴族たちがいたらしい。その中心には、エリーの養父となった男爵がいた。

それに気が付いていたエドリーナ公爵は、娘のサーラを使ってエリーを泳がせていたのだ。

 母が嫁いできた当初より、この国と母の出身であるソリーア帝国との関係は悪化している。中でも名門の貴族ほど、帝国の血を引くカーティスを快く思っていない。

 さらに今回の偽聖女事件によって、カーティスの王太子としての力量を疑う声が大きくなった。さらに婚約者だったサーラは、失恋のショックから、修道院に入ってしまったと言う。

 サーラはエリーを虐げてなどいなかった。

 すべて、エリーの虚言だったのだ。

 偽聖女に惑わされ、一途にカーティスを思っていたサーラを、あのエドリーナ公爵家の令嬢を修道院に向かわせてしまった。

 カーティスは、自分が窮地に追い込まれたことを悟った。

 

 王妃である母は、カーティスも騙されていたと声高に叫んでいる。

 だがそれは、自分があんな小娘に簡単に騙された愚か者だと宣伝しているようなものだ。

 こうなってみて初めて、この国の反帝国勢力が思っていたよりもずっと大きいことを悟った。

 帝国の血を引くカーティスが、今回の事件で失ったものはあまりにも大きい。

 母は王妃としての意地もあり、何とか人脈を駆使してサーラの従姉のユーミナスとの婚約を掴み取ってきた。

 だが自分の失態が世間に広く知られている今、そんな王太子の婚約者になってしまったユーミナスに同情する者が多かった。

 それにユーミナスはサーラとは違い、気が強くて扱いにくい女性だ。こちらに非があることもあり、結婚しても気を遣わなくてはならないだろう。

 しかも彼女の後ろ盾は、エドリーナ公爵だ。

 カーティスに残された道は、王太子を下りるか、もしくはエドリーナ公爵の傀儡になるか、どちらしかない。

 それが、思い込みからひとりの女性の人生を狂わせてしまった自分に与えられた罰なのか。

 サーラは、婚約を解消されてしまったショックで、衝動的に修道院に入ってしまったらしい。

(ああ、サーラ。君は私のことを、それほどまで思ってくれていたのか)

 サーラのことが忘れられない。

 まだ若く美しい公爵令嬢が修道院に入るなど、よほどのことだ。

 それほどまで傷つけてしまった。

 自分を恋い慕ってくれた相手に、ひどいことばかり言ってしまった。

 彼女に会って、謝罪したかった。

 カーティスは父である国王、そして新しい婚約者の後見人であるエドリーナ公爵の言葉に逆らって、サーラの居場所を探して何度も会いに行った。

 それが、父とエドリーナ公爵の策略だったなんて、まったく知らなかった。

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