鍋将軍と私

星彼方

第1話

 私が住んでいる地域には、小さいけれど歴史深い縁結びの神社がある。


 地元の人たちが親しみを込めて『ヨイナラさん』と呼ぶヨイナラ神社は、なんでも一千年前からあるらしい。決して有名ではないこの神社にも、縁日には出店でみせも立ち並び、ちょっとした憩いの場所になる。神社があるこんもりとした小さな山は、散策するにはちょうどよく、私も節目節目にお詣りに通っていた。


 ある秋の縁日。

 気まぐれで引いた神社のくじ引きで、私が手に入れたものはなんと『土鍋』。氏子さんから、「良いご縁がありますように」と言われたものの、私は一人暮らしで、今現在は一緒に鍋をつつくような彼氏もいない。でも、鍋物が大好きな私は、「いつか鍋をつつき合える素敵な人が現れますかね?」と返して、喜び勇んで持ち帰った。


 そして残暑も過ぎ去り、急に寒くなってきた週末のある日、手に入れた土鍋で一人鍋を楽しもうとしていたのだけれど――


 ◇◇◇


 白菜、人参、しいたけ、春雨、白ネギ、大根、春菊、豆腐。今日は鶏肉が安いから、鶏団子も入れようかな?


 紅葉の季節を通り越し、一気に冬がやってきた。

 冬といえば鍋の季節。この冬初めての鍋は、私の大好きな水炊き風野菜鍋だ。秋の縁日でくじを引いて当たった縁起の良い土鍋を使う時がついにやってきた。

 ローテーブルの上にコンロと土鍋をセットして、グツグツという野菜の煮える美味しそうな音に、お腹の虫も準備万端とばかりに鳴り響く。土鍋の蓋に開いている小さな穴から湯気が立つと、さあ出来上がりだ。

 私はいそいそと座布団に正座すると、勢いよく手を合わせた。


「いただきます!」


 鍋つかみがないので台拭きを代用して蓋を開け、湯気の向こうのいい具合に煮えた野菜や鶏団子に目を輝かせる。土鍋で作る鍋物は、見た目だけでも十分に美味しそうだ。うきうきとしながら、先ずは鶏団子をいただこうと、木じゃくしを鍋の中に入れた瞬間――


「えっ?」


 土鍋のふちが微妙に光っていることに気がついた。しかも金属の鈍い光ではなく、青白いというか、人工的な光だ。何の変哲もない普通の土鍋だとばかり思っていた私は、慌ててコンロの火を止める。


(LEDが内蔵されてる? そんなハイテクな土鍋だったっけ?)


 まさかIH用かと思い至り、土鍋をよく見ようと顔を近付けると、ゆらゆらと上がっていた湯気が勢いを増して淵がさらに輝き出した。


「あっつい! 何これ、何なのっ!」


 私の鼻先を熱い蒸気が掠めたかと思うと、淵の光がみるみる広がっていく。そして、何やら奇妙な模様を作り出していくと、部屋いっぱいに光が溢れた。

 私は鍋の蓋を掴んだまま、その様子を茫然と見るしかない。青白い光は壁に模様を浮かび上がらせ、しばらくすると何かを形作り始める。


「何、何、ちょっと、何が始まるわけ⁉︎」


 私の対面、土鍋を置いたローテーブルの向こう側に、だんだんとが現れる。近未来映画のようなその光景に、私は我を忘れて口を開け、ぽかんとして見入ってしまった。

 しばらくして、まるで人が寝転んでいるようにも見える形のから、覆っていた光の模様が薄くなって消え始めた。


「げっ!」


 私は思わず出た声はかなり控えめなものだけど、驚きでそれ以上言葉が出なかったのだ。


 光の模様がすっかり消え去った後に残されたは、紛れもなく人の形をしていた。恐る恐る見てみると、何故か床がびしょびしょに濡れている。そして最悪なことに、嫌な予感しかしない赤い色で染まっていた。


「う、そ……ひ、人?」


 そう、その正体は、まごうことなく血塗れな人間であった。


「う……」

「いやぁっ、動いた!」


 血塗れの人間が、呻き声をあげてローテーブルにすがりつこうとしている。


 そのあり得ない光景に腰が引けてしまった私は、ローテーブルから勢いよく飛び退いた。

 血液のせいでぬらぬらと光った手が、ガシッとローテーブルの上に置かれる。何かを探るように動かされた手は、そこで力尽きたようだ。そのままズルズルと血糊を残しながら、ローテーブルの向こうに消えていく。


(やばいじゃないの、何なのよ!)


 生きてるのか、それとも死んでしまったのか。

 そんな風に想像した私は、自分の身に降りかかったアクシデントに一気にパニックになった。


「だ、大丈夫ですか……ってそうじゃなくて何なのよっ! ちょっと返事をしなさいよ、ねえっ! 」


 当然のことながら、反応は返って来ない。


(誰? 何? 死んじゃった? 死体? これ死体なの?)


 こんな時にどうしていいか分からず、頭の中ではサスペンスドラマのテーマソングが流れてくる。


(殺人事件? 私が第一発見者? 警察、救急車、やっぱり警察、警察、110番しなきゃ、私は犯人じゃないって信じてもらえるかな……って私のスマホは⁉︎)


 ローテーブルの上に置いてた筈のスマートフォンはそこにはなく、あるのはベトベトの血糊の跡。ではスマートフォンは何処に行ってしまったというのか。

 混乱した頭で、私は意を決してローテーブルの向こう側を覗いた。


「ああ、もうっ! なんで持ってんのよ!」


 倒れた血塗れの人の手に、再起不能なほどに血で汚れた私のスマートフォンが握られていた。スマートフォン以外の連絡手段を探そうにも、動転していて考えがまとまらない。しかもこの家には、使えたとしても使いたくはない状態のスマートフォン以外に電話はなかった。


「そ、それ、か、返してよ」


 半泣きになりながらそろそろと近寄った私は、足の先を使ってスマートフォンの救出を試みる。そしてそこで私は、この人間がまだ生きていて、小さく息をしていることに気がついた。


「ちょっと、それ、私のスマホを離しなさいよ」

「……あ、み……み、ず」


 私の声が聞こえたのか、血塗れの人は掠れた声を出す。ビクッとして固まった私は、その言葉の意味を考えた。


(アミミズ? アミミズって何だろう? じゃなくて、スマホよスマホ!)


 私は思いっきり手を伸ばしたら届くくらいの距離を保ち、屈み込んで様子を伺う。男は血塗れで、衣服が無残にも裂けており傷だらけだ。そして新たに、実は欧米人風の男であることが判明した。


「み、 水を……」


 今度ははっきりと聞こえた声に、私は焦る。

 この男は水を欲しがっているらしい。でも、水といってもこの状態では死に水になってしまうかもしれないし、それは勘弁願いたい。しかし、警察や救急車を呼ぼうにも、スマートフォンは変わらず男の手の中にあり、そして血塗れだ。


(もうどうすればいいの! 水? 水があれば助かるわけ?)


「水を」と言い続ける男に多少混乱していた私は、とりあえず、男が所望している水を飲ませれば何とかなるのでは?と閃いた。まったく根拠はない。しかし、もうそれしかないと本気で考えた私は、キッチンに走ると、空いたグラスを掴む。


(とりあえずこれでいいよね)


 水道水ではあんまりだと思い、冷蔵庫からミネラルウォーターを出してグラスに注ぐと、零さないように両手で持った。手があり得ないほど震えていたので、かなり溢れてしまったが、それでも半分くらいは残っている。

 やっとの思いで運び、そして男が依然倒れたままなので、このままでは飲むことすらできないことに気づく。荒い呼吸の男に、心の中で「死んだらダメ!」と繰り返しながらキッチンに引き返すと、何かいいものはないかとキョロキョロと見回した。


(どうしよう)


 と、目の端にコンビニでもらってきたストローが見えた。これならいけるとストローを持ってて慌てて男の元に戻ると、男はまだ生きていていた。


「やだ、し、死なないでね? お願いだから、死なないで」

 

 私は恐る恐る血まみれの男に近づくと、グラスをガッチリと掴み、男の口元にストローを差し出して声をかけた。


「とりあえずこれで飲んで」

「うぅ……」


 男は呻きながらそのストローを口に咥えようとして微かに口を開ける。その隙間にストローを押し込んだ私は、男の口元に意識を集中させた。


「ゆっくり、ゆっくりだからね」

「……み、ず」

「そ、それを吸って! 吸ったら水を飲めるから」


 私の声が届いたのか、弱々しく水を吸い上げた男の口に水が流れ込み、コクンと喉仏が上下する。


(よし、一口飲んだ!)


 たった一口だったが、確かに男は水を飲んだ。そのことが嬉しくなり、もう一口だけでも飲まないかなと男を見つめ続ける。するとどうしたことか、男の体が淡い光に包まれたではないか。


「また? またこれ? 何でいちいち光るのよっ⁉︎」


 何が何だか分からないが、巻き込まれては大変だと思い後ずさる。その間にも男の体を包む光は強くなり、ついには部屋中に広がった。


(眩しい!)


 あまりの強烈な光に目を閉じた私は、部屋の壁にぶつかり尻餅をつく。


(あいつ一体何なのよっ!)


 生まれて初めて体験する超常現象に、どうすることもできない。やがて光がおさまり、部屋の中が元の明るさに戻ると、私はゆっくりと目を開けた。


(いなくなっていますように)


 しかしその願いも虚しく、男はまだそこにいた。しかも瀕死だったはずなのに、何故か体を起こしている。


(ひえぇ……これってピンチじゃん!)


 男の目が壁際にへたり込んだ私を見つけると、もう生きた心地はしなかった。男はしばらく私を見つめ、そして何故か居住まいを正して膝をつき、頭を垂れる。


「高名な医術師とお見受けします。命を助けていただきありがとうございました」


(命を助けたつもりはないんだけど)


 その意味がわからず、意外に礼儀正しい男を見ると、なんと身体から傷が消え失せ、流れ出ていた血液も跡形すらなかった。手の込んだドッキリマジックのようだが、私にはそんなことを仕掛けてくるような知り合いはいない。


「あ、あんた誰よ、私はそんなのじゃないわ」


 目の前で起こった奇跡を信じることができず、私は偶然手に取った土鍋の蓋を構えた。


 男はまるでファンタジーの世界から出てきたような服装をしており、血塗れだったはずのそれは綺麗な国防色になっていて軍人のようだった。血糊の取れた髪はたてがみのように無造作で、染めたかのような赤茶色をしている。こちらを見てみる目は琥珀色で、カラーコンタクトでもつけているのだろうか。しかも体格がいいのでかなり恐い。


「あんたいきなり何処から入ってきたのよ……家には金目の物なんて何もないわ」


 強盗にしてはかなり斬新な遣り口である。するとその言葉を理解したのか、男はあわてて弁明してきた。


「私は物取りなどではありません! どうやら敵兵の転移攻撃を食らって飛ばされてしまったようなのです」


(なにそのファンタジー)


 しかし男が腰につけている見たこともないような大剣や、微妙に光っている装飾品などは未だかつて見たことがないものばかりだ。しかも流暢な日本語を話しており、コスプレイヤー強盗にしては確かにおかしいことだらけだった。


「じゃあ何、どっかで戦争でもやってたってわけ?」


 私の皮肉を込めた言葉に、まさか男は頷くと信じられないようなことを話してくれた。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。私はハルヴァスト帝国の軍人でヴォルフガング・ブライトクロイツと申します。帝国海軍の将軍として、自国領の海域に出没する海賊の討伐に向かったのですが、まんまと奇襲をかけられまして……この体たらくでございます。何処に飛ばされた検討もつきませんが、貴女の元でよかった。ありがとうございます、医術師様」


 ハルなんとか帝国とか聞いたこともなければ、私は医術師とかいう怪しい職業では断じてない。そもそも将軍などという役職に、こんなに若そうな男がなれるわけがない。

 私は自称帝国海軍の将軍に、あからさまに疑いの目を向ける。


「将軍? 将軍って前線に出るものなの?」


 疑念に満ちた私の声音に、ヴォルフガングと名乗った自称将軍は項垂れた。


「恥ずかしながら、私は試験の成績だけで受かったような名ばかりの将軍なのです。現場指揮を執っていたのですが、まあ、この通りと言いますか」


 ハルなんとか帝国の軍人も、御多分に洩れずしょうもない試験で昇任するらしい。


(ああ、あれか。実力を伴わないタイプなわけね)


 別に馬鹿にするわけじゃないけど、一緒にいたであろう軍人たちが少しだけ可哀想になる。


「それでもあんたは将軍なんでしょう? 一番先に戦線離脱してどうするのよ。残った部下たちが可哀相だわ」

「それはその通りなのですが、しかし私の副官は叩き上げの優秀な軍人ですので心配はいりません」

「ふぅん、で?」

「は?」

「あんたはそれで悔しくないわけ?」


 私のこの一言はヴォルフガングにとっても痛いところを突いてしまったようで、彼は大きな体を縮こまらせた。


「正直悔しいです。ですが、経験もないこんな若造では、歴戦の猛者たちに立ち向かうなんて到底無理なことなんです」


 容貌の割には意外に小心者なヴォルフガングに、私は溜め息すら出なかった。


「まあいいわ。とりあえずそれ返してよ」


 私は未だに握られているスマートフォンを指差すと、ヴォルフガングはワタワタとしながらお手玉し、終いには床に落としてしまった。


「ちょっと、何するのよ!」

「すみません!」


 ヴォルフガングより先に拾おうとしゃがんだ私は、血塗れだったスマートフォンが綺麗になっていて、ローテーブルや床に付着した筈の血が一切痕跡を残していないことに驚いた。幻を見たわけではなく、本当に本物の超常現象だと脳が理解すると、ヴォルフガングのつま先から頭に目を這わす。


「ねえあんた、血だらけだった割には元気よね」

「ええ、貴女が飲ませてくれた薬湯のお陰ですっかり傷が癒えました。浄化の魔法術までかけていただき恐縮です」


 見に覚えのないことに感謝されても嬉しくはない。というか、魔法とか使えるわけがない。


「あれ水よ?」

「はい……えっ、水?」

「だってあんたが水って言ったから、水を飲ませただけなんだけど」


 私かまだ水が入ったままの状態のグラスを指差すと、ヴォルフガングがそのグラスに口をつける。


「……ね、ただの水でしょ?」

「いえ、これは……ソーマ? ソーマですよね⁉︎」


 急に興奮し始めたヴォルフガングだけど、私には何がなんだかわからない。


(ソーマってミネラルウォーターの名称? ヤバい薬? それとも神話の話?)


 ただの水をありがたそうに飲むヴォルフガングの身体が、再びキラキラと光る。その様子に目を輝かせるヴォルフガングにドン引きした私は、蓋を開けっ放しにしたままの土鍋に目を向ける。ちょっと煮え過ぎているが、まだ美味しそうな湯気をあげていたので、どうしようかと考えた。


「ソーマか何だか知らないけど、それあげるから帰って」


 はやいとこ追い出して今日のことは忘れよう、これは事故だ。幸いヴォルフガングには悪意はないみたいなので、さっさと帰ってもらえばそれでいい。関わるとロクなことにならない。

 しかしヴォルフガングはキョトンとした目で私を見て、それから眉を下げた。


「あの、その、どのようにして帰っていいのか……すみません、お手数ですが帰していただけますか?」

「はあっ?」


(何? あんたが勝手に来たんじゃないの?)


 驚いたことに、あの土鍋とヴォルフガングのハルなんとか帝国の海が、時空を超えて繋がったらしい……なんて言われても信じられる訳がない。そもそも私は魔法なんて使えないし、ハルヴァスト帝国なんてこれっぽっちも知らないのだ。「あんたの言う、優秀な副官にでも頼みなさい」と言ったところ、ヴォルフガングは「敵兵から転移攻撃を受けた際に道標を落としてしまい、違う世界に来たみたいで帰る術がない」と申し訳なさそうに謝罪してきた。


「あんた本当に使えないわね! ここは日本よ! 私にもわかるわけないじゃないの!」


 ◇◇◇


 ――ということもあり、私とヴォルフガングは今、仲良く鍋をつついている。


 そもそもこっちはこの不思議な土鍋が光ったことが発端で、それを調べたら何かわかるのではないかと思った私は、鍋を調べようにも中身が邪魔なことに思い至った。それならばと手っ取り早く食べることにし、ついでにヴォルフガングにも手伝ってもらおうと考えたのだ。


 ヴォルフガングは膝丈の編上靴あみあげぐつを履いていたので、きちんと脱がせて紙袋の中に入れさせる。玄関に置こうとしたものの、どうしても部屋から靴を出すことができなかったので苦肉の策だ。まるで見えない壁があるかのように、ヴォルフガングと彼の持ち物は部屋から出ることができない。つまり追い出せないということなのか。


 本日三回目の超常現象に、驚く気力すら失くした私は、仕方なく彼を鍋に誘ったというわけだ。


 正座を知らない彼に胡座をかいてもらい、箸の代わりにフォークを持たせていざ出陣。ひよこ柄の器に鳥団子や野菜を入れてポン酢をかけてやると、彼はその匂いをクンクンと嗅いだ。


「毒なんて入ってないわよ。心配なら私が食べるところを見てからにすればいいわ」


 はふはふといわせながら鶏団子を食べる私に、ヴォルフガングがフォークに刺した鶏団子を少し齧る。そして口に合ったのか、残りの鶏団子を一口で頬張ると、その他の具材にフォークを伸ばす。


 そして彼は鍋の虜になった。


「この白い『とーふ』はこのタレによく合いますね」


 豆腐はフォークでは食べにくいのでスプーンを持たせてやると、私と同じようにはふはふいわせながらにっこり笑った。ちなみに彼の言う『タレ』とはポン酢のことである。


「口に合ってよかったわ。あんたのところには鍋物はないの?」

「東の大陸の少数民族が似たような鍋を使っているようですが、ハルヴァスト帝国にはありませんね」


 今度は春雨をフォークに巻いて食べている。

 ヴォルフガングは箸を使う私を見て「器用ですね」と言ったが、私にしてみれば彼の方が器用に見える。春雨をパスタのようにフォークに巻いて食べる奴など、私は彼以外に見たことがない。


 異世界人の癖に、ヴォルフガングはなんでも食べた。白菜、にんじん、しいたけ、果ては白ネギや春菊まで美味しそうに咀嚼する姿に、私は感心してしまう。


「野菜好きなの? 男の人にしては珍しいわね」

「もちろん肉も好きですが、こちらの野菜は甘くて美味しいのです。向こうの野菜は青臭くて大雑把で……本当は苦手なんですよ?」

「私たちは食にうるさい民族なの。野菜だってこだわって作るのよ。お陰でたくさん美味しい物が食べられるから痩せるのが大変なのよね」


 ヴォルフガングは机上の将軍であるが、軍人なだけあって無駄に筋肉質なようだ。これだけの体を維持するには相当な食糧が必要だろう。


 最後の一個になった鶏団子を口に入れたヴォルフガングに、私は久しぶりに楽しい食卓だったと思った。得体の知れない人物ではあるが、これほどまでに鍋物を美味しそうに食べる人はそうそういない。


「さあ、後はシメの雑炊よ」


 私は残った野菜をヴォルフガングの器に取り分け、だし汁だけになった土鍋の中にご飯を投入して火をつける。


「これが美味しいのよね。あんたまだ入るでしょ?」

「ええ、あと少しなら」


 ヴォルフガングの為にご飯を多めにして、沸騰して来たところで醤油を足す。さらに小葱の微塵切りを散らし、溶き卵をまんべんなく回しかけると、ヴォルフガングの顔が期待に満ちたものになった。


「色んな野菜や肉の栄養が入ってるから美味しいのよ」

「鍋物とは素晴らしい料理ですね。帝国にもあればいいのに」


 ここで卵にふわふわ感を持たせる為に、私は土鍋に蓋をした。


「これを食べなきゃごちそうさまは言えないわ」


 ブゥゥゥン……


 何に反応したのか、土鍋の淵と蓋の間が微かに光る。

 ヴォルフガングが来た時とは逆に、何処からともなく現れた光の模様がヴォルフガングの身体を包み込んでいく。その不思議な光景の中、私とヴォルフガングの目が合った。


「あっ」


 カッと閃光が走り、眩しさから目を瞑った私は、何度か瞬きをして目を開ける。そして、静かに土鍋の中に吸い込まれるように消えてしまった光に、私は彼の方を見て固まった。


 ヴォルフガングがいない。


「え? 嘘でしょ……ねえちょっと、ヴォルフガングさん?」


 部屋の中には私しかいない。

 ヴォルフガングのいた場所に残された座布団はまだ温かく、彼が今の今までそこにいたことを示唆している。そして紙袋に入ったままの編上靴。部屋の片隅に取り残されたそれは、確かに彼が履いていたものだ。

 土鍋の蓋に開いた小さな穴からは湯気が立っていて、雑炊が食べごろであることを知らせているが、そんなことよりヴォルフガングの行方が気になった。


「帰っちゃた?」


 彼が無事に帰ったのであればそれに越したことはない。でも……


「雑炊……二人分も誰が食べるのよ」


 呆気なく去って行ったヴォルフガングに、何故か気落ちしてしまった私は、ぐつぐつと音をたてる土鍋に恨めしげな視線を向けた。


 ◇◇◇


 キャベツ、ニラ、ゴボウ、もやし、ニンニクに主役のモツ、そして締めのチャンポン玉。毎週末に食べる鍋物、本日はもつ鍋よ!


 ヴォルフガングとの奇妙なやり取りから一週間。

 あれから彼には会っていない。あの時突然消えたまま、袋に入った編上靴も部屋に置いたままだ。何故なら編上靴を部屋から出すことができないから。超常現象は未だ続いており、このことが私を悩ませる。

 気になってさりげなく神社の人に土鍋について聞いてみたものの「土鍋なんてくじの景品にしたっけ?」と覚えていないようだった。


 あの情けなくも生真面目そうな将軍は、無事に戦場に戻れたのだろうか。何処か拗ねた感じの、みてくれだけは歴戦の猛者は、無事に海賊を討伐できたのだろうか。


(また怪我してなければいいんだけど)


 ローテーブルの上の土鍋から、もつ鍋の匂いが漏れてくる。小さな穴から湯気が立ち、部屋いっぱいにニンニクの匂いが広がった。


「もつ鍋も食べさせてみたかったな」


 少し癖はあるが、外部の人間に食べさせると中々好評な鍋物だ。きっとあの将軍も気に入ってくれるに違いない。色々大変だったけど、一緒に食べている時はいつもより美味しいように感じたし、何より楽しかった。

 あまり考え過ぎるとしんみりとなりそうで、私は気持ちを切り替える。スタミナたっぷりのもつ鍋は、土鍋の中で準備万端だ。


「いただきます!」


 手を合わせた私はいそいそと土鍋の蓋を開ける。いい具合にしなったキャベツが鮮やかな黄緑色になっていて、とても美味しそうだ。上の方に重なっている野菜にだし汁をかけようとして、私は木じゃくしを握った。

 するとどういう訳か、またもや土鍋の淵に光が灯ると、青白い光を放ち始めたではないか。


「嘘、またこれ?」


 あの時と同じように土鍋の淵が光輝き、あの忘れもしない光の模様が部屋に広がっていく。そしてその模様は収縮し、一人の人物を形取っていった。今日は寝転んでもいない、立ったままの状態だ。

 私はその姿にドキドキと胸を鳴らすと、光がおさまるのを待つ。


「ソーマを作りし医術師様は、高位の魔法術師様であられましたか……どうやら私は、再び貴女に呼ばれてしまったようですね」


 赤茶色の鬣のような髪を束ね、相変わらず軍服を着たヴォルフガングがそこに立っていた。今度はびしょびしょでもなければ血塗れでもない。

 面倒ごとは嫌いだけど、実はこの不思議な出来事を待っていたらしい。あり得ない状況で再び姿を現した異世界の将軍に、私の心は浮き立った。


「お怪我はありませんか、ヴォルフガング・ブライトクロイツ将軍?」

「ヴォルフとお呼びください、命の恩人よ」

「リナよ。私はリナ・ヨソハラ。今日も鍋物だけど、食べていかない?」

「ええ、喜んで」


 先週と同じように向かい側に座ってもらい、準備していたフォークと箸を渡す。ヴォルフは嬉しそうに受け取ると、置かれていたクッションの上に座った。


「凄く食欲をそそられる匂いですね」

「でしょ? もつ鍋っていうのよ」

「もつとはこのプルプルしたものですか? どこかで見たことあるような……」

「食べてから正解を教えてあげる。今度はシメまできちんと食べていってもらうからね」


 不思議な土鍋がもたらした縁はまだまだ続きそうな予感で、私とヴォルフはシメのチャンポン玉までガッツリ食べたのだった。

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