第16話 まだまだこれから
私と王妃様のバトルが余程お気に召したのだろう。肩を振るわせるほど笑う自称父親は放置し、今困っている目の前の問題へと向き合うことにした。
(どうしようかな……)
並べられていくカトラリーを右から左へ見て思案する。
一度目の人生で侯爵令嬢だったのでテーブルマナーなどお手の物だが、今の私はただの平民。だから本来ならカトラリーを使いこなせるわけがない。
平民の主な食事はパンとスープ、それにメインとして焼いた野菜や薄い肉。スプーンかフォークがあれば事足りるものだから。
実際、村から出て色々な場所で食事をしたけれど、宿や店にはフォークかスプーンしかなかったから平民はそのようなものなのだろう。
(晩餐に呼ばれたと聞いたあとも、身形を整えることに時間を費やしたからテーブルマナーまでは間に合わなかったし)
貴族であってもまだ幼い子供であればナイフを使わずに食事をするが、テーブルマナーはそれだけではない。
例えばカトラリーは外側から順に使うが、スプーンはデザート用。フォークは左手、ナイフは右手、それぞれ人差し指を添えて持つことは基本的なこと。それ以外にも食事中、食後とフォークとナイフの置き方は異なり、ナプキンの広げるタイミングや広げ方に使い方など、挙げたら切りがないほど様々なルールが設けられている。
それらを完璧にこなす人達の中で、フォークだけで食事をする私は異質なものに見えるかもしれないが、大丈夫、平民だから。もうこれが免罪符となってくれるしかない。
多少王妃様に皮肉を言われたりはするだろうが、それは流せばいいだけのことである。
(大人しく、大人しく)
私は無害なただの平凡な少女ですよ、と自身に暗示をかけておく。
するとやっと笑いが止まったイシュラ王がグラスを手に持ち、晩餐が始まった。
――カチ、カチャ、カチャ。
パン、小前菜、前菜、スープ、メイン料理と全て食べ方に決まりがある。
これらの中で食べるのが非常に難しいのが、メイン料理で出てくるポワソンという魚料理。柔らかく調理されていればフィッシュスプーンを使えばよいが、そうでなければ骨、皮、身と器用にナイフとフォークで分けてから食べなければならない。
これだけ子供がいる晩餐でそんな物が出されるわけがないと思っていれば、私の前に置かれたメインのお皿の上にイサキのグリエが……。
これが私の前にだけ置かれていたのであれば嫌がらせかと納得するところだが、王子二人とメリアの前にも同じ物がおかれたのだ。
――カチャ、ガチッ、カチャ……ギッ。
大人でも食べづらく眉を顰める人もいるほどなのに、やはりそこは王族とその庇護下にある男爵家の令嬢。怯む様子もなく自然とナイフを手に取ったのを見て感心したほど。
この国のマナー教育は凄いんだなぁ……と自身のお皿のイサキを眺め、流石にフォークでぐちゃぐちゃにするわけにもいかないと、仕方なくナイフを手に取った。
そういえば祖母と母も日常の動作や言葉遣いは美しく上品だった。田舎の平民ですらあれほど洗練されていたのだから、この国の貴族や王族はそれ以上に違いないと、数分前の私はそんな風に考えていた。
結果……それは間違いだったと知るのだが。
メイン料理に手を付けた辺りからずっと、右斜め前からナイフとお皿がぶつかる音がしている。音の発生源はメリアで、魚の骨が取れないのかひたすらナイフを動かしている。
(魚の身がぐちゃぐちゃだ……)
しかも骨が取れず痺れを切らしたのか、指でそっと骨を取りお皿の隅に放った。
それを目撃したのは私だけではなく、席についている全員。あれほど音を立てていれば当然だろう。
「メリア……」
「なあに?」
思わずといったように声を掛けてしまったソレイルに、メリアは首をコテンと傾げ笑顔で答える。これは絶対に何が悪いとか分かっていない。
「手を……」
「手?」
「メリア。ソレイルは貴方の手が汚れたことを心配しているのよ。一生懸命なところはメリアの良いところで可愛らしい部分でもあるけれど、魚が食べづらいのであれば給仕の者に頼っても良いのよ」
「えっ……あ」
言い淀むソレイルの代わりに王妃様からやんわりと指摘を受けたメリアは、両手を頬に当てはにかむ。
「あの、次からはそうします」
頬を染め恥ずかしそうにするメリアの姿に王妃様は笑みを零し、王子二人に至っては自分達を頼ってくれてもいいのだと主張している。
これは何の茶番劇を見させられているのだろうと、フォークで刺したイサキを口に運ぶ。
「そんなに恥ずかしがることはないわ。同じ歳のリスティアはフォークしか使えないようだから」
「……フォークしか?」
「えぇ。だからメリアはとてもよく出来ているほうよ」
「そうなんですね!」
王妃様の言った通り、私はずっとフォークだけ使って食事をしていた。
それで別に困らなかったし、メリアのように音を立てて食べていたわけではないので構わないと思う。
それよりも、王妃様はずっと私のことを観察していたのだろうか……え、怖い。
「テーブルマナーは子供のうちに教わるものなのだけれど、リスティアは教わっていないようね。平民なのだからそれは当然のことなのだけれど、リスティアのお母様は自身の子が陛下の子だと知っていたのだから、恥ずかしくない程度に教育をするべきだったわ。これから覚えるとなると、とても大変なことだから。暫くは苦労すると思うけれど、貴方のお母様には出来なかったことを私が全て教えるから安心してちょうだい」
聖母のような顔で私に手を差し出す王妃様を、王子二人とメリアはとても優しいと褒め称えているけれど、生憎私は純粋な子供ではないので皮肉にしか聞こえない。
要は、今の私は恥で、母は教育ひとつまともに出来ない人だと、王妃様はそう言いたいのだから。
「ある程度の教育……」
「そうよ」
祖母も母も、いつも私の幸せだけを考えてくれていた。
「教育は必要だと思います」
頷く王妃様ににっこりと笑みを向け、そっと指で自身のお皿を王妃様に向かって押し出した。
「これでは不十分ということでしょうか?」
「これとは……えっ」
私のお皿の上には綺麗に骨が取られたイサキがある。フォークや指で取ったのではなく、右手に持っているナイフで取った。
「それなら骨すら満足に取れない彼女は、私よりも教育されていないということですよ?可哀想、これから苦労するんですね」
メリアをそっと窺い溜息を吐いたあと、目を見開く王妃様に向かって首を傾げてみせた。
そこにいるのは平民以下だと、先程の王妃様の言い分ではそうなるけれど、果たして本人は気付くのだろうか。
(大人しくしているつもりだったけど、私の家族のことを馬鹿にするなら別)
「あのね、リスティア。メリアは母上から教育を受けているんだ。ただ、今回は少し失敗しただけで、いつもはもっと上手なんだよ」
「そうだ。失敗することは誰にでもある」
黙ったままの王妃様に代わり、クリスとソレイルが必死にメリアを擁護する。
それをふっと鼻で笑って無視し、見せつけるかのようにナイフでイサキの身を切りフォークで刺す。
「教育をされていない平民の私に出来ることが、貴族のご令嬢には難しいこともあるんですね。こんなに簡単なことなのに、不思議です」
イサキを咀嚼し呑み込んだあと、「教え方が悪いのかな?」とメリアを真似て無邪気に笑えば、聖母の仮面を張り付け常に微笑んでいた王妃様が、初めて表情を消した。
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