第25話 記念館
血を流しながら、私は石畳を馬で駆けた。フードが風にたゆたう。まだ騒ぎに気付いていないであろう賊たちは、獲物を狩る獣の目を瞳を私に向ける。彼らの目には、私の姿はただの旅人に映ったのだろう。私は手首の血を撒く。四大が石畳に弾ける。
――Mysenind zine,fogan as chalter floomer.――
吐き捨てた呪いに、私の後を追うがごとく炎が迸った。悲鳴が上がる。熱風が背を押す。
こんな雑魚に構っている暇はないのだ。私はモントシュタイル歴史館へと足を速める。
これは運命なのではないか。モントシュタイルという言葉をエインから聞いたとき、私はそう思った。南の神殿近くの官舎で見た新聞。虚無の力を得たラフェールが死んだ場所がここだ。
「エイン……」
奴らの言う虚無に似た右腕の黒炎。まるで虚無が具現化したような四肢。
私の勘違いであっても構わないのだ。ラフェールたちと、エイン。そこにあるであろう関係性は、明らかにせねばならない。それがエインにとってよいものでなかったとしても。彼を、守るためにも。
沈みゆく太陽を求めるかのように走る。夜の影が背後から迫ってくる――四大が大きく揺れた。始まったのだ。エインの復讐物語の幕が、今、上がったのだ。
彼は自分の目的を成そうとしている。私も、急がねばならない。呪いを吐きながら馬を走らせる。
「あれは……」
通り過ぎた景色の中に、焼け落ちた屋敷の姿があった。巨大な焼け跡地に、不自然な無の空間。その場所に、今では簡易的な市場が設けられている。死した場所であったが、四大の残留を感じた。
――確かに、奴はここにいたのだ。
旅歩きに街を滅ぼす最中、私は「ラフェール」という男について聞き歩いた。だが、誰も彼のことは知らなかった。それほど有名な男ではなかったのかもしれない。そう思い、次はあの火災について問うと、ある年老いた女はこう答えた。
「モントシュタイルの火災っていうと……あぁ、あれだねぇ。研究所が燃やされたってやつだと思うよ。あれは大層な事件だったからねぇ……痛ましい事件さ。
でも、今時の子が、よくそんな事件を知ってたねぇ。――え、なんでかってかい? そりゃアンタ、数百年前の事件は私ですら知らないからねぇ」
数百年前の事件だというが、ラフェールが人を生み出した――つまり神の血を持つ者であるならば、そこに生命の限界はない。ラフェールの後継ぎとやらもまた然りだ。
研究者関連の事件が、ここモントシュタイルで起こったのは、なんらかの因果があったのかもしれない。いや、たとえ無関係の事象であったとしても、確かめるに越したことはない。
モントシュタイルには、ほかの街には珍しく歴史館なるものがあった。歴史館がある、つまり、この街には何か語り継ぐべき事象があるということだ。数百年前の事件に関する記述も、残っているかもしれない。私は馬を走らせる。
――その歴史館は、橋のたもとに築かれていた。
「……やはりな」
私は歴史館の庭先に建てられた、五つ輪のオブジェクトに目をやった。
虚無の者がいるところに必ずあるオブジェクトだ。おそらく、それぞれの要素を表しているのだろう。炎、水、土、空気。そしてそれぞれを繋ぎ止めるようにされた小さな輪が、虚無。
私は扉を開いた。エトランスには同じく巨大なオブジェクト。そこを抜けたとき、目の前に男が現れた。
「入館料は5ギールでございます」
燕尾服にシルクハット、小さなステッキに髭を蓄えた、胡散臭い笑みの男だ。思わず私は彼を凝視してしまった。まさか人がいるとは思っていなかったからだ。さしずめ、この館の館長、だろうか。私はとまどいながらも、5ギールを払う。
「ありがとうございます(voudear)」
卑しく口元を歪め、男はステッキで奥を示した。そのまま大仰な仕草で振り返ると、軽く手招きして奥の部屋へ消えてしまった。ついて来いと、言っているのだろうか。
彼が本当に館長であるのか、あるいは、虚無の手先であるのか、その両方なのか。なんであっても構わないが、案内されるなら断る必要はない。真実を知る。そのためなら、たとえこれが何らかの罠であったとしても、乗るべきだ。
それに、気のせいだろうか。
この男を、私は初めて知っただけではないような気がするのだ。
館内はほとんどが文字で埋め尽くされていた。歴史館というより、資料館の方が近い。あるいは、図書館、だろうか。一目見て理解する施設ではなく、この男のような案内人に頼ることを前提としたものなのだろう。しかし男は、資料になど目もくれず先を行ってしまう。
「この場所はちょうど253年前に建てられました。……そう、あの火事の後でございます」
男は立ち止まると、壁にかけられた大きな絵をステッキで差した。見上げると、それは男女の肖像画らしい。彼は女性の方をステッキで囲った。
「リゼルダット=リーオン。素晴らしき研究者であったラフェール=リーオンの意思を継いだ御方の手によって」
「……この男の方が?」
「えぇ。ラフェール=リーオン。ラフェール様が研究者の手によって殺された、その二日前に描かれた絵でございます」
私は息を呑み、肖像画を見上げた。
素直に、美しい二人だと思った。男性――ラフェールの方は研究者という出で立ちではあるが、実直で誠実そうな男だ。欠けた右腕と細身の眼鏡が特徴的だ。研究に没頭することなく、人柄もよいことから、隣に女性が立っているのだろう。そんなラフェールに寄り添う女性――リゼルダットの方も、美しい。プラチナブロンドの髪が白いドレスに映える。本当に、幸せそうな夫妻だ。殺される二日前だと思うと、そのすべてに虚しさを覚えるが。
「そう言えば、あなた様とラフェール様は、どこか似ているような気がします」
蛇のような目を細め、男は私を見つめた。悪寒が走るような心地で、私はラフェールを見上げる。
どこか、が外見なのか雰囲気なのか、はたまた性情を指しているのかは分からない。だが、私とこの男の共通点などあるまい。ただひとつ、挙げるとするならば……その狂気、くらいなものだろう。この男はなにを言っているのか。ちらりと視線を投げると、男はなおも私を見ていた。気味が悪い。居心地も悪い。私は、肖像画から離れ、資料群に目を向ける。
「では、次はこちらに……」
資料を手に取る前に、男が肩を叩いた。奥を示したステッキに導かれるように進む。
「しかし、こんな時にお客様とは、思いもよりませんでした」
胡散臭い男は、顔に笑みを湛えてこちらを見ることなく言った。
「私こそ驚きだ。こんな時も、職務を全うする者がいるとは」
とんだ阿呆がいたものだ。その言葉は口に出さず取っておいた。彼が真の阿呆か虚飾の阿呆か、それはまだ確かではない。
では、と男は笑っていない目を細め、奥の扉を開いた。
「そろそろ、本殿へと参りましょうか」
――どうやら彼は、真の阿呆ではないようだ。
暗闇の地下へと続く階段。蒸気立ち上るその先には、濁れた四大が満ち満ちていた。
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