第12話 呪術師、宇宙へ行く

「き……今日も来てやったぞ! イーリスちゃん!」

「あの……イーリスさん。私にも、もっと前向きな生き方ができるよう、教えてちょうだい!」

「今日は、イリジアス王国からセントバリ王国まで運ばれる時の話をしてくれるんでしたよね! イーリス殿!」


 3人同時に、僕の部屋に現れた。左から順に、カーリン少尉、パウラさん、そしてレーナ准尉。


「……なんで、元奴隷のパウラさんに、レーナ准尉までいるのよ!」

「いや、私はイーリスさんと同じイリジアス王国出身なので……」

「少尉殿! 私は昨日、イーリス殿よりうらやま……いや、貴重な話を伺うことになっているんです!」

「はあ? イリジアス王国からこの王国まで運ばれる話って……それって、どう考えても奴隷として連れて来られる時の話じゃないの!? どう考えても、一番聞いちゃダメな話でしょう?」

「私も、思い出したくないですよ! あの時は冬だというのに、薄い奴隷服しかもらえなくて、とても惨めな思いをしたんですから……」

「ええーっ!? もしかしてあなたも、元奴隷!?」

「え、ええ、そうですけど……」

「その時の話、詳しく、分かりやすく、臨場感たっぷりに教えてくれませんか!?」

「ええーっ!? 誰なんですかぁ、この人!」


 塩素系漂白剤と酸性洗剤と金属ナトリウムのような組み合わせだな、この3人。どう混ぜても危険な3人が、よりによって同時に現れてしまった。


「おお、よく来たな! まあ、あがれ!」


 そんな3人を分け隔てなく相手にするイーリス。元公爵家の令嬢であり、しかも呪術師シャーマンという特別な身分だったことが、彼女をここまで度量ある人物にしたのだろうか?


カ「ちょっと、変態中尉! 客人にお茶くらい出しなさいよ!」

パ「やっぱり、ランドルフさんって、ちょっと変た……いや、変わっている人なんですよね。」

レ「イーリス殿にあらぬことをしているって噂ですよ!もしかすると、ベッドの下あたりに拘束具が隠されていて、夜な夜なイーリス殿を……」

イ「おい、変態亭主。とにかく、皆にお茶を出してやってくれ」


 4人が揃いも揃って変態変態って……僕は、何一つ悪いことはしていない……だけど、お茶の入ったペットボトルを取ろうと覗いた冷蔵庫の中が、涙で歪んで見えるのはなぜ?


 混ぜると危険な4者が集まったというのに、どういうわけかそれなりに会話が成り立っている。


レ「では、パウラ殿もやはりあの紐一本の奴隷服を着ていたのですか!?」

パ「な、何でそんなこと知ってるのよ、この人!?」

イ「私が見せたからな、その奴隷服。実際に着て見せたのだ」

パ「ええ〜っ!?なんでそんなことをするのよ!」

イ「そういう退廃的な光景が好きだといっておったぞ。ならば、せっかくだからと思って……」

パ「イーリスって何考えてるのよ! でもまあ、私も使ってるけどね、あの奴隷服……」

カ「ちょっと待って! パウラちゃん! その奴隷服って、まさかエックハルト中尉殿相手に使っているの!?」

パ「え、ええ……そうなんです。だってエックハルト様、あれを着て現れると、とても興奮されるんですよ。だから時々……」

カ「聞き捨てならないわね! もうちょっと詳しく聞かせなさい! パウラちゃん!」

レ「そうです! できれば、その時のエックハルト中尉殿の異常な振る舞いなども、合わせて教えてもらえると……うへへ……」

イ「そうか、そういう使い方もあるのだな、あの服。私もランドルフ相手に使ってみるか。私にも詳しく聞かせろ」

パ「ど、どうして私がそんな話をしなきゃいけないの!?」

イ「会話の流れというやつだ。世の流れには、逆らわず乗る方が良いというぞ」

カ「そうよ! 話の内容によっては、エックハルト中尉殿をとっちめてやらないと!」

レ「いやあ、エックハルト中尉殿の方が変態だったなんて……エックハルト中尉殿とパウラ殿の間に、ランドルフ中尉殿が乱入したら……」

カ「なんですって!? ランドルフ中尉殿!そんなことを考えてるんですか!? やっっぱり女の敵ですね! あなたは!」

イ「まあ、そんなことよりも、パウラの話がまだだぞ。」

カ「そうよ! パウラちゃん! 聞かせてちょうだい!」

レ「是非、お願いします!」

パ「うう……なんでこんなことに……」


 結局、パウラさんのプライベート空間の最も奥深い次元に存在する、本来明かされてはならない赤裸々な私生活の一端が、このリビングにて暴露される。僕もこの話を聞いて、エックハルト中尉への印象が大きく変わったほどだ。

 いや、それよりもだ。どうしてこの4者がスムーズな人間関係を維持できているんだ?そのことが一番、不思議でならない。


 だがこうして冷静に見ていると、イーリスが結果的に上手く間を取り持っていること、そして男をはけ口に使っていることで、あれだけ性格も趣味も境遇も異なる女子が一致団結できてるようだ。

 しかし、エックハルト中尉のみならず、僕への罵詈雑言ばりぞうごんを間近で聞かされる僕にとっては、この女子会はたまったものではない。早く終わらないかなぁ。


 で、そんな4人だが、あろうことか揃って駆逐艦7767号艦に乗ることになった。なってしまった……


 7日間の砲撃訓練に行くことになったのだが、訓練時は危険が少ないため特別に、家族同伴が認められる。

 そこで一応、僕はイーリスに確認してみた。すると、駆逐艦に乗ってみたいと言い出す。


「あの駆逐艦という船に一度、乗ってみたかったのだ! 是非、乗せて欲しい! 面白そうだ!」


 ショッピングモールではないのだから、面白いことはないと思うが……


「でも、いいのかい? 大気圏離脱時や砲撃訓練の時は、びっくりするほど大きな音がするけど……」

「あの屈辱の奴隷生活を乗り切った身だ。あれと比べればその程度のこと、問題ない」


 いや、あれとこれとは随分と違うぞ。いいのかな、本当に?だが、本人がどうしてもというので、連れて行くことになった。

 イーリスを連れて宇宙港に着くと、パウラさんを連れたエックハルト中尉も現れた。ああ、やっぱり彼女もついてきたのか。


「きたわね! イーリスちゃんにパウラちゃん!そして、その2人を辱める変態亭主ども!」


 駆逐艦の入り口で、階級が上の男性士官2人に向かって言いたい放題罵るのは、恐れ知らずのカーリン少尉だ。


「ふっふっふっ……私も同乗しますよ……」


 そして、レーナ准尉まで現れた。って、なんでこいつまでついてくる?


「レーナ准尉、貴官は少将閣下の第2秘書ではないのか?なぜこの艦に乗る?」

「今回の第2秘書としての役割は、あなたの監視任務です。異常行動が認められた場合、すぐに少将閣下に報告せよと言われてます。と、言うことで、少将閣下の命令で中尉殿の監視役として参りましたので、よろしくお願い致します!」


 なるほど、少将閣下公認のストーカーか。嫌なやつが乗り込んできたな。


「ところでその紙束、さすがに公務中に持ち歩くのはまずいんじゃないか?」


 相変わらず、たくさんの紙束を抱えたまま歩いている。だが、レーナ准尉はその紙束を1枚見せる。

 よく見るとそれは、報告書や資料の類だった。


「あの絵を公務中に持ち歩くほど、私は変態じゃありませんよ! 仕事中は、仕事中の書類を持ち歩いてます! 何を考えてるんですか! この変態中尉!」


 どうして僕は、さっきからいわれなき罵りを受け続けなきゃいけないんだろうか?変態じゃないのに……


「もちろん、勤務時間外はあっちの紙束を持ち歩きますよ。イーリス殿とパウラ殿より、またうらやま……いや、貴重な体験談を是非聞かねば……」


 こっちの方がよほど変態だ。公私ともに、危険しか感じない。守護の精霊よ、一体何をしている?ちゃんと仕事しているのか?

 ともかく、我が妻イーリスと僕を変態呼ばわりする女子3人とが、同じ艦内で過ごすという生活が始まった。狭い艦内だ、特に食堂では、確実に顔合わせすることになるだろう。

 せっかく前の砲撃長がいなくなって、パワハラから解放されたと言うのに、今度は違う種類のハラスメントを受けるのか。つくづく僕の軍隊生活は、恵まれていない。


「まあ、気にするな。この一週間は、寂しい思いをするわけではない。それだけでもありがたいと思うことだ」


 イーリスと一緒に宇宙に出られる。それに最終日には、彼女と共に戦艦の街も巡ることができる。それだけを楽しみに、この砲撃訓練とあの3人の罵詈雑言ばりぞうごんを乗り越える他ない。

 そして僕は、イーリスと2人で艦内に入る。いや、後ろに閣下公認のストーカーを引き連れているから、3人か。視線が痛いと感じたのは、これが初めてだ。イーリスが僕に尋ねる。


「ところで、どうしてレーナが後ろから、ついてくる?」

「僕の『異常行動』を監視するんだとさ」

まじないのことか。でも、レーナがか?」

「少将閣下の任務とかどうとか言ってた」

「そうか、それでレーナがついてきたのか。てっきり私につきまとってきたのかと思ったぞ」


 いや、結果的にはイーリスを付きまとうのと同じことだ。僕を監視するということは、確実に僕らの私生活も探りにくるはずだ。何としてもそれだけは、阻止せねば。


 乗員全員の登場が確認され、いよいよ駆逐艦7767号艦は宇宙に向けて発進する。初めて宇宙に出るイーリスとパウラさんは艦橋に招かれる。僕は付き添いでイーリスの横に、そしてエックハルト中尉は航海士として、奥で舵を握っている。


「上空、進路クリア! 宇宙港管制より、発進許可!」

「よし、これより大気圏を離脱する! 機関始動!駆逐艦7767号艦、発進!」

「機関始動! 出力10パーセント! 繋留ロック解除、駆逐艦7767号艦、発進します!」

「両舷微速上昇! 規定高度まで上昇!」

「両舷、微速上昇! ヨーソロー!」


 艦長の号令と、航海士であるエックハルト中尉の復唱とが続く。そんな夫の姿を、すぐ横で惚れ惚れとした表情で見るパウラさん。

 一方、イーリスは無表情なものだ。客人用の椅子に座ったまま、前をじーっと見ている。

が、高度2万メートルを超えたあたりでイーリスは突然立ち上がり、窓際へと駆け寄る。


「あれ、イーリス?」


 窓の外を見る。下には、陸と海が見えるだけだ。どうしたというのだろう?


「どうした、イーリス。何か見えるのか?」

「……イリジアス王国が、見える。」


 指を差す先には、白い雪で覆われた高い山がある。その麓辺りに、ちょっと大きな街が見える。

 今はセントバリ王国のいち都市にすぎない街だが、そこはかつてはイリジアス王国の王都だったところのようだ。

 そんな街を、じーっと見つめるイーリス。何事も前向きで、昔のことは振り返らない。そんなイーリスでも、いざ故郷を見ると、何か思うところがあるようだ。


 様々な思いが去来しているであろう、その元王国の王都も高度が上がるに連れて、だんだんと小さくなる。すでに上空4万メートルに達しようとしている。そろそろ、大気圏離脱だ。

 空は暗く、もう宇宙の入り口に差し掛かっている。遠くに青く、やや湾曲した大気の層が見える。


「当艦、および僚艦9隻、規定高度に到達しました!」

「各種レーダー、およびセンサー、機関に異常なし!」

「前方60万キロ以内に障害物なし! 進路クリア!」

「リーダー艦、7770号艦より離脱開始の合図です!」

「よし、大気圏を離脱する。両舷前進強速!」

「機関出力最大! 両舷前進、強速!」


 エックハルト中尉はスロットルレバーを目一杯引く。艦橋内に、機関音が鳴り響く。

地響きのようなゴゴゴッという音、ビリビリと小刻みな揺れ、それを聞いて耳を塞ぎ、あたりをキョロキョロしながら不安げな表情をするパウラさん。

 だが、イーリスは全く動じない。窓の外を、相変わらずじーっと見ている。周りの風景が流れる。そして、真っ暗な空間に出た。

 進路を変えるため、艦が向きを変える。その時、窓の右側から丸く大きく青い地球アース853が見えてきた。

 僕や乗員にとっては、見慣れた光景。だが、地球アースの実物を初めて見るイーリスには、この雄大な星の姿は、とても神秘的に見えたようだ。


「フ……フヴァーダ、ドゥーダフーラ シオン……」


 その姿に圧巻したのか、母国語で何かつぶやいた。呪術師シャーマンであり、好奇心の旺盛なイーリスのことだ、この自身の住む星の雄大さに、心打たれたのだろう。一見クールなイーリスだが、時折、こうした感情的な行動を見せる。

 そして、月の横も通り過ぎる。その灰色で穴だらけの大地も、彼女はじーっと眺めていた。丸く黄色に輝く月が、まさか灰色一色のこんなに殺風景な風景だとは、思いもよらなかっただろう。

 そして、真っ暗な空間に突入した。あたりは星空しか見えない。地球アースも、すっかり小さく青い点になった。


「そろそろ、気が済んだ?」


 僕はイーリスに声をかける。


「ああ、済んだ。だが……」

「どうしたの?」

「私は、あんな小さな場所で生きてきたのか。イリジアス王国、そしてセントバリ王国。遠く離れたこの2つの国ですら、今見えるあの青い点の上の、ほんのわずかな距離に過ぎないなんて」

「そうか……でも、僕らが行き来可能な宇宙でも、その青い点が周る太陽と同じような星が数億はあるんだ。それすらも、この宇宙のほんの片隅に過ぎないんだ」

「そんなに広いのか、この宇宙は」

「僕らのこの宇宙船でも、数千億個の星が集まる銀河のごく一部しか、まだ行き来できない程度の力しかないんだ。ところが、銀河と呼ばれる星の集団すらも、数千億個はあると言われている。そんな宇宙の壮大さから見れば、同じ星の上の国家の違いなんて、実に些細なものさ」

「そうか……その星の中に、私のような呪術師シャーマンはいるのだろうか?」

「860の星の中では、聞いたことがないなあ。でも、さすがにいるんじゃないか?イーリスのような呪術を持つ人物は」


 もちろん、他の銀河に我々と同じ知的生命体がいるかどうかなんて、知る由もない。だが、こんな狭い領域で少なくとも800以上の人の住む星があるんだ。他の銀河に人類と同等の存在がないということは、絶対にないだろう。

 そんな壮大な話をイーリスとしたばかりなのに、食堂にイーリスを連れて行くや否や、皆の注目を浴びることになる。


「ええっ!? あの綺麗な人が、あの有名なランドルフ中尉殿の奥さん!?」

「ええーっ!? 夜な夜なランドルフ中尉に酷いことをされているっていう……」

「宿舎には檻があって、すんごい奴隷服もあるって聞いたぞ。とんでもない変態だよ、あの中尉殿は」

「うわぁ……てことは、この駆逐艦の部屋の中でも、変態行為をするつもりなのかな!?」


 皆さん、勝手なことばかりおっしゃる。にしても、話がどんどんねじ曲がっていないか?イーリスが奴隷だったことは事実だが、その後はごく普通の生活をしているぞ。呪術以外は。

 それよりも、すぐそばで書類の束を抱えたままハンバーガーを貪りつつ、こちらを荒い息づかいで監視しているレーナ准尉の方が、明らかに危ない。

 とりあえず、食堂内にいる人だけでも誤解を解いておこうと、僕は呼びかけてみる。


「あの〜皆さん、とっても大きな誤解をされてるようですが、僕はイーリスとごく普通の夫婦生活をしているだけですよー」

「そうだ! ランドルフに向かって、あまり変態変態と褒めるでない! 本人がつけあがるだろうが!」


 えっ!? イーリスさん、「変態」という言葉を褒め言葉だと思ってたの?


 ともかくこれ以上、誤解の広まらないよう心がけよう。そのうち、噂も消えるだろう。

 ところが困ったことに、この食堂で早速、誤解を招くことをイーリスが言い出した。


「なんだと!? ここの風呂は男女別々なのか!?」

「そりゃそうだよ」

「では、私はランドルフと一緒に入れんではないか!」


 この一言が、またあらぬ誤解を広めることとなった。ああ、駆逐艦に乗る前に、ちゃんと説明しておけばよかった。

 結局、風呂は例の4人組で入ることになった。まあ、それが無難だろう。いや、むしろ不安か?

 僕は、エックハルト中尉と風呂に入る。そこで2人揃って、ため息をつく。


「はぁ〜っ」


 2人共、艦内で変なスキャンダルをネタにされている者同士。ついでにあらぬ誤解まで上乗せされては、ため息しか出ない。

 ところが、この駆逐艦7767号艦は今、乗員102人のうち、96人が男。だから、この風呂場に2人きりということはない。

 ざっと見回して、10人はいる。まさに僕らの噂を楽しんでいる連中ばかりだ。

 だから、必然的にその話題が飛び出す。


「で、貴官らはその奴隷さんと、どう過ごしてるんだ?」

「いや、ごく普通の夫婦と同じですよ、ツェーザル少佐殿」

「普通だって!?でも奴隷市場に行くなんて、下心あってのことだろう?そんなところで奥さんを買ってきて、普通の生活なんて本当にしているのかね」

「……酷いことを言いますね、副長殿。さっきも艦橋と食堂でも、僕らをご覧になってたでしょう。イーリスは見ての通り、言いたいことは言うし、自由気ままな生活を送ってますよ」

「確かにな。あれを見て安心した。前の砲撃長の事件があったから、あれ以来、ランドルフ中尉は暴力的な男に変わったんじゃないかって、ちょっと心配してたんだよ」

「そんなわけないですよ。僕の性格をご存知でしょう!? そんなことになるわけないですって」

「で、エックハルト中尉はどうなんだ?」

「私もごく普通ですよ? ただ……」

「なんだ?」

「……実は、奴隷服を時々、着せてますね。」

「うわぁ! マジか! じゃあ、ランドルフ中尉もまさか……」

「そんなもの着せてませんよ! せいぜい一緒に風呂に入るくらいですよ!」

「それでも十分、ヤバい気がするがな。一緒にいるときは、毎日入ってるんだろう?」

「そうですよ。彼女が望むんです。ただ、あれって思うんですけど……」

「なんだ?」

「もしかして、奴隷市場での過酷な生活の記憶を紛らわすために、やってるんじゃないかって思うこともあるんですよ」

「そうなのか?」

「だって、女奴隷って週に一度、男が身ぐるみはがして、手足を拘束された状態で洗われるらしいですからね。見られたくもない連中に裸体を晒され、身体をモップで擦られて……それがどういう心境だったか、想像もできないくらいおぞましいものですよ」

「……なるほど。その過酷な経験を紛らわすために、お前と風呂に入りたがると言うのか」

「なんとなくですけど、そう思ってます」

「エックハルト中尉のところは、どうなんだ?」

「うーん、風呂は一緒ではないですけど、寝るときは手を繋ぎたがりますね。パウラにとって、もしかしたらそれが奴隷時代の心の傷を癒すための手段なのかもしれないんです。ひどいときは、私に抱きついたまま寝たがるんですよ」

「そうか……なんだか、貴官らの話を聞いてると、むしろ貴官らが彼女らを買い上げた結果、苦しみから解放したんだな」

「そりゃあそうですよ。王都中心の非合法地帯であるあの『沼』の街の奥深く、未だ電気もほとんど普及していないあの街から、突然、文化技術と人権と食べ物が遥かに進化した街で、自由に暮らせるようになったんです。まさに天国ですよ、ここは」

「そうか……」


当駆逐艦の副長であるツェーザル少佐は、僕らの話を聞いて、しばらく考え込んでいた。


「……俺も、買おうかな、奴隷」

「ええーっ!? 副長が、でありますか!? いいんですか、そんなことして!?」

「すでに買ってるやつらに言われたくないな。というか、その奴隷市場ってところには、娘がまだたくさんいるんだろう?」

「でしょうね。僕が見たときでも、軽く10人はいましたし」

「じゃあ、むしろ私も買った方が、1人でも救えるってことだろう。その場で逃げたければ、逃す。行くあてがなければ、俺が養う。幸い、俺は独り身だ。それが最良の方法だと思わんか?」


 力説する副長。副長は、30そこそこで少佐となり、いずれ艦長、いや、艦隊司令部付きの将官となるべく期待されている優秀なお方。だが一方で、この歳まで結婚を考えずにひたすら軍務一筋だった。このため、未だに独り身だ。

 だからこそ、申し訳ないが、むしろ正義という名の皮で覆い隠した下心を感じてしまう。


 さて、その日のうちに小惑星帯アステロイドベルトに着いた我が駆逐艦は、同じ小隊に属する300隻と合流し、翌日から砲撃訓練が始まった。

 僕は砲撃担当。照準担当の砲撃手が横に座り、上に砲撃長が座る。その後方に、バリア担当がいる。


「おい! 今度、異常行動起こすときは、合図しろよ! お前のいう通りにしてやるから。」


 砲撃長は、笑いながら僕に言う。隣に座るもう1人の砲撃手、ゲラルト中尉も僕を茶化す。


「僕は精霊だ! って言いながらレバー握ってきたら、すぐに譲ってやるぞ。だが、いきなりは勘弁してくれ。心臓に悪い」

「そんなこと、できるわけがないでしょう! あれが発動したら、何にもできなくなるんですよ? どうやって合図を送るんですか!?」

「まあ、今回は訓練だからな。その精霊とやらが発動するような事態は起こらないだろう。だが……ちょっと気になるのは、この准尉か」


 砲撃長は、ふと右横に目をやる。バリア担当のカールハインツ大尉も、なんだかとても嫌そうな顔をしている。

 そう、本来なら砲撃手が2人、その上に砲撃長のレオンホルト少佐、後ろにバリア担当のカールハインツ大尉、その左脇にレーダー担当のクヌート少尉の5人がいるだけの砲撃管制室なのだが。

 カールハインツ大尉の右隣りにある予備席には今、レーナ准尉が座っている。

 本来ならここは訓練生や、あるいは砲撃の放射エネルギーによりレーダー感度が落ちた時に展開される、哨戒機隊によるスパースレーダーからの情報を受け取るための技術武官が座るための席だ。

 が、今そこに座っているのは、ただの秘書だ。


「いつランドルフ中尉が異常行動を起こしてもいいように、私、じーっと見てますから! バルナパス少将閣下からの、特命なんで!」


 小さくてメガネをかけて、常に書類の束を抱えてい僕を睨みつける妙な秘書の登場で、すぐ横に座るカールハインツ大尉はやりにくそうだ。


「なんだ、こいつは……本当に少将閣下の秘書なのか?しかし、監視目的でなんだって秘書なんか寄越すんだ? 見張りが目的なら、もっと特殊な訓練を受けたやつを寄越すのが筋じゃないのか?」


 僕は薄々、気づいている。おそらく少将閣下は体良く任務を与えて、彼女を引き離したのではなかろうか?カールハインツ大尉も出会ってすぐに、本能的に彼女の危険性を感じているみたいだ。さすがの少将閣下も、この准尉の「異常性」にはとっくに気づいているだろう。

 だからと言って、そのための任務が僕の「監視」とか、はた迷惑なことを思いついてくれたものだ。昨日の夜は、部屋の前までついてきたぞ。明日以降も、安心して寝られるんだろうか?


「おい、無駄口叩いている場合ではないぞ! まもなく、訓練開始だ!」


 砲撃長が4人に配置につくよう促す。今回は、小惑星で作られた的に向かって実弾を撃つ訓練。距離は20万キロ。やや近接戦闘を想定した訓練だ。

 照準器内の目標の姿は、0.7秒前の姿。通常戦闘の30万キロの時よりも微妙に距離が短いため、その分遅れ時間も短い。このわずかな差が、砲撃手の感覚を狂わせる。

 照準器の中に映る艦影が1秒後にだいたいこの位置にいると想定して、いいタイミングを狙って引き金を引く訓練ばかりしていたから、その時間を1秒後から0.7秒後に修正しなきゃならない。わずか0.3秒のズレ、この補正が意外と大きい。


「訓練開始! 主砲装填!」

「主砲装填、開始!」


 キィーンという音が、砲撃管制室内に響き渡る。


「司令部より合図! 撃ちーかた始め!」


 僕は的を見る。戦闘時同様、こちらも相手に動きを読ませないように回避運動ランダムウォークしながら、的が狙いに入った瞬間を狙って、発砲レバーを引く。

 ガガーンという雷のような発砲音が鳴り響く。その瞬間、後ろから悲鳴が聞こえた。


「きゃあ!」


 レーナ准尉だ。あれ、もしかしてこの秘書、砲撃訓練を体験したことがないのか?

 その後も、発砲するたびに叫ぶ。気が散ってしょうがない。数発撃ったところで、とうとう砲撃長がレーナ准尉に言う。


「レーナ准尉、すまないが訓練の邪魔だ。砲撃に慣れていないようなら、この部屋を出て行ってもらいたい」

「はい……そうします……」


 とうとう、レーナ准尉は部屋を出ることになった。まあ、さすがにこの砲撃管制室は、素人御断りの部屋だ。

 この訓練は7日間続くから、その間にこの砲撃音に慣れるだろう。その時にまた「監視」に来るようにと、砲撃長が話していた。


 と、そんなやり取りの最中に、あれは起きた。

 突然僕の耳の奥で、ピーンという音が鳴り響いたのだ。


 精霊が、発動した。

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