第2話 一度目




一度目の人生は、幼くして自国の王子と婚約し、全てに完璧を求められた侯爵令嬢レノア・ラウンセルだった。


上級貴族だから不自由はない、けれど、自由もない。

両親からの愛情はない、でも義務は与えられた。


だから、レノア・ラウンセルではなく一人の少女として接してくれた婚約者に淡い恋をし、依存するようになっていた。

彼の為に完璧に、彼の側に居られるようにより努力を。


でも、それは私の独りよがりで、彼にとって私は替えのきく婚約者だった。



『傲慢で慈悲もなく、自身の行いが隣国との亀裂を生むと考えられない愚かさ。そんな女性を王妃にするわけにはいかない。婚約は解消させてもらう』


一方的に突き付けられた婚約解消の言葉に声を失い、婚約者が腕に抱きよせている少女を見て視界が歪んだ。


『君からの謝罪は必要ない。彼女は君にされたことに対して処罰を望みはしなかった』


婚約者の冷たい声に肩が震え何か言わなくてはと口を開くが、乾いた喉から出た声は老婆のようにしわがれたものだった。


『あれほど努力していた君がこんな過ちを犯すとは、残念だよ』

『過ち……?私が、何を?』


彼が何に対して怒っているのか分からない。

どうしてメリアをその腕の中に囲っているのか、殿下の婚約者である私を警戒するように騎士が立っているのか、その全てが理解出来ず縋るように手を伸ばした。


『触れるな』


冷たく言い放った殿下を守るように、側に待機していた騎士達が間に入り腰元の剣に手を掛けた。

視界は滲むが涙の一つも零れない。

上級貴族の子女であり、王妃となる者が感情を露わにしてはならないと叩き込まれたから。


『殿下、何か行き違いがあるのかと。私達の婚約は陛下がお決めになったことです。勝手なご判断は殿下の名を傷つけることになります』

『君はこんなときでも体裁を保とうとするのだな』


体裁を保つ?

情けなく縋りつき引き留めようとこんな陳腐なことしか言えないのに?


『これ以上君の姿をメリアに見せたくはない。出て行ってくれ』


騎士に追い出される形で部屋を出る瞬間、殿下の腕の中に居たメリアが笑みを浮かべていた。


私に見せつけるかのように殿下に寄り添い嘲りを浮かべた少女は、昨年隣国であるフィランデル国から遊学に来たメリア・アッセンという男爵令嬢。

他国の王族や貴族の短期間の遊学は珍しくはないが、メリアの遊学だけは貴族の間で話題に上がるほどだった。

たかが男爵令嬢の為にフィランデル国の国王が直々に寄越した書状、大層な護衛や侍女を引き連れ入国したメリアに同行していた使者はその国王の側近。

しかも、書状の中身を要約すれば「娘同然のように可愛がっている者だから王女のような扱いを」ということだった。

メリアは男爵家の令嬢という本来の身分に見合わない好待遇で我が国に迎え入れられた。


『あと、一月だったのに……』


一月後、大聖堂で婚姻の義を迎える予定だった。

その準備と対応に時間を取られ、段々と殿下と顔を合わせる機会が減ってはいたと思う。会えない日々の中、殿下も忙しいのだからと婚姻の儀で着る白いドレスを眺めて寂しさを紛らわせていたというのに。

準備を終え報告という口実を作って殿下に会いに来たら、婚約解消を告げられた。


『大丈夫だわ。きっと何か勘違いされているだけよ』


そう何度も呟きながら、眩暈のする身体を叱咤し通路で待っていた侍女に手を借りて王宮を後にした。



※※※※



『この、恥さらしがっ……!』


屋敷に戻り父の執務室を訪れれば、そこで待っていたのは激怒するお父様と泣き崩れているお母様だった。婚約解消の手紙は既に我が家に届けられていたらしく、王印の押された手紙を握り締めた父に頬を叩かれた。


『王族のような待遇を受けている者に何てことをしてくれた!』

『私は、何も……』

『私が何も知らないとでも思ったのか!』


唖然としたまま叩かれた頬を押さえ、お父様が羅列していく私の犯した過ちを聞く。


メリア・アッセンは男爵家の者だと侮り、侯爵令嬢であり殿下の婚約者という地位を使って執拗に嫌がらせを繰り返し、社交界から叩き出そうとした。それだけなら注意で済むが、人を雇い悪質な暴力と脅迫で自国へ帰れと要求したという。


それは、全て私が行ったことだと?

王宮内で遠目に彼女を見かけることはあったが、一度も面と向かって話したことはない。稀にお茶会や社交の場で彼女の話題を耳にすることはあってもいつも聞き役で、人を雇ってまで彼女に嫌がらせをすることに何も利益はない。


『そのようなことはしていません。私ではありません』

『黙れ!』


恫喝するお父様に何度も首を振って私ではないと訴えたが信じてはもらえず、お母様は目も合わせてはくれなかった。


『我が家に非があって婚約は解消された。お前は除籍したあと修道院に入れる』

『……除籍?修道院?』

『当然だ。王家から婚約を解消された娘が他の家に嫁げるわけもなく、メリア・アッセンがもし自国の王に訴えでもしたら我が家は破滅するのだからな』


幼い頃から王妃になれと言われ続け、過酷な王妃教育に耐えてきた。

泣き言は許されず、些細な失敗でも厳しく叱咤され、上手くできも当然だと褒められたことなどない。

それでも、両親を愛していたし、殿下をお慕いしていた。

様々な感情に蓋をして、己を殺して生きてきたというのに。


――その結果が、コレだというのだろうか?


私の言葉など初めから聞く気もなく、無実だと信じて助けてくれる者など居ない。

娘を切り捨て家から追い出すのが家族だと?


『何を期待していたのかしら……』


王家からの婚約解消、家からの除籍は明日中に広まるだろう。


『……っ、うっ……ふっ』


質素な洋服に身を包み、人目を避けるように深夜に馬車で移動しながら、今更流れ出る涙を拭うこともせず、両手で口を押さえながら必死に嗚咽を堪えた。


あのとき、殿下にもっと必死に訴えていれば良かったのだろうかと考え、首を振る。

そんなことをしても意味がない。殿下はメリアを信じていたじゃない。

たった一人だけで良かった。

殿下さえ信じてくれれば、それだけで私の心は救われていたのに。


『私が、邪魔だったのかしら……』


殿下はメリアに恋をしているのだろう。

宝物のように大切に抱き締め、愛おし気に彼女を見つめている姿を思い出し、胸が痛むのと同時に今迄のことが全ておかしくて笑いが込み上げた。


『ふふっ、ふふ、あははははは……っ』


とても、とても、呆気ないものだった。


『どうか、来世では私の望む人生を』


恋などしない。家族なんて必要ない。


自身を取り巻く全てに失望し、修道院に入り二年で病に倒れるまでずっと、毎晩呪詛のように神に祈った。


一度目の人生は、あぁ、なんて哀れで滑稽なものだったのだろう。





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