2050年

「ようこそ、夢の21世紀へ」


 そう言われて目が覚めたら、自分の部屋だった。

 というオチであればどんなに良かっただろう。

 だが現実は何も変わらずここにある。


 白衣の男はにやにや笑いながら俺の表情を観察している。そうだ。俺がトミーと呼ばれると嫌がることを知り、わざと呼んでいるに違いない。歪んだ性格の医者だ。


 そもそもが、2050年だって?

 どういうことだ?


 俺の暮らしていた2019年は、俺自身の見た夢の中の21世紀だったのだろうか?


「君が意識を失う前の記憶が戻らないのなら、それで構わない。そんなことは、半世紀過ぎた今では何の価値もないからな。私は永益という医師だ。偶然だが、君と同じ1981年の生まれだよ」


「まさか」

 この男も、70歳近い年齢には見えない。


「私はこの病院の所属医師ではないが、君の意識が戻りそうだという情報を受けて、急遽呼び出された専門医だと思ってくれ。当分の間は君の担当医師となるので、よろしく」

 

 男はもう一度、俺の前に右手を出した。

 仕方なく、俺はその手を握る。


「ところで君のことはやはり大島晃君と呼びたいのだが、いいかね? 君の記憶が戻らなくても、その肉体は間違いなく大島晃君のものだろうから」

「ああ、それで構いませんよ」


 俺は腹をくくった。中途半端にトミーなどと呼ばれるよりはマシだ。


「わたしは大島さんの看護を受け持つ岩見と言います。よろしく願いしますね」

 そう言ってぺこりと頭を下げた看護師の女性は二十代の前半くらいに見えるのだが、何となく彼女からはおかしなオーラを感じる。彼女には年齢を尋ねるのを止めておこう。


「彼のことは大島さん、ではなくトミーと呼んでやってくれ」

「いや、だから、大島さん、でいいですから……」


「さて、トミー。これから何日か精密検査をしながらリハビリテーションを続ける予定だが、何か希望はあるかね?」


「ちょっと待て。あんた今さっき、大島晃君と呼びたいのだと自分で言ったよな。何でそう呼ばない!」


「わかったよトミー、他に希望はあるか?」


 こいつには何を言っても無駄のようだ。俺は仕方なく、唯一の希望を口にする。

「それはもう、俺のいるこの世界が2050年だという悪い冗談がまだ受け入れられないので、早く何とかしてほしいのですが……」


「うん、そうだな。本来なら今日まで眠ったまま身体のケアをする予定だったのだが、ここまで順調に回復するとは思っていなかった。明日は予定通りに君のメンタルケアを担当する山野というカウンセラーが来るので、そちらに相談しておこう。問題がなければ君が眠っていた50年の歴史と君自身に起きたことについて、簡単に学べるだろう」


 この時代についての説明も、明日来る予定のカウンセラーと何か関わりがあるのだろうか。


 実際、本当に今が2050年ならば、この時代の書物や映像を見せてくれればよいのだ。

 これだけ何も情報が与えられないのには、大きな欺瞞の臭いがする。


「それも、そのカウンセラーさん次第ってことですか?」

「まあそうなるな。とりあえずは、明日まで待て」


「そうですよ。慌てないでください。山野先生も、あなたはきっとすぐに忙しくなるだろうから、今のうちにゆっくりさせてあげてほしいとおっしゃっていましたから……」


 美人看護師岩見さんによるカウンセラーの発言内容が少々気になるが、話をしているうちに疲れたのか、眠くなってきた。



 そのまま俺は眠ってしまったようだ。


 窓もない病室の中では、今の時刻すらわからない。

 部屋にはテレビもラジオも新聞もないし、壁にはカレンダーも時計もない。おまけにナースコールの押しボタンすらない。


 しかし普段とわずかに違うことがあるのに気が付く。

「地震か?」

 幽かに細かい振動を感じる。


 何もない部屋の中で安静にしているからこそ感じ取れるほどの、僅かな振動だ。

 これは何事か?

 不安な気持ちが膨らむと、また目の前に新たな映像が浮かび出る。

 今度は文字だった。


「緊急警報!」

 赤い文字がポップアップする。

 いったい何が起きている?

 すると文字がその内容を表示する。

 怪獣出現・接近警報(地域・個別警報)

 数量:1体

 種類:不明

 等級:ⅬⅬ級

 位置:現在地より北東へ2200m地点を南西方向へ進行中

 現在地での推定接触時間まで残リ10分25秒

 流れる文字を読んでいるうちに気分が悪くなった


 だがこれは、怪獣がここへ接近しているというあり得ないような警報だ。


 俺は無性に外の景色が見たくなり、ベッドから降りると扉へ向かう。

 部屋の扉は何の抵抗もなく開いた。顔だけ出して扉の外を見ると、一直線の廊下には人の気配が全くない。


 そのまま廊下へ出て、どこへ向かうかと悩んだ。

 すると自然に建物の平面図が、視野の中へポップアップする。

 屋上へ行けば、間違いなく外の景色が見えるはずだ。


 俺の意志通りに自分のいる位置から屋上までのルートがマップ上に記されるので、そのナビゲーションに従い俺は足を速める。


 どうやら緊急事態でエレベーターの類は使用禁止になっているらしい。俺は病室で履いているスリッパのまま夢中で階段を駆け上がる。


 何フロア分走ったのか、大して息も切れずに駆け上がった先に、終着点の扉が見えた。

 扉の前で立ち止まると、建物の振動が大きくなっていることが感じられた。


 危険・関係者以外立ち入り禁止、と書かれた扉を押すと、簡単に外へ開いた。


 突き刺すような冷気と神経に触る獣の叫び声に身を包まれた。


 確か今は2月で、俺は下着と薄いガウンのような入院着しか身に着けていない。

 しかし頭のどこか奥で屋外モードに切り替えます、という声が聞こえると、冷たい風が気にならなくなった。


 いったい何がどう切り替わったのかもわからぬまま、俺は獣の声が聞こえた方向へ走った。

 そこは吹きさらしの広い駐車場のような場所で、薄暗い空は灰色の雲で覆われていた。


 建物の屋上は直径30メートルほどの円形で、思っていたよりはかなり狭い。

 ここにも人の気配はなく、俺は誰にも止められることなく走った。


 正面に、そいつはいた。

 距離はまだ200メートル以上は離れている。だが俺のいる場所とほぼ同じような高さにある金色の目が、ぎろりと動いてこちらを見た。


「本当に怪獣じゃないか」


 高層ビルの間に、二本足で立つ巨大なカエルがいた。


 頭から背中に向かって、不揃いな棘が並んでいる。皮膚はぬるっとしたアオガエルのそれだ。

 怪獣は、地上からの攻撃を受けて苛立っている。だが、俺にはそれほどの威圧感を感じない。それよりも、あの美人看護師の方が強い威圧感を纏っていた。


 俺の方向を睨んだ時に、カエルの濁った目が光ったような気がした。

 その淡い光がゆっくりと広がりながらこちらへ向かって来ると、耳鳴りのような嫌な音が大きくなる。


「大島さん!」

 後ろでそう叫ぶ声がして振り向くと、噂の美人看護師岩見さんがこちらへ走って来るのが見えた。


「早くこっちへ!」

 彼女の叫び声に応えて俺は慌てて逃げようとして何歩か足を運んだが、その時にはもう背中側から不快な耳鳴りと熱い空気が迫っていた。


「早く!」

 そう言うと岩見さんは俺に駆け寄り、扉の方向へ強く俺の手を引いた。


 俺はバランスを失い、岩見さんの後方へ前のめりに倒れてしまった。その背中を庇うように、岩見さんが前に出て立ち塞がる。

「!!!!!」


 言葉も出せずに俺の足元に立つ岩見さんの体が崩れるのを感じた。


 俺は倒れたまま振り返ると、そこには炎に包まれる彼女の上半身があった。


保護セーフティモードへ移行します」

 という言葉が聞こえたような気がしたが、俺の意識はそこで途絶えた。




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