冬茜に愁う

刹那

第1話

個別塾でアルバイトをする愁は、その生徒を聡い子だと思っていた。学業の面ではなく人間的な意味で。授業が終わり帰りのバスが来るまでの時間はよく講師とお喋りをしている、田上朱音という明るい生徒だった。


「ねぇねぇ、聞いて。最近好きな人が出来たんですよ」


授業で使った教材を片付ける最中、前触れもなく告げられた。その言い方には恥じらいが滲み、朱音も年相応なのだと何故か愁を安堵させる。


「幼馴染なんですけどね?友達の好きか、恋愛の好きかで悩んでて…。でも最近やっぱり恋愛の方で好きだなぁって」


「いいね、そういうの。すごい青春っぽい」


「告白はしてないけど」


「したらいいじゃん。仲良いんでしょ?」


「でも、もしフラれて今の関係が気まずくなるのは怖いし…」


人差し指で横髪を遊ばせ、不安げにはにかむ目元に若さを見た。やはり朱音も十七歳なのだと。しかし、次の瞬間には表情を変え、まるで思い出したかのような声を上げる。


「あっ、それはそうと先生。このシール持ってない?」


またもや突然振られる話題。朱音がリュックサックから出したのは、菓子パンの包装に貼られた点数シールだった。一定以上の点数を集めると、食器などの景品に交換してもらえるあれ。


「集めてるの?」


「そう!このマスコットが欲しくて」


突き付けられた包装には、何やら動物を模したキャラクターが印刷されている。確か愁が通う大学の女子も、朱音のようなことを言っていたかもしれない。フリマアプリでもグッズは即完売する程に人気度の高いキャラクターだ。


「食パンが1点で、菓子パンが0.5点…。それで40点集めろとか厳しいと思いません?」


「まぁねー。人気キャラだから、そう易々と貰われちゃ困るんじゃない?」


「にしてもさぁ」


不貞腐れる頬に笑うと、壁の時計を見た朱音がそろそろバスが来ると別れを告げた。その背中を見送って開いた携帯電話には、母親からメールが届いていた。帰宅の道すがらに食パンを買ってきて欲しいという、ありふれたお使いの内容は先程の会話を思い出させる。


(田上さんが言ってたのこれか…)


立ち寄ったスーパーのパン売り場で愁は思わず足を止めた。普段気にするのは値段ぐらいでメーカーにこだわりはないため、ついでに付いてきたシールは朱音に渡そうかなんて考えが浮かぶ。けれど、一人の生徒を私的に贔屓するのは講師の立場として如何なものか。散々悩んだ挙句、違うメーカーの食パンを購入して帰宅した。着くや否やゴミ箱のそれに視線が向いたのは状況からして必然だ。拾い上げた用紙には、見覚えのある点数シールがビッシリ。


「これいらないの?」


「あぁ、それね。去年と同じで食器だと思って集めてたんだけど、今年はマスコットみたい。欲しいなら貰っちゃって」


シールの点数を数えれば、半分近く貯まっていた。最初こそ躊躇したものの、これは愁が直接金銭をかけたわけではない。だから構わないのではないかと自分を許し、翌日の終業後こっそり朱音へそれを差し出した。


「え…これは?」


「田上さんにあげる。母親が食器だと思って集めてたけど、マスコットならあげるって言うから」


「いいんですか?!」


「他の先生には内緒ねー?」


朱音は笑みを崩さぬまま何度も頷いた。

今時にしては少し珍しいほど、擦れを感じさせない表情だった。聡くも稚い、相入れない表現がよく似合う。そんな朱音を夢中にさせる相手とは、一体どんな少年だろうと無性に気になってしまった。

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