こんな時代に旅を語るなんて
@fujikidayu
第1話 旅立ち
まだここは大阪だというのに広い待合スペースでは日本語がほとんど聞こえない。搭乗案内のアナウンスですら日本語は不慣れなようだ。
どんな人たちがこの飛行機に乗るのかと見渡してみた。日本人と思われる人たちのほとんどが単身のビジネスマンであった。スーツに身を包んでいる人もいれば、カバンでそうだとわかる人もいる。そりゃ日本語も聞こえないはずだ。では騒がしい声の主はというと、いかにも金を持っていそうな中国のお姉さま方である。最後の最後まで買い物を楽しんだのだろう。デューティーフリーの袋がそこら中に置かれている。まあでも、この日本を楽しんで帰ってくれるのだから嬉しいことじゃないかと、この時は思った。いい大人があんなにもはしゃげることはそうそうないだろう。ビジネスマンたちはチラチラとそちらを見ながら苦い顔をしているが。それくらい私は心躍っていたのだ。それにしても赤やピンクという原色の中でも一番目立つ色を競うかのように着ているのには驚いたのだが。
中国東方航空は上海まで約三時間。そしてそこで乗り継いでインドの首都デリーへ向かう。おそらく関西国際空港からまっすぐデリーへ向かう便もあったはずだ。だが大学を休学したばかりの私にその選択肢は無かった。スカイスキャナーで調べて出てきた一番安い便がこれだったのだ。往復でたった五万円。実家から十分のところに近畿日本ツーリストの看板があるのにも関わらずインターネットで手配したのはそれが理由である。格安運賃と正規運賃の違いなんてよく分からない。同じ飛行機に乗るわけだから安いほうがいい。初海外だから慎重に、なんて声には耳を傾けもしなかった。
待合室の窓の向こうにあるのは案外大きな飛行機である。そう思えるのはその周りで私たちの荷物を積み込んでいる人たちと比べて見るからかもしれない。思い返せば飛行機なんてこの距離で見たのは小学生の遠足ぶりかもしれない。もしかしたらオンボロな機材では?という不安はすぐになくなった。ほれみろ、五万円でいいじゃないか、内心そんな気分であった。
ついに搭乗が始まった。心配性の気がある私は待合室に二時間以上前からいた。空港まで送ってくれた母親と長く一緒にいるのが恥ずかしかったということもある。バックパッカーは何もかも現地調達だと格好つけていた私に母親はのど飴や正露丸、ボールペンを十本、その他諸々を持たせた。こんな恥ずかしい旅立ちはあるのかと思っていた。たったの十日間である。
パスポートと搭乗券をスタッフに見せて乗り込む。シートは左側の羽の真上で窓側。空は快晴。まるで私の旅立ちを祝福するかのように、なんてことを頭で考えてはいたがそんなはずはない。同じように旅立つ人がこの飛行機だけでもざっと百人、窓から見ればもっと大きな飛行機が何機もある。その中にはおそらく無念のうちに飛び立つ人もいるはずだ。ワクワクしていた私はいつの間にか慣れないことのオンパレードに委縮してしまったのかもしれない。なんとなく前の席ではしゃぐお姉さまも鬱陶しくなってきた。
そんな思いもよそに飛行機は滑走路へと向かう。待合室からは綺麗に見えていた滑走路だが、意外とガタガタ揺れる。一時停止ののち急加速、身体にはジェットコースターのような圧がかかる。その圧が和らいだ時には空へ滑り出していた。ぐるぐる旋回しながら空へ上がっていく。来るときはあんなに長く感じた本土と人工島を結ぶ橋もかなり短く感じた。
機内食は質素なものだった。ビーフオアチキンなんて選択肢はなかった。おそらく日本を観光した中国人に向けたものなのだろう。蕎麦や柔らかい天ぷらが出た。これで最後の日本気分を味わってくれということなのだろうが、逆効果ではないかと思うような味だった。こんな味で日本食の味をアップデートされたらたまらない。早くも日本食が恋しい。最後に関空で何か食べてきたらよかったと、母の誘いを断ってしまったことを後悔した。
そのあとは至って順調に進んだ。飛行機の乗り継ぎも難なく済んだ。同じ便に乗っていた人は殆ど皆上海で降りて行ったのだろう。上海―デリー便は三人掛けのシートに私一人しか座っていない。周りを見渡してみてもかなり空席が目立つ。中国人は日本には押し寄せるけど、インドには行かないのかと思った。ただ、ところどころにターバンを巻いたインド人らしき男性が座っているのを見ると少し興奮した。あのインドに向かっているのかと。
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