第4話

疲れた体を布団に潜り込ませ、目を瞑る。


明日は通夜、その次は告別式――

これからは今日よりもずっと忙しくなるだろう。しっかり寝ておかなくては・・・


しかし一向に眠りに落ちられない。

布団が押入れ臭いからか?

それとも枕が硬いからか?


仕方なく瞼をゆっくりと開く。

カチ・・・カチ・・・と重く冷たい静寂の中で、時計が刻む音が伝わっている。

徐々に闇へ目が慣れると、天井の木目が浮かんで見えてくる。

それは不意にゆるりと蠢いてみせては、此方を見つめ返す。

それに気を張っていると、突然風もないのに揺れる、電気から垂れ下がる引き紐に肝を冷やされるのだ。


子供の頃、よくこの部屋で怖くて眠れなくなったっけ――


親父は、この家で一人眠っていたんだろうか・・・


心地よく温まった布団から這い出でると、皆の寝息を抜けて縁側に腰を下ろした。


外は静かに澄んだ空気が、たっぷりと月光を湛えて庭中を満たしていた。

堪らず窓ガラスをずらすと心地良い湿り気が髪や肌を撫でて行く。

足を下ろして丸い大きな白石に着け、しっとりと伝わる冷えに心を奪われていると、隣に腰掛ける不粋な輩と鉢合わせとなる。


「なんや、兄さんもムジナか」


「庭、手入れしてたんだな」


「親父がな。俺は何もせんで、虫嫌いやし」


母と二人でやっていた事を一人で――

日々重たくなる体をおしてするのは想像以上に苦行だったであろう。


「兄さん、やっぱ俺が喪主するわ」


突然とんでもない事を、缶ジュースでも買いに行くみたいな感じで言い出す弟には、いつも驚きと同時に感心させられる。

俺は立ち上がって改めて誠二と向き合った。


「本当、お前は凄い奴だよ――

お前が傍に居てくれて、親父は凄く幸せだったと思う。今まで本当にありがとうな、出来の悪い兄で、すまなかった」


これでいいんだ。

俺は、本当はここに居てはいけない。

最後に会わせて貰えただけで十分有難い事じゃないか、明日の朝ここを発とう。


決めて仕舞えば気持ちがとても晴れやかだ。

ちゃんと口に出せて良かった。

こんな事なら早く言えば良かったんだ。


長い沈黙の中、痺れを切らして下げた頭を恐る恐る上げて俺は吃驚した。


いつでも前向きで明るく元気な弟が、しゃくり上げて泣いている。

思えば今まで弟が泣いている姿を俺は見た事が無かった、そんな事にこの歳になって気づくとは――


「違うで、違うで兄さん・・・。兄さんは俺の自慢や、阿呆な俺とは違って兄さんは広いとこで一人で頑張って根生やしたんやで?すんごい人やんか!!親父かてそう思てるわ!今頃きっとあの世でも自慢してるわ!!」



――そんな訳が無い。そんな訳ないそんな訳ない!!


「そんな訳ないやろ!!親父は俺の事が大嫌いなんや嫌いで嫌いで仕方ないんや!!都会かぶれで長男のくせして家捨てて親孝行の一つもせんだくせに死んでからのこのこ顔を出すような親不孝な糞息子なんやからなーー!!!!」


腹の底から、喉が壊れるくらい叫んだ。

今まで体の何処かに押し込められていたものが、噴き上がるままに熱も声も言葉も全て持って行く。



「・・・せや兄さん、もう泣いてええんやで?」



誠二が何を言っているのか、俺には分からない。

だけど俺の体は、その言葉を聞いた瞬間に崩れ落ちて、溢れ出る涙と溢れ出る声は泣いていた。


「やっぱし喪主は・・・兄さんやわ」


何処かの誰かが言った。

兄弟は支え合うものだと――

美しく輝く星々の下、俺達は肩を濡らしあった。

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