不安で……苦しくて……
第30話 それじゃ……意味ないんです……
振った相手と顔を合わせることほど、気まずいものはない。学校や会社ならなるべく顔を会わせないようにすれば、いずれ風化するが一緒に住んでるとなると、難しいものがある。
「おはよう、陽太くん」
「おはようございます。夕夏さん」
いつもと変わらない挨拶。でも陽太の声のトーンが落ちてる気がする。陽太の告白を断って5日経つが、何事もなかったかのように過ごしている。ギクシャクはしてないが、双方の心には痼があった。
いつも通りに振る舞っているが、やはりぎこちなくなってしまう。夕夏さんの顔を見ると泣いていた姿が頭を過り、うまく笑えない。失恋がこんなに辛いものだとは知らなかった。それなのに、自分は今まで何度も相手を振ってきた。今なら、彼女の気持ちが分かるだろうか?
いや、自分には罪悪感を抱くことすらおこがましい。相手の気持ちなんて考えた事すらなかった奴が…、相手に上手い事取り入って騙してお金を取っていた奴が…、自分が振られたからって傷心しているのも図々しかった。
夕夏さんを泣かせてしまった。優しい彼女の事だ。きっと悩んだに違いない。自分の気持ちに真剣に向き合って、でも甥っ子だから踏み止まった。過ちを犯せないからだ。どこまでも真っ直ぐてきれいな人だった。
それなのに自分は立場も考えず押しきろうとした。夕夏さんの気持ちも考えない。時折自分が冷血なんじゃないかとも思えた。
自分勝手で己の欲望のままに行動していた事が恥ずかしい。『あの女』と同じだ。何度否定してもその事が頭に浮かんでくる。自分が『あいつ』の『息子』なんだと突き付けられているようで、嫌だった。
違う、ちがう!絶対にちがうっ!
『あいつ』と『おれ』は違うんだ!
陽太が夜中に起きているのを夕夏はようやく気付く事ができた。暮らし初めてから4ヶ月間は忙しくて布団に入ったら爆睡していたので、リビングに陽太がいることに気付けなかった。彼は12時過ぎにリビングに来て消音でテレビを見ていたりする。
時々、夕夏の部屋を覗いて寝ているのか確認する時もある。単なる夜更かしかと思ったが、それは毎日続いていた。前に陽太が隈をつくっている事があった。『眠れていない』のだろう。
今日も陽太は夜中にリビングにいた。夕夏は音を立てずに起きてスライド式のドアを開ける。音楽を聞いているのか、陽太はイヤホンをしてぼんやりしていた。
「夜更かしだね。陽太くん」
眼鏡をかけていない陽太は夕夏を見る。夕夏に見つかっても鈍い反応を示し、イヤホンを取って黙っていた。夕夏は静かに隣に腰掛けた。
「すみません、起こしちゃいまたね」
「ううん、私もまだ起きてたの。最近になって陽太くんが夜中起きてるって気付いた。もう半年も一緒にいるのに鈍すぎだね」
「夕夏さんは寝付きがいいですから。快眠なのはいいことです」
黙ると静寂が恐ろしい。暗い部屋の中が全てを不安にさせる。
「眠れないのって、私のせい?」
「えっ?」
「私が……陽太くんを、振ったから……」
相手の傷を抉る行為だとはわかっていた。でも、気になってしまう。罪悪感から逃れたいだけなのかもしれない。
「夕夏さんのせいじゃないですよ。不眠症は前からです。ここ一年ほどゆっくり眠れた事なんてありません。不安で苦しくて…意識が覚めてしまうんです」
「不安で……苦しい……」
「この先ずっと、体を売って稼がないといけないのか。病気になったらどうしたらいいのか。相手の顔色を窺って演技して騙して、そんな事でまともな人生が送れるのか。
いつまで……あの女に従わないといけないのか……」
夕夏は鈍感で思慮の足りない自分を恨んだ。『ママ活』やその経緯を知っていたのに、陽太の心の暗雲に気付いてあげられなかった。彼が表層に出さなかったとしても、汲み取って上げるべきだった。
「陽太くん。これからはお金の心配も将来の心配もしなくていいよ。あの女が帰ってこないなら、私が……陽太くんの『親』になるから…」
「…………」
陽太は何も答えられなかった。お世辞も作り笑いもできない。泣きそうになるのを堪えるのに必死だった。
それは、自分が一番『望まない』答え。
『最悪』の結末。
わかってる。夕夏は本気で自分を慈しんで、守ろうとしてくれる気だ。決して陽太の気持ちを踏みにじろうとしてるんじゃない。
けど……けど、それじゃ……
「それじゃ……意味ないんです……」
心の声が音となって出てしまった。陽太は夕夏の顔を確かめる事もせず、急いで部屋に戻った。結局その日も、陽太は眠ることができなかった。
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