第38話 ほとぼり

さて、それから1週間は、毎日が憂鬱な日々だった。

この事件では、僕は被害者だ。2度死にかけた、まさに文句なしの被害者だ。これについては、誰も異論は無いと思う。

にも関わらず、なぜ僕はこれほどまで心えぐられる思いを、毎日しなきゃいけないのか?


まず、ヴォルフ中佐のことだ。

この数日、彼はかなり滅茶苦茶な仕打ちを受けたようだ。

口の端にのせるのがはばかられるほどのむごい仕打ちを受けていることを、僕は毎日、報告で聞かされる。

自白剤の大量投与、かなり強引な脳波読み取りの実施、挙句に拷問……裏切り者の行く末が、これほど苛烈なことになろうとは、僕自身、嫌というほど思い知らされる。

どうせ極刑に処すのだからと、やりたい放題されるヴォルフ中佐、いや、この時点でもはや、彼は中佐ではないのだが。

さて、捕まったもう1人の内通者、オレール二等兵曹のことだが、この宇宙には、諜報員の人権を認める条約はない。彼はもはや、捕虜ですらないという。ゆえに、ヴォルフ中佐同様の酷い仕打ちを受ける羽目になる。

この過程で、連盟がどのように情報を集め、そしてヴォルフ中佐に接触していったかが徐々に判明する。


そして、オレール二等兵曹だが、やはり連盟出身の者だった。王国に侵入し、あたかもこの国の出身者であるかのように振る舞い、軍に入る。

で、上手く司令部付きの仕事を得て、内情把握に努める。

するとすぐに、ヴォルフ中佐が不満を抱いていることを突き止める。そこでオレール二等兵曹は、行動を開始する。

やはり、ヴォルフ中佐は連盟軍の佐官になることを条件に、連盟側に内通することになったらしい。オレール二等兵曹は、連盟で訓練を受けた工作員で、言葉巧みにヴォルフ中佐に付け入ったようだ。

で、僕とイーリスの事を突き止める。ヴォルフ中佐から、その精霊の秘密を知る。そこで僕を殺して、イーリスだけを連れ去るという計画を立てる。

精霊が発動すれば、僕は無双状態になる。だから、最初からあの4人は死んでもらうつもりだったらしい。あの哨戒機パイロットも、最初から見捨てるつもりだったようだ。

この計画では、銃撃戦の末に僕とイーリスが司令部内に連れ込まれることを想定していた。そこで僕とイーリスとを引き離して、僕だけを亡き者にし、宇宙港に侵入した連盟の工作艦にイーリスを連れ込んで逃げる。そういう算段だったようだ。


だが、彼らには誤算があった。


一つは、連盟のパイロットがあっさりと投降し、連盟が侵入した事実が早々にばれてしまった事、それを受けてバルナパス少将が、内通者の存在を疑い始めた事。

そして、僕が司令部へ移動する車の中で、イーリスのまじないを受けていたことだ。

てっきり、精霊が抜けた状態でくると思っていたヴォルフ中佐は、僕の突然の精霊発動で目算が狂った事を知ることになった。


……とまあ、こんな話をこの1週間の間毎日、あの2人に加えられた苛烈な施術の内容とともに聞かされた。

やれ一晩中寝かさなかっただの、致死量ギリギリまで薬を投与しただの、手や足の爪を……ああ、ダメだ。僕はこの手の話が大の苦手だ。それにしてもあの2人、よく途中で死ななかったものだ。それくらい苛烈な仕打ちを1週間毎日、受け続けた。

正直、死んだ方がマシだったろうな。僕が同じ立場だったら、そう思うだろう。


にしてもあの時、酒臭いイーリスから精霊を受け入れておいて正解だった。あれがなかったら、僕は今頃、確実に死んでいた。

そしてイーリスは、連盟側に連れ去られていたかもしれない。あの時のイーリスの判断が、命運を分けた。

ともかく、それ以上の工作員の存在も確認されず、1週間が経過する。そして事件はいよいよ、最後の段階を迎える。


それは、2人の工作員の公開処刑だ。


射撃演習場で目隠しをされて、柱に縛られて立つ2人。遠くから見ても、もはや気力など残っていない、廃人同然であることが分かる。


「構え!」


バルナパス少将の号令で、数人の士官が、銃を構える。


「撃てーっ!」


バンッバンッという乾いた銃声と共に、青白いビームが2人の身体を貫く。そして2人の命は奪われた。いや、ようやく苦悩から解放されたというべきか。

ともかく、僕にとっては実に後味の悪い1週間がようやく終わった。


この間、僕とイーリスは、司令部内で半ば軟禁状態で暮らしていた。他の工作員の存在も考えられたため、外に出られなかったのだ。


そして、僕らは今、リーデッジ王国にいる。


まあ、とにかくいろいろなことがあった。あの捕虜はすでにブラックホール宙域で、連盟側に引き渡された。僕とイーリスの「死」の情報を持って。

で、1か月間、ほとぼりが冷めるまで、僕とイーリスはこの王国で過ごすことになったのだ。

この1週間で心をえぐられた僕の休息も兼ねたこの措置を、2人は甘んじて受けることにした。


「はぁ~……」


海を眺めながら、僕はため息をつく。


「なんだ、元気がないな。」

「そりゃそうだよ。あの1週間、外にも出られず、毎日が地獄だった。イーリスだってそうだろう?」

「そうか?わざわざ外に行かなくても、毎日料理が運ばれてきた。まるで王族の宮廷暮らしのようで楽しかったぞ。」


イーリスは満足気だが、僕はその裏で嫌な話を毎日聞かされていたんだよ。おかげで、食事が喉を通らないこともあった。


「まあ、どんな話を聞かされたか知らんが、せっかくこののどかで静かなリーデッジ王国に来たんだ。あんな裏切り者のことなど忘れ、のんびり過ごそうではないか。」


相変わらず前向きだなあ、イーリスは。自分だって、一つ間違えたら別の星に行っていたかもしれないんだぞ。怖いとは思わないのか?


「ねえ、イーリス。」

「なんだ。」

「もし、僕が死んでいたら、やっぱり新たな主人あるじを探すの?」

「それはそうだ。私は呪術師シャーマンだからな。」


あっさりと応えるイーリス。うーん、なんてドライなんだ。


「だが、それは精霊が『最良』だと判断した時だ。今、ランドルフは私と共にいる。これが今の最良な状態。だから、そんな仮定をしたところでムダだ。」


などと言いながら、僕の腕にしがみつくイーリス。そして僕の顔を見て、笑みを浮かべる。まったくこの呪術師シャーマンは、ドライなのか可愛いのか、よく分からない。

ところで、ここはリーデッジ王国にある空き屋敷の中。そこをホテルがわりに使わせてもらっている。元イリジアス王国の貴族令嬢であるイーリスがいることもあり、至れり尽くせりだ。

うーん、なかなかいい雰囲気になってきた。真っ昼間だけど、他にすることが特にあるわけではない。このままベッドに連れて行って……


「おはようございます、イーリス様に旦那様。」


と、そこに1人のメイドが現れる。思わずドキッとする。危ない危ない、もうちょっと遅かったら、イーリスといちゃついているところを見られるところだった。というかメイドよ、ノックぐらいしろよ。


「……何の用だ?」

「いえ、もしかしたら、ベッドでいちゃつかれているのではないかと思いまして……」


なんだ、やっぱりそれを見届けるのが目的だったのか、メイドよ。

彼女の名はマイニ。このリーデッジ王国から派遣されてきた、王族付きのメイドだ。

メイド服を着た、どこからどう見ても、典型的なメイド。この星のこんな島国でも、メイドと言えばこういう格好なのだな。

1か月の間、ここにとどまることになったため、王国よりあてがわれたメイドなのだが……かれこれもう3日経つが、このメイドのおかげで、僕らの生活は大きく振り回されている。


「そういえば、イーリス様の下着を洗っておきました。」

「おお、そうか。ご苦労だったな。」

「引き出しに入れる際に、夜伽よとぎに向いているものを上に置いておきました。これでいつでも旦那様とやれますよ。」

「そうか。分かった。」


さらりと、とんでもないことを言い出すこのメイド。まったく……何を考えているんだ?


「あのさ、マイニさん。」

「何でしょうか、旦那様。」

「……どうして、イーリスの、その、下着までわざわざそんな気遣いをするの?」


気遣いどころではない。はっきり言えば、変態メイドだ。

するとこのメイド、さらりとこんなことを言いやがる。


「お二人は結婚されて、すでに3年経っていると伺ってますが、未だにお子がございません。そこで私は全力で、子作りをお手伝いさせていただいてるだけでございます。」

「……だからさ、そういうのはいいから。」

「そうは参りません!イリジアス王国の公爵家の血筋を絶やさぬためにも、ランドルフ様とイーリス様にはぜひ、励んでいただかなくてはなりません!そのために、私はここへきたのでございます!」


そう、このメイドはリーデッジ王国の陛下より、そんな使命を帯びて僕ら夫婦の元にやってきた。それでやたらと僕ら夫婦にちょっかいを出してくる。

だが、それならそれで、どうして部屋を覗く必要があるのか?


「あのさ、僕とイーリスの部屋に、いきなり入らないで欲しいんだけど……」

「それはなりません。私は、イーリス様と旦那様が交じあわれているかを見届けねばなりませんので。」

「……いや、だから、そういうのは……」

「イーリス様ご懐妊の際は、それが旦那様のお世継ぎかどうかを見届けるのも私の役目!このため、そのような行為をなされたかどうかを、しっかりと把握せねばなりません!交じ合われるときはぜひ、私をお呼び付け下さい!」


そう、実は彼女は「監視」役だ。まさに、僕ら夫婦の営みを監視するためにやってきた。

聞けば彼女は長いこと、王族専属のメイドをしているようだ。

で、王族、特に国王陛下には何人もの妃がいるという。だが、その妃が身篭った時、それが本当に王族の血筋のものかを確認する必要がある。

で、このマイニさん、妃と陛下がなされるところを見届けるという監視役をし続けてきたメイドだという。その妃が他の男と交じ合って生まれた子を、陛下の子だと申告しないようにしなくてはならない。

こういうことは、この王国のみならず、他の王国、もちろんセントバリ王国の王族でも行われているそうだ。まさに中世ならではの慣習である。


しかし、そんな役目のメイドをこっちによこさないで欲しいなぁ……僕らは一般人だ。第一、僕がイーリス以外にそんな関係を持つわけがないし、その逆もありえない。

それに、イーリスと僕の子供かどうかなんて、どうしても知りたければ遺伝子を調べれば分かることだ。わざわざ夫婦の営みを見届ける必要などない。

と散々言っているのだが、このメイドは頑として自身の役目を果たすため、僕らから離れない。


このため、夜になると、僕らの寝室の中にいて、一緒に寝る。僕らが動き出すと目を覚まし、じーっと観察してくる。

すでにそんな夜を、この3日間、続けている。このメイドが気になって、イーリスといちゃいちゃすることなど、とてもできない。

うーん、確か僕はこの国で、心を癒すためにきた筈なのだが、この公認変態メイドのおかげで、心休まる時がない。困ったものだ。あと1か月も、こんな生活を続けるのか?


そんな僕はイーリスと共に街に出る。小さな王国だが、それなりに栄えた街だ。

それにしても、メイドも一緒についてくる。外でやらないか心配してのことだというが……いや、さすがに街中では、そういうことはしないから。

だがこのメイド、街中では案外役に立つ。


「ヴェルコミン!エルトゥ エックィ アファ ケウパ アイッフヴァファ!?」


沿道の店の主人が声をかけてくる。が、ここはイリジアス語が使われている。言葉はさっぱり分からない。


「いらっしゃい!何か買っていかないか?と、言ってます。」


すると、マイニさんが通訳してくれる。ああ、こういう時は便利だな。イーリスは言葉は分かっていても、ほとんど通訳してくれないからな。


「ゲッフ ミエ フィスキン。」


僕に構わず、その店の主人に応えるイーリス。


「その魚をくれ、と言ってます。」


すかさず、マイニさんの通訳が入る。


「なんだ、イーリス。その魚を買うのか?」

「うむ。新鮮で美味そうだ。マイニなら、上手く作ってくれるだろう。」


そう、実はマイニさん、料理も上手い。しかも、まだ同盟を結んで間もないリーデッジ王国において、我々のもたらした調理法や調味料をいち早く取り入れた、この星の住人としては柔軟性の高い人物。通訳に掃除洗濯、そして料理と、一人で大抵のことはこなせるスーパーメイドだ。夜の見張り役さえなければ、これほど有り難いメイドはいない。


他にも、野菜や果物を買って屋敷に戻る。マイニさんが料理を作っている時、僕は屋敷の3階の窓から、遠くを眺めていた。

堤防の向こうに海が見える。海の上には、小舟が何艘も浮かんでいるのが見える。この辺りで魚を獲っている舟のようだ。


「はぁ~……」


ため息をつく僕。そこに、イーリスが現れる。


「何、辛気臭い顔をしとるんだ?艦長だろうが、もっとしっかりせい。」


いや、今は連盟に命を脅かされて、ほとぼりが冷めるまで小国に逃げ込んだ傷心野郎ですよ、イーリス。


「にしても、イーリスは元気だな。突然こんな国に来て、気が滅入らないか?」

「ここはイリジアス王国にそっくりだ。むしろ私には、喜ばしい。」


言われてみれば、ここは言葉も文化も、イリジアス王国の影響を色濃く受けた国だ。あまり表情に出さないので分からなかったが、イーリス的には祖国に帰ってきたようで、嬉しいみたいだ。


が、夜になると、マイニさんがつきまとう。

なんと彼女、風呂場にまで入ってくる。しかも、裸で、だ。


「ちょ、ちょっと!マイニさん!なんて格好で風呂場に……」

「風呂場に服を着て入る方が迷惑でございましょう。お気になさらず、存分にイーリス様とお楽しみください。」


屋敷のお風呂だけあって、広い。3人は余裕で入れる広さだ。

とはいえ、やはりマイニさんが気になって仕方がない。マイニさんは小ぶりながら、イーリス同様、真っ白な肌にすらりとした身体をしている。男ならば、気になるのは当然だろう。

だが、イーリスはこの状況をあまり気にしていないようだ。どうなっているんだ、ここの人間の感覚は?

もっとも、このリーデッジ王国でも、セントバリ王国でもそうだが、基本的に公衆浴場は混浴だ。つまり、男女が同じ風呂場に入ることに抵抗がない。これは、我々の感覚では考えられないことだが。


で、当然、寝室にも入ってくる。

いつも床に布団を引いて寝るのだが、それではあまりに忍びないので、一人用のベッドを置くことにした。

……なんだけどさ、やっぱり寝るときくらい、夫婦水入らずにして欲しいなぁ……

で、そういう生活が、2週間ほど続いた。


まあ、人間というものはその場に順応してしまうもので、気づけばマイニさんのことがほとんど気にならなくなってきた。風呂場に入ってこようが、寝室に入ってこようが、あれは置物だと思うことにした。

これがレーナ少尉だったら問題だが、相手はこういうことに慣れたプロのメイド。我々の邪魔をするわけでもなく、淡々と自らの職務をこなすだけ。このため、いつの間にか気にならなくなっていた。

料理も上手だし、よく働くし、むしろ頼りになるメイドとして見るようになってきたところだ。


生活の変化は、他にもある。


「ヴェルコミン!エルトゥ エックィ アファ ケウパ アイッフヴァファ!?」

(いらっしゃい!何か買っていきませんか?)

「サウ エル リェッテ……ソヴ ヴィス スクルゥム ファウ オストゥル パルナ。」

(そうだな……じゃあ、そのチーズをもらおうかな。)


いつの間にか簡単な会話なら、僕もできるようになっていた。これも、人の順応性というやつか。

気づけばすっかり僕は、このリーデッジ王国に溶け込んでいる。

あと2週間で、ここともお別れか。それはそれで、なんだか少し寂しくなってきたな。

次の休暇の時には、またここへくることにしよう。そう思える自分がいた。


そして、拳ほどの大きさのチーズの塊を抱えて、イーリスとマイニさんとともに街を巡る。

ここは、たくさんの海産物が売られた店が多い。海に囲まれた島ということもあって当然なのだが、どうやら潮の流れの関係で、様々な魚が獲れる漁場のそばでもあるらしい。

そんな海の街も、少しづつ変化が見られる。


堤防のすぐ外に、3、4隻の船が停泊可能な小さな宇宙港が作られた。また、島の中心にある山を削って、さらに大きな宇宙港が建設されることになっている。この島国も、大きく変わろうとしているところだった。

だが、この街はまだ中世の面影が色濃く残る場所。電化はほとんど進んでいない。が、調味料だけは庶民の間に浸透し始めている。

海産物というのは、やはり生臭い。それを打ち消すのは岩塩くらいしかなかったが、我々の出現で調味料の選択肢が増えた。今ではすっかりコショウやガーリック、それにマスタードやケチャップを使うのが当たり前になってしまった。


ある飲食店で、親子が煮魚にケチャップをつけて食べているのを見かけた。なんとまあ、あれにケチャップを使うのか……だが、それはそれでこの親子は、満足しているようだ。のどかな雰囲気の、平和そのものの街。


だが突然、そんな街に似つかわしくない事態が起こる。

僕の耳の奥で、あのピーンという音が鳴り響いたのだ。

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