デイリーマッスルの有効活用法

ちびまるフォイ

どこまでの筋肉なら許せる?

鏡の前に立つとガタイがよくなっている気がした。


「……こんなだったっけな?」


ジムに通うでもなく、自宅で筋トレしているわけでもなく。


自堕落のマニュアルのような生活をしているにも関わらず、

腹筋にはキレイな溝ができて、腕の力こぶは盛り上がっていた。


この美しき肉体美をなんらか自慢したいと自撮りしてSNSに投稿すると、

筋肉フェチかいわいの人が鼻息荒くコメントを寄せてくれた。


>最高の筋肉です!!

>仕上がっていますね!

>どんなトレーニングをしてるんですか?


「トレーニング……」


尋ねられても答えられる理由はなかった。


翌日、朝シャワーを浴びるために脱衣所に向かう。

寝ぼけまなこでも鏡に映る自分がまた変わっていることに気づいた。


「昨日より、ちょっとマッチョになってるかな?」


昨日撮った写真と、今鏡にうつる自分を確かめる。

明らかに今日の自分の方のが筋肉量が増えている。


「なんでだ。昨日べつに何もしてないよな」


頭の中で昨日のプレイバックを思い出す。

けれど筋肉が増えるようなことはなにひとつしていなかった。


「……まあいいか」


SNSでは相変わらず筋肉投稿に対しての反響が大きく、

周りがマッチョに喜んでくれているので放置していた。


しだいに鏡にうつる自分を撮影するのが習慣化したころ、

ある日の写真にはじめて否定的なコメントが乗った。


>なんだよこれ。筋肉だるまじゃん


「むきーー! なんだこいつ!!」


否定的なコメントに怒ったとき、ちょっと力が入ってスマホが手の中で圧死した。


これまではマッチョ崇拝でいい気になっていたものの。

否定的なコメントの水入りで少し頭が冷えて自分の現在を直視することができた。


「た、たしかに……これはちょっとやりすぎのような……」


当初は細マッチョというレベルだったが、日に日にゴリマッチョ化し、今ではモンスター。

今まで入っていたTシャツもパッツパツで入らない。


なんのトレーニングもしていないのに日に日にマッチョになってゆく。


「ああ……腹減った……」


それに食事の量も、筋肉が増えるごとに多くなっていく。

とくに朝は眠気よりも空腹で目が覚めるほど。


いくら食べても食べても、数分後にはお腹が減ってしまう。

成長期の部活少年ですらここまでの暴食っぷりは発揮しないだろう。


これで太るどころかマッチョになっていくのだから謎は深まる。


「げふっ……。なんでこんな体になっちゃったんだろう」


つかの間の満腹感を得たが、きっとすぐにエネルギー不足になるだろう。

原因はひとつしかなかった。


「まさか、筋肉がめっちゃエネルギー使ってるのか……?」


体の中ではより筋肉量を増やそうと動き続けている。

そんな筋肉創生に使われるエネルギーを確保するために食事量が増えているのかもしれない。


ますます筋肉の成長はエスカレートしていった。


「なんだよこれ……」


鏡にうつる自分はすでに人の形とも言えなかった。


ボディービルのレベルを遥かに超えてついた筋肉が膨れ上がり、

どこまでが腕で足なのかもよくわからない。シルエットが球体に近くなってゆく。


数歩歩いただけで盛り上がった筋肉が体のエネルギーを食い尽くす。

あっという間にへばってしまい、食事でのエネルギー補給が間に合わない。


このままでは、増えすぎた筋肉を動かすほどのエネルギーが取れずに

ただ増え続ける筋肉で動けなくなってしまう。


「いやだ! 寝たきりマッチョになるなんていやだーー!」


まだ体が動く今のうちに手を打たなければならない。

ありあまる筋肉を動かし、なんとか病院に電話をかけた。


事情を説明するのに肥大化したアゴの筋肉を使いまくったので、

電話が終わった後には死ぬほどお腹が減った。


「医者です、ドアを開けてください。大丈夫ですか?」


数時間後、医者が家にやってきた。

ベッドの上で肉だるまになっている自分の姿を見て目を見開いた。


「驚いた……こんなの始めてみた」


「先生。毎日、筋肉が勝手に増えていって困ってるんです。なんとかなりませんか」


「ま、毎日増えるんですか?」


「はい。何もしていなくても勝手に筋肉が増えていくんです」


医者は信じられないという顔だったが、目に見える異常な人体が何よりの証拠だった。


「……わかりました。手術をしましょう」


「本当ですか! 治るんですか!」


「この世界には日に日に筋肉が失われていく病気があるのをご存知ですか?

 あなたはその不治の病に対抗できる唯一の症例かもしれないのです」


「なるほど! 俺のこの毎日膨れ上がる筋肉を移植するんですね!」


「ええ、そうです」


「先生、はやく手術をしましょう! 早く普通の体に戻りたいんです!」


「わかりました、準備します」


病院から派遣された何人もの成人スタッフが集まって、神輿のように担がれてから救急車に乗せられた。

体を鎧のように覆う筋肉はすでに鉛よりも重くなっている。


病院に到着するとすぐに手術の準備が整えられた。


「はあ……手術なんて初めてだから緊張します」


「大丈夫ですよ、怖かったり痛かったりは最初だけですから」


「先生、この手術で俺は元の体に戻るんですよね」


「手術を始めます」


医者はメスを持った。

刃先は大量に膨れ上がっている胴体の筋肉ではなく、頭の方へと向いていく。


「せ、先生!? 移植する筋肉は胴体でしょう!? なんで頭の方にメスを向けてるんですか!?」


「安心してください。最初だけですから」



 ・

 ・

 ・


男の手術が終わると、今度は別の筋肉が縮み続ける病気の子が手術室へ運ばれた。


「先生、ぼく……この手術で治りますか?」


「もちろんです。増え続ける筋肉を移植します。それで相殺されるので普通の体に戻れますよ」


医者は手術室に寝かせた筋肉貯蔵体から増え続ける筋肉の一片を少年の体に移植した。

筋肉が減り続ける難病に苦しんでいた少年は、手術後に病気を克服して元気になった。


不治の病を治療できたとして医者のもとには世界各国から同じ難病に苦しむ人が助けを求めて訪れた。


「みなさん、私に任せてください。筋肉ならいくらでもありますから」


手術室のそばには、脳を抜き取られた筋肉のかたまりが寝かされている。

麻酔無しでいくら切り取っても文句ひとつ言わなくなっていた。

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