第20話 キャッチボールはできません
家族がいた一度目のレノア・ラウンセルは、両親から優しく名前を呼んでもらったことはない。両親にとって娘は侯爵家をより繁栄させる為の人形であり、情も愛もなく、邪魔になれば簡単に捨ててしまえるものだったから。
「……」
だから祖母と母から優しく名前を呼ばれる度に胸が温かくなり、どこかそわそわしながらも嬉しくて、今よりもっと幼い頃は態と隠れて名前を呼んでもらうのを待っていたことがある。
「リスティア?」
「えっ、はい」
「お前の父親はフィランデル国を統治している国王、イシュラ・シランドリアだ」
「あ、はい」
「本当に分かっているのか疑わしいが、まあ、いい。訊きたいことがあれば答えてやる」
この人とは会話のキャッチボールが出来ないらしい。
どうしたい?と訊かれたから私は要望を口にした筈なのに、それに対しての答えはなく質疑応答が始まってしまった。
唐突過ぎるそれに困惑しながらも「訊きたいこと……」と呟き、心の赴くままに口を開いた。
「どうして母と私を捨てたんですか?」
何も考えず言葉を口にしたあとハッと我に返るが、時すでに遅し。
もっと他に側室とか没落とか気になる単語があったし、どうして私を態々呼び寄せたのかとか、色々と訊きたいことは山ほどあるのに、真っ先に口から出たのがこれだった。
捨てた理由なんて今更聞いてもどうにもならないのに、少し触れあって優しく名前を呼ばれただけで絆されてしまったようだ。
何てお手軽な女なのだろう……!と心の中で地団駄を踏み、キッとイシュラ王を睨んで返答を待つ。返答次第では慰謝料を倍にするのもやぶさかではない。
「間違えている。捨てたのではなく、俺が捨てられたんだ」
「……は?」
「俺がジュリアに捨てられたんだ」
心外だとばかりに横に首を振って否定したイシュラ王は、口をパカッと開けた間抜けな私を見て「聞こえているのか?」と呆れた顔をする。
「いや、え、ジュリアって」
「気になるのはそこなのか……?」
「だってそれは母の」
「愛称だな」
「……愛称?名前ではなく?」
「まさか母親の本名を知らないのか?ジュリアマリア・スカルキ。愛称はジュリアだ」
「はい!?」
母の名前はずっとジュリアだと思っていたし、祖母もそう呼んでいたから。
まさかそれが愛称だったなんて誰が想像出来るだろうか……。
「愛称って……あれ、スカルキ?それって家名ですよね?」
「元は伯爵家の令嬢だからな。家名があって当然だろう」
「……伯爵家?元は?」
「そうだな」
「そんなこと一言も。あ、貴族じゃなくなったから愛称を?」
「単に名前が長かったから短縮しただけだ。ジュリアはそういう奴だからな」
凛々しく豪胆だった母との記憶を探り、そう言われるとそういう人だったことを思い出し両手で顔を覆う。
普通の伯爵令嬢は金槌を持って屋根に上ったり、泥だらけになりながら庭仕事をしたりしない。
「……側室って」
「お前の母のことだ」
国王の側室となれば上級貴族から選ばれ、下級貴族から選ばれることなど絶対にない。それが平民となれば尚更、国王どころか貴族とだって関わす機会はなく、もし奇跡が起き互いに想い合ったとしても愛妾にすらなれないだろう。
だから私の父親がイシュラ王だと発覚したときに気付けた筈なのに。
(全然気付かなかった……)
侯爵令嬢の経験があったのに、祖母と母を見て所作が綺麗だなぁ……くらいにしか思えなかった。
けれどそれは仕方ないことで、田舎の小さな村にひっそりと暮らし、修復が必須の家に文句一つ言うことなく、貧乏でも楽しく暮らしていた人達なのだ。没落したとはいえ伯爵家だった人達が笑いながら暮らせるような環境ではない……。
笑いが絶えず、ずっとこのままでいたいと願うような、そんな大切なものを手にしたのが初めてのことで、浮かれていたから違和感すら湧かなかった。
「母が側室だったのなら、捨てられたとは?」
「王宮では生きていけないからと、手放すよう言われた」
「母が……」
「苦難が待っていると知りながらそれでも側室として側にいてくれた、最愛の人の心からの願いだ。嫌とは言えないだろう?」
聞き間違いだろうか?今、この人、真顔で「最愛の人」と口にしていなかっただろうか?
「最愛……最愛……?」
「俺と似た顔でおかしな表情をするな」
「いえ、私は母親似だと祖母と母から言われていましたから」
「性格はそっくりだが、顔は俺だろう?今日から父親似だと言え」
この暴君に似ているとか口が裂けても言いたくない。
胡乱な目でイシュラ王と見ると、「その顔はぶさいくだな」とふっと笑われた。
たった今、自分と私は似ていると言ったその口で私の顔をぶさいくというのなら、それは自分の顔がぶさいくだと言っているようなものだとほくそ笑む。
「自分はどんなことでも耐えられるが、子供にはそのような思いはさせなくなかったそうだ」
「……」
「だから手放した」
捨てられたと言ったのはそういうことだったのかと頷き、あれ?と首を傾げた。
この国の国王であるイシュラ王の側ほど安全な場所はない。それなのに安全な場所を捨て離れた理由は?苦難も困難もイシュラ王ならどうとでも出来たのでは?
「国王陛下がどうにかすることは出来なかったのですか?」
「……」
「この国で国王陛下に逆らえる人なんていないのに」
私の言葉に逡巡したイシュラ王は「無理だ」と、顔を歪めた。
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