第4話
結論から言おう。二階にも何もなかった。
びくつきながらも各部屋を見たが、状態は一階と全く同じだった。まあ、いくつかの部屋は棚のものが落ちていたり、チラシがズタズタに破かれていたりはしたのだが、そこまで異常性を訴えてくるものでもない。むしろ、これは子供の悪戯か、或いは……。
そう言えば、さっきの唸り声も何処かで聞いたことがあるような気がする。
「あれって、もしかして……」
僕がひとつの解答に至ろうとした時、なにやら階下が騒がしくなる。
「志麻?」
「……」
微かに声が聞こえた気がする。志麻の声だ。もう戻ってきたのだろうか。それにしても慌ただしい。志麻はいつも慌ただしいので珍しくはないが、それにしたって元気すぎるなあ、こんな暑い日に、なんて呆れ半分感心半分で探索を続けていたのだが。
「うわわわあっ!」
さあっと熱が引いたのを感じた。
下から響いたどこか間抜けな悲鳴に、弾かれるように僕は来た道を走り出した。廊下を抜けて、階段を駆け降りる。悲鳴は下の階――――一階よりも更に下から聞こえてきた。
「おい、志麻!」
声を張り上げる。
「……嶋?」
「今行く!」
やはり地下だ。微かに聞こえてきた声に、僕は慌ててロープを潜り、階段を滑るように降りる。
不審者か? お化けが本当にいたのか? なんにせよ、別行動なんてするのではなかった、どうしよう、どうしようとぐるぐる思考は回る。もし何かがいても、僕なんかで太刀打ちできるのだろうか。不安に眩暈がするが、なんとか地下まで降りてもう一度呼んだ。
「志麻!」
「嶋、ここだよ」
同じ音、別の声。落ち着いた声に安堵する。そちらに向かえば、なんと、道のど真ん中にぽっかりと浅く穴が空いていた。
「ごめん。床が抜けてたみたいで、落ちちゃったの」
バツが悪そうに志麻が穴の中で座っていた。怪我をしてるのか、右足をさすっている。それでも何かに襲われただとかはないようだ。
「よかった……」
いや、決してよくはないが。何かに巻き込まれただとか大怪我だとかがなかったことにホッとした。
「立てるか? ほら、手を貸して」
「ありがと」
腕を伸ばして、えいやと志麻を引き上げた。
その時、目の端を黒い影が走って、僕は思わずビクリと体を揺らした。すぐ近くに着地したそれは、確かに志麻の腕の中から飛び出した。
「これは――――ね、猫?」
なんてことはない、猫だったのだ。驚き損だ。志麻は笑いながら、そうなの、と小さく肩をすくめた。
「いやあ、実はこの子が地下に行くのが見えてさ。慌てて追っちゃったの。危ないって貼り紙あったし、飼い猫っぽいし」
「外に行ったんじゃなかったの」
「あはは、そうなんだけど。出がけに振り向いたらさ、一階で遊んでたのが見えてね。もしかしたら全部この子の仕業かもって思って、戻っちゃった」
「……例の唸り声も、鈴の音も、こいつが正体?」
つまり、そういうことなのだ。お化けなんていないし、この建物は廃墟でもないし、願いの叶う鈴なんてないし。
「ほら、その子、首輪に鈴がついてるでしょ」
ほっとしたのやら、がっかりしたのやら。僕らは盛大にため息をついた。
「ううーん、それにしても、少し期待したのにな」
「まあ、噂話なんて蓋を開けたら大概こんなモンだろ」
言いながら、志麻の足元に目をやった。血が滲んではいるが、変な色にはなっていない。僕はポケットから二枚、絆創膏を取り出した。妹から分けて貰った物なので男が使うには少々少女趣味なのだが、仕方あるまい。使えるものは使う主義なのだ、僕は。
「足、平気か?」
「あ、うーん、まあね。少し痛いけど、捻ってはないから」
「ほら、絆創膏。ちゃんと後で傷口洗って貼りなおせよ」
「嶋、可愛い趣味してんだね。ありがと」
「妹のだよ!」
「あはは、わかってるって。ん、なんか良くなった気がする!」
「即効性だな」
「即効性だよ」
笑いあえば、なんだか気も抜けてしまう。そもそも願いが叶う云々も無くなってしまったわけだし、これ以上探索することもないのだ。
「そうだ。これ、嶋がさっき落っことしたやつだよね?」
そう言って、志麻は例の綺麗な色のスーパーボールを渡してきた。
「ありがとう。拾ってくれたんだな」
「あのこ、めちゃくちゃ戯れてたよ」
黒猫を見れば、僕のおもちゃ! とでも言いたげにぎらりとボールを見つめている。それはそれさ情熱的に見つめている。仕方なく、
「……いるか?」
と聞いたのだが、気まぐれなものでぷい、と顔を背けられてしまった。ちなみに僕は動物にモテない。志麻はとてもモテる。
黒猫は僕らに向かってひと声鳴くと、ちりん、と鈴を鳴らしながら悠々と歩き出した。器用に階段を登って、上がりきる最後にちらりと僕らを見下ろした。お前らも早く帰れ、ということか、否か。
「帰るか」
「帰ろうかあ」
どちらからともなく言いながら、僕らも猫に続いた。
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