第51話 イリジアスへ
「……というわけなんだが、いいのかい、イーリス?」
「ああ、構わない。」
とイーリスの同意を得たので、僕はイーリスとマイニさんを伴い、あるところにやってきた。
王都から空中バスで3時間ほどかけて、僕らはここに降り立つ。そう、ここはセントバリ王国最北の都市「イリジアス」。かつて「イリジアス王国」と呼ばれていた場所だ。
実は王国と言いつつも、ここは都市国家だったらしい。王都イコール王国な国、イリジアス王国はわりと小さな国家だったようだ。
とはいえ、このイリジアスの街はそれなりに広い。市街地と海沿いの港、そして小高い山のあたりまでの幅30キロほどの領域が「イリジアス」と呼ばれている。人口は5万人ほど。この星の都市としては、決して小さい方ではない。
このイーリスの故郷にやってきたのには、わけがある。
それは「精霊」の伝承を調べるためだ。
ずっと気にかかっていたことがある。それは、精霊の「目的」だ。
僕の中には、精霊が宿っている。だが、こいつの目的が分からない。イーリス曰く、こいつは「最良」の方向に導くと言うが、何を基準に「最良」と判断しているのかが分からない、と言い換えた方がいいだろうか?
今のところ、僕と精霊の目的は同じなようだから、僕は生きていられる気がする。が、もし精霊にとって、僕が死んだ方が「最良」だと判断されたら、僕は死ぬことになるだろう。
現に、この国の王は精霊のおかげで死んだ。それが精霊にとって「最良」だと判断されたからだ。
だが、その判断基準が分からない。
それを知るために、僕はあの戦闘の後にもらった特別休暇を利用して、この地に足を踏み入れることにした。
もっとも、ここにイーリスを連れてくることには、少々抵抗があった。なにせイーリスは、このイリジアス王国の元貴族。自分以外の一族を目の前で皆殺しにされた場所である。あまりいい思い出があるとは言い難い。
また、その時の経緯から察するに、彼女はここの民衆にとっては「敵」と言える存在だ。元王族や元貴族からも刺されそうになった経験があるイーリスだ。ここに来れば、命を狙われるのではないか?
だが、イリジアスの地に降り立ってみれば、それは杞憂だと言うことが分かる。
イリジアスの人々は、イーリスのことなど知らない。かつて王宮付きの
考えてみれば、百人以上の王国貴族が住まうセントバリ王国の王都の街でも、貴族を見かけることは滅多にない。だから民衆が、当時貴族だったイーリスの顔など知るはずもなかった。
というわけで、3人でイリジアスの街を歩き回る。
「こ、ここがイリジアス王国なのですね!初めてでございます!とても美しい街です!」
珍しくマイニさんが興奮気味だ。そういえばリーデッジ王国の人々からすれば、このイリジアスというところは特別な場所。そんな場所に、彼女は初めて足を踏み入れた。興奮して当然だろう。
「ヴェルコミン!フェルスクト フィッシケン エア オーデュルト!」
(いらっしゃい!獲れたての魚が安いよ!)
当たり前だが、ここの基本言語はイリジアス語だ。我々の出現により、セントバリ王国の言葉、すなわち統一語が使われつつあるというものの、まだまだ自国の言葉を話す者の方が多い。
もっとも、僕はここに魚を買いにきたわけではない。市場を抜け、街の奥へと進み、ある屋敷の前に立つ。
そこは、かつてイーリスが住んでいたという、ユングリアス公爵家の屋敷だった。整然とした垣根の向こうに見える、この辺りでも存在感あふれる堂々としたこの建物を、何も言わず、黙ってジーッと見つめるイーリス。
いくらクールな性格のイーリスでも、様々な思い出が去来してしまうだろうな……ここは今、空き家のままだそうだ。
いや、こっちに用事があるわけではない。用事があるのは、その隣だ。
よりによって、イーリスの以前住んでいた屋敷の隣が、今回訪れたかった場所「イリジアス教会」だ。ゆえに、結果的にイーリスに見せたくもない屋敷の前に来てしまった。
「イーリス、あの……大丈夫?」
「なにがだ?ゴハンならさっき、食ったばかりだぞ。」
いや、胃袋の調子を尋ねてるわけではないのだけど……でも、思ったより大丈夫そうだ。
そして僕らはその教会に入る。中には、神父らしき人物がいた。
「ここはイリジアス教会です。なんの御用ですか?」
その神父が、少し片言な統一語で僕らに声をかける。すると、イーリスが応える。
「パフィ へフェール ヴェリフィ ラングァ ティーミ、ファーフィ オラヴィ!」
(久しぶりだな、オラヴィ神父!)
それを聞いたその神父は、突然声を震わせながら応える。
「エ、エルゥトゥ プァ イーリス!?」
(も、もしや、イーリス様でございますか!?)
この神父、イーリスを知っているのか?いや、知ってて当然か。お隣同士だったわけだし、おまけにこの教会が
「……オラヴィ殿よ、今日は私の用で来たわけではない。ランドルフが、いや、我が夫で、セントバリ王国の準男爵が、尋ねたいことがあって参った。」
「ええっ!?なんですと!?準男爵様が、この教会に!?」
別に準男爵だと言わなくてもよかったんだけどな。でも、その方が話が捗るかもしれない。僕はオラヴィ神父に尋ねる。
「イーリスが受け継ぎ、今、僕の中に宿っている精霊のことを教えていただきたい。ここに来れば、その伝承を知ることができると聞いてやってきたのですが。」
それを聞いた神父が応える。
「精霊……ですか。準男爵様が、今はその精霊の宿主と……確かにここには、精霊の伝承が残されておりますが。しかし、それを聞いて、どうなさるおつもりですか?」
「精霊の目的が知りたい。僕は何度も精霊に助けられました。だが、どうして精霊のやつは僕を助けるのか?つまりは、それが知りたいんです。」
「はぁ、そうですか。精霊の伝承をお聞きになって、準男爵様の知りたいことが分かるかどうかは分かりませんが……では、こちらへ。」
僕ら3人は、教会の奥の部屋へと行く。そこで僕らは、精霊にまつわる伝承を聞く。
「さて……ある程度のことは、イーリス様からお聞きになっていることでしょう。今から1000年前、海より『神』が現れ、
「はい、聞きました。ですが、話が飛躍し過ぎていてよく分からないんです。なぜ、支配者に直接、宿らなかったのか?そこがずっと疑問なのですよ。」
「それは、支配者というものは変わるものだからでございます。最近まで存在したイリジアス王国も、その歴史は300年ほど。この1000年余の間に、この地の支配者は何度も変わっております。そのたびに、
「ということはもしかして、精霊の役目というのは、この地を守ることなのですか!?」
「はい、その通りです。」
なんだかあっさりと、精霊の目的とやらが見えてきた。だが、それはそれで疑問が湧く。
「あの、でも僕はこの地の支配者でもなんでもないですよ!?なのになぜ、僕は精霊から守られているんです!?」
「失礼ですが、準男爵様は今、どのような役目を担われておられます?」
「僕は、この星の宇宙艦隊所属の駆逐艦の艦長です。先日も戦闘があり、精霊が発動して連盟軍を追い払ったところなんです。」
「で、あれば、この星を守ることがすなわちこの地を守ることであり、それで準男爵様は守護されているのではありませんか?」
うーん、そうなのかなぁ……確かに、その通りといえばその通りだが、僕はこの地にやってきたのは、これが初めてだ。そんなやつが、この地を守ってると言えるのだろうか?
「守る」にもいろいろあって、何も防衛するだけではない。例えば、企業を誘致して雇用を生み出したり、道路や医療機関などのインフラ、サービスを整えるなど、人々が安定した生活を送れるよう計らうことも、街を守ることになる。そういうことは支配者には可能だが、僕には無理だ。
ここを今、支配しているのは、セントバリ王国の国王陛下だ。であるなら、本来なら
「そういえば、伝承では1人の女性に精霊が宿ったんですよね?なのに今、少なくとも2人の
「それは、最初の
なんだそりゃ?精霊っていうのは、まるでアメーバのように分裂して増えるのか?
「しかし、僕はイーリスから、
「それは、
なるほど、それで
ということはだ。他にも
「ところで……最後にもう一つ、腑に落ちないことがあるのですが……なぜ精霊は、この地にこだわるのですか?」
僕は神父に、最後の疑問をぶつける。神父の語る伝承によれば、精霊はこの地を守る者を守護するのが目的だと言っていた。ならばなぜ、この地なのか?
取り立てて、特別な何かがあるようには見えない。
「そうですね。それについては多くは語られておりません。ただ、海の上に神が現れ、この地を守ると宣言されて、そしてその場にいた
なんとも要領を得ない回答だ。それ以上のことは、この教会に残る伝承には書かれていないのだという。
しっくりしないまま、僕はその神が現れたと伝えられる海岸へと向かった。
もっとも、海に行ったところで、何かあるわけではない。あるのは砂浜と、打ち寄せる波だけ。だいたい、ここの海岸は2、3キロ続く。どこでそのイベントが行われたのかすら、今となっては分からない。
そもそも本当に「神」などという存在が現れたのか?なにせ1000年も前の伝承だ、かなり着色された物語として伝えられている可能性がある。あの教会にある精霊に関する伝承を伝える書物にしても、イリジアス王国ができた300年前に書かれたものだという。つまり、それまでの700年は口伝で伝えられたものだ。そんな話に、どこまで信憑性があるのかなど、分かったものではない。
だがもしかすると、海に行けば何か分かるかもしれない。その神様とやらが守りたくなるような綺麗な光景でも見られるとか、何か御神体のようなものでも置かれているとか、そういうものがあるのかもしれない。そう思って、僕は海岸までやってきた。
が、特に何もない。ここは、お世辞にも綺麗とは言えない。流木が流れ着いた砂浜、北の地方特有のやや荒れた海で、神がかった場所だとは到底思えない。
まあ、神様の話は作り話だとしても、それならなぜ、精霊などというものが生じだのだろうか?その存在だけは、紛れも無く事実だ。あんな非科学的なものがこの地にだけ存在するというのも、なんだか妙な話だ。
などと考えながら、僕は海岸をしばらく眺めていた。が、見るべきものは特にない。で、その場を立ち去ろうと、僕は海に背を向ける。
その時だった。
耳の奥で、何か音がする。
だが、あのピーンという音では無い。フォーンという、もっと低い音が響く。
それはすぐに鳴り止む。だがその時、僕の目の前には見たことがない光景が見える。
そこは海岸。だが、その向こうにはさっきまで見えていたイリジアスの街の建物は見えない。
なんだか少しくすんだ、ややセピア色な光景が広がる。音は全くしない。イーリスとマイニさんの姿もない。まるで静音動画のように、ただ風景だけが流れている。
よく見れば、音もなく打ち寄せる波打ち際の砂浜に、女の人が一人、立っているのが見える。イーリスのように、銀色の髪、透き通るような白い肌の女性。砂浜に立って、何かを見つめている。だがそれは、イーリスではない。
僕は振り返り、その女性の目線の先を見た。
するとそこに、金色に光り輝く男が歩いている。その行く先は、海の中だ。
なんだ、この男は?なぜ、金色に輝いている?どうして海の中に向かって歩く?
まるで状況がわからないが、こいつが伝承に出てくる「神」なのではないか?僕は、直感でそう感じる。
そのまま海の方に進む男だが、背後に女性の気配を感じたのか、その場で立ち止まる。そして、女性の方を振り向く。
すると、その女性が突然走り出す。海の中に入り、男の前に立った。
この2人の間には、ただならぬものを感じる。だいたい、こんなピカピカに光る不気味な男の後を追いかけてくるなど、常識ではありえない。少なくともこの時点で、この2人はよく見知った仲なのであろう。
しばらくの間、互いに見つめ合う2人。そして、その女性は男の頬に手を当てる。
そして、あの
すると男は突然、まるで霧のように消えていった。波打ち際に残ったのは、あの女性ただ一人。
だが、満足げな顔で再び砂浜の方に戻るその女性。そして砂浜を超えて、陸へと歩いて行った……
そこで、急に周りに色彩と音が戻る。波打つ音が聞こえる。僕の目の前には、イリジアスの街が広がっている。そして、イーリスとマイニさんが、僕のすぐ前に立っていた。
「おい、どうした、ランドルフよ!?」
異変を察したのか、僕に声をかけるイーリス。
「ああ、いや、なんでもない。」
応える僕。どうやらさっきの光景は、イーリス達には見えなかったようだ。
それにしても、あの映像は一体なんだったんだ?なぜ突然、あの映像が僕にだけ見えた?
もしかして、あれが伝承の元になった出来事ではないのか?なんとなくだが、僕はそう考えた。
ということは、あの光る男が伝承の「神」で、あの女性が最初の
でももし、あの映像が真実だったとしたら、伝承にあるように「神が海から現れた」とはとても言えない。
どちらかというと、あの光る男は海に向かって歩いていた。つまり、この地を立ち去ろうとしていたことになる。
それを、あの女性は追いかけ、そして取り込んでしまった。
その前後の事情は分からない。
伝承にも、その辺りのことはまったく伝えられていない。
だが、なんとなくあの映像を見て、あの2人の間に何かがあったことは間違いない。そして、男の方は何らかの事情で、あの場を去らねばならなくなったのだろう。
そしてあの女性、イーリスの遠い先祖も、おそらくあの男が消えることを知って、あの行動に出たのだろう。
何があったのかはまったくもって分からないが、おそらくあの2人にとって、あれが「最良」の選択だったのかもしれない。
そしてその後「神」とされたあの光る男が、この地を守ろうと思った理由が、なんとなくだが分かったような気がする。
かえって謎が増えたものの、僕は少し納得できた気がする。
「イーリス、そろそろ宿に帰ろうか。」
「ああ、帰ろう。」
「そうだ。ついでだし、街で何かお土産でも買っていく?」
「そうだな、なら魚でも買っていくか?」
「いや魚はちょっと……そんなもの、宿に持っていっても困るでしょうが……」
おぼろげだが、僕は精霊の守りたいものが、なんとなく分かったような気がした。
その意味では、この旅は無意味ではなかった。
そう思いながら、僕はイーリスとマイニさんと共に、イリジアスの街に向かって歩いて行った。
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