コンコットドール見聞録

名南奈美

コンコットドール見聞録



 エルエット王国は富も民も世界随一の豊かさらしくて、食べ物も品物もたくさんあって城下町と城もすごく綺麗で、きっと最高の国だ。きっと、というのはわたしが他の国をロクに見たことがないからで、もしかしたらエルエット王国の外にもっといい国があるのかもしれないけれど、とても恵まれた環境であることは事実だ。

 だから、このエルエット王国に嫌気が差して去ってしまう『ごく一部の人達』の気持ちがわたしには解らない。ずっとここにいるのが一番いいと思うのに。

「でも、嫌なんだよ。だってエルエット王国の豊かさはたくさんの人の血で、死で支えられているんだから。エルエット王国は他の豊かな国や対立しそうな町村を襲って、独自技術や財産を奪って滅ぼしてきたから発展したのだし、これからもそうするつもりなんだ。だから商人達に戦う道具や武具の材料なんかと引き換えに行商権を与えているんだよ。嫌気が差して当たり前じゃないか」

 同い年のジョーダンくんは去り際にそう言っていたけれど、だからこそ国内にいるべきじゃないの、とわたしは思った。エルエット王国が外の国や街を滅ぼすのなら、国外に出てしまうことはその照準圏に飛び込むようなものじゃないの?

 ジョーダンくんにはそんなことは言わなかったけれど、意見とか感想って溜め込んでいると苦しくなるから、エリリンと一緒に入浴してるときに吐き出してみる。エリリンはわたしの恋人で、入浴剤の趣味がめちゃくちゃいい。

「正直、解らなくもない感じかな私は。ジョーダンくん? って私はほぼ知らないけれど、要は善悪の綺麗好きみたいなものでしょ? 人を殺したり居住地を焼いちゃうのは悪いことだから、悪いことで成り立ってるようなものには触れていたくないんじゃない?」

「そうなのかな? でも外の人の死で支えられてたとしても、産み出しているのは文化の発展や雇用や国民の生活のグレードアップな訳だから、気にせず住んでたほうが得じゃない? 民を守って幸せにする、ってことは十全にやってる国なんだから出ないほうが絶対いいじゃん」

「気になるものはどうしても気になるものだよ、みんな。多様性ってやつ。ジョーダンくんはひとつの譲れない気持ちを持っていて、それに基づいて行動しただけ。それを愚かみたいに、ってそんなつもりないかもしれないけど、言っちゃいけないの」

「ん……まあ、そっか」

「メリア、貴女だって」エリリンがわたしの髪を撫でる。「自分の性志向に基づいて恋愛してるだけなのに、『でも生物として遺伝子を残すべきだから、我慢して異性と付き合ったほうがよくない?』なんて言われたらとても嫌でしょ?」

「うん。嫌」

「……性志向と思考は並べるようなものでもないけども、まあ、人によるんだよ、なんだって」

 エルエット王国は民も豊かだ。移住者も旅行客もたくさん受け入れるから色んな肌の色や種族の者がごちゃ混ぜに生きていて、それが当たり前でしょ? な空気が満遍なく広がっている。

 だからわたしがエリリンと愛し合っていたところで誰も何も言わない。昔はそれが普通だと思っていたから、同性愛者が暴力を振るわれる国もあると旅行客から聞いたときはびっくりした。他人の生き方が自分にとって理解できる範疇にないと攻撃せずにいられないなんて、どんな国に住んでいたらそんなにねじ曲がれるの?

 世界は広い。生物は多い。みんなある程度めんどくさい。だからジョーダンくんみたいな人がいたっておかしくない。とりあえずそう思うことで納得した。きっとめんどくさいと思うことは悪くなくて、めんどくさいからと攻撃することこそが悪いのだ。



 エリリンは国の魔法兵になるために上級者用の魔導書で勉強がしたくて、でも上級者用は高いからお金を稼ぐためにハーブのお店で働いている。『ハーブアンドハーブ』という名前の、言っちゃあ可哀想だけれどあまり売れていないお店だ。従業員だって店長とエリリンで精一杯らしい。ハーブが飽きられているんじゃなくて、もっと上質で多様なハーブを安く売る行商人がここ一年くらいずっと滞在しているから、立地の悪い『ハーブアンドハーブ』は客を取られっぱなしなのだ。ハーブも内装も、とっても素敵なのにね。

 せめて移転をすればいいのかもしれない。でもそう上手くはいかない。好条件な場所は既に他のお店で埋まっているし、住所変更の申請も通るまでに時間がかかる。国民や商人が多く、依然として移民を受け入れ続けている弊害というものがあるのだ。

 移民を受け入れると言っても『滞在』から『居住』に移る申請も長くて一年くらいかかるようだし――そう考えると、ジョーダンくんのように自分から国を出ていって空き家を産み出す人は国のためにもなっているのだろうか。

 さて立地をどうにもできない、商品と内装の質は既によい、となればあとは何があるべきだろう?

 店長のルキムさんは、話題性を得るべきだと考えた。行商人も扱っていないような、何か珍しいハーブを仕入れて宣伝すれば、興味本位で新規の客が来てくれるんじゃないか?

 そういう訳で、エルエット王国から少し離れた地にある谷の村にわたしとエリリンとルキムさんは向かう。コンコットドールという名前の農村がそこにあって、東大陸から輸入した独自のハーブを栽培している――と、ルキムさんは聞いたことがあるらしい。

「確認したけれど、コンコットドール産のハーブを扱っている行商人はいなかった。それだけ知られていないか、取引が難しいか、あるいは売れるようなクオリティじゃないのか解らないけれど、俺は、賭けてみようと思う」

「それはいいんですけどルキムさん」わたしは言う。「エリリンを同行させることはないんじゃないですか? ひとりで行けばいいじゃないですか」

「俺は選択肢は与えたよ? 行かずに休みにするか、行って時給三倍ぶんの日当を貰うか」

「え、そうなの?」

「あ、うん」エリリンはパンを齧りながら言う。「そうだね、言ってなかったね。ごめんごめん」

「謝らなくていいけどさ」

 というか、時給三倍あげないといけないくらい危なそうなら、やはり着いてきて正解な気がしてきた――わたしは腰にさしたサーベルを撫でる。

 ルキムさんは男性ではあるが筋肉はからっきしで、植物学や薬学の勉強に専念してきたがために魔法も使えない。エリリンはある程度の魔法は使えるとはいえ不安だから、剣を扱えるわたしが同行しているのだが……生きて帰りたいなあ。

「ありがとうね、メリアさん」

「いえ、エリリンのためですから」

「お礼に会員証をグレードアップするよ。金の会員証があればハーブもアロマも半額、二個お買い上げで一個おまけポプリを付ける」

「ありがとうございます」

 それよりもお金がほしいけれど、経営難のハーブショップに無理は言うまい。

 関所で手続きをして、エルエット王国の住人であるという証明ペンダントを貸与してもらう。帰るときに解りやすいし、うっかり野垂れ死んでも遺体を捜してもらえることがある。

 谷に足を踏み入れてすぐに、紫色の牛と遭遇する。怪物害獣だ。エリリンが魔法で大きな岩を生んで投げる。牛の頭部に直撃すると頭蓋が割れたのか、血と妙な汁を流しながら倒れる。

 少し歩くと今度は赤色の蝙蝠が前方から襲いかかってくる――わたしはサーベルを引き抜く勢いで切り払おうとする。避けられる。相手の突進に合わせて刀身を振りかぶると当たってくれた――撃墜。よかった。

 それからも襲撃と対処が続く。どうやら怪物がどんどんと出てくる道みたいだ。ルキムさん独りじゃあ、牛の時点でやられていただろうか。

「ありがとう、ふたりとも。それにしても、こんな地域に村を構えていて平気だなんて、余程強い傭兵か有志がいるのかな?」

「店長、コンコットドールについてはどれだけ調べてあるんですか?」とエリリンが言った。

「親友に王国の兵士がいてね、その人から聞いた。その人は先月、コンコットドール出身の新入りから色々と聞いたらしい。ハーブの話もそういうルートで入ってきたんだ」

「書籍などでは調べなかったんですか?」

「国が出した世界地図とかは当たってみたけれど、ほぼ解説されてなかった。国から認識はされていても注目はされていないみたいだ」

 ルキムさんの親友によると、コンコットドールは輸入ハーブの他には鉱脈も最近発見されたようで、益々の発展が期待されているらしい。また、元々コンコットドールの地に住んでいたのは現在東大陸在住のドワーフ達だったそうで、数百年前当時の記録も残っているとのことだ。

 これは西大陸の人類史に関わる情報であり――歴史にも興味があるエリリンは、興奮した様子で歩を進めた。

「是非とも行かないといけません。是が非でも。国の調査が入る前に知ることができるなんて今しかないかもしれない」

「はいはい」苦笑いのルキムさん。「危険じゃなさそうだったら、コンコットドールでは別行動でもいいよ?」

「あ、だったらわたしもエリリンと一緒に行きますね」

「うん、かまわないよ。話をつけるなら俺ひとりで問題はないし」

 ふたりきりで観光が出来そうで嬉しいな、と思いながらわたしはエリリンを見る。エリリンは進行方向を爛々とした目で見ながら歩いている。わたしの視線には気づいていない。

 エリリンは思わぬところで趣味活動が出来そうで嬉しくなっているのだ。ふふ。ちょっぴり寂しいけど、可愛いからいいか。すべすべの頬っぺたにキスしたいけど、ルキムさんの前だから自重しなきゃね。


 さてコンコットドールに着く。入ろうとすると関門で止められる。

「私はエルエット王国でハーブを販売しているルキムと申します。このふたりは従業員です。コンコットドールでは素晴らしいハーブを栽培されていると聞きまして、どうか店頭に置かせていただけないか、というご相談のために参りました」

「コンコットドールのハーブというのはこれのことだな」と門番はビンを取り出す。暗い色のビンのラベルにハーブらしきイラストが描かれている。「これはハーブで作ったアロマオイルを薄めたものだ」

「はい、それの話です。どのような香りなのでしょう」

「香りはしない」と門番は言った。

 それは香草として駄目では? と三人が三人思い、どのような言葉を返すべきか迷っていると、「というよりは」と門番は繋げた。

「これは人類向けのハーブじゃないんだ。人類は香りを感じられない。しかし、……外の怪物達が全然ここまで近づいてこないだろ? それは、あいつらには嗅ぎとれるからなんだ。怪物達には香りが理解できるんだ。きっと、めちゃくちゃな刺激臭なんだろうな」

「つまり……」ルキムさんは驚きの色を浮かべる。「怪物害獣避けのハーブ」

「ああ。東大陸は全く摩訶不思議だな」

「いやあ、すごい、すごい。それを取り扱えば旅人向けのセールスがいいでしょう。取引を持ちかけるとするならどなたに伺えばよろしいですか」

「村長夫人が村を守るために栽培している。だから相談するならそこだろうな」

「ありがとうございます。では、一晩の滞在許可をいただけませんか」

「いいよ。不審な真似はするなよ」

 コンコットドールに足を踏み入れる。広いな、と思う。きっと面積としてはエルエット王国のほうが勝っているのだろうけれども、視界はこちらのほうが比じゃないほど拓けている。王国では住居が並び立ち/増築され/飾られることによってどこを向いても視界に建築物が入り込んだものだが、コンコットドールは住居がまばらで平たいおかげで、ただの草原にいるかのように思えるスポットすらある。少し高い山が向こうに見えて、鉱脈ってあそこかな、と予想してみる。長閑ってこういう場所なのかな、とちょっと思う。

 エルエット王国の持っていない豊かさがあるなんて思わなかった。引き算の美学だろうか。持ちすぎないということは、ひとつの豊かさなのだ。

 村長と村長夫人の住む家へ行くルキムさんを見送り、わたしとエリリンは書物を探しに行く。エリリンは歴史について興味の矛先が集中しているし、どちらかというと業務中なのだし……と躊躇っていると、エリリンはわたしの手を取って引く。

「メリア。とことん私の事情に付き合わせてる自覚はこっちにもあるから、メリアはしたいように振る舞ってていいんだよ? 遠慮しないで」

「……エリリン」

 軽く抱きついてみるとゆるく抱き返してくれる。

 誰かが見ている気がするし、誰も見ていない気がする。どっちでもいいか、別に。



 道を訊いて訊いて訊いて、歴史館に辿り着く。わたしとエリリンが頭を下げた甲斐あって、村人達から『コンコット古記』として保管されている書物の複写を読ませてもらうことができる。本来は余所者には簡単に読ませないらしい。

「でもそこのお姉ちゃんには熱意を感じるから、特別だよ」と館長の老婆は朗らかに笑う。

「ありがとうございます」

 と礼を言って、エリリンは熱心に覗き込む。その間が暇なので、わたしはその場に留まっていた老婆に話しかける。

「あの、お婆さん。コンコットドール、とても素敵な場所ですね」

「ああ、そうでしょう? もう何十年も住んでるけど、そりゃ退屈はする、でも嫌いになったことはないよ」

「ここの生活はコンコットドールのなかで完結しているんですか? つまり、外部からの輸入や取引があるかって話で」

「そうだねえ。勿論、ハーブは東大陸のものではあるけど、栽培はコンコットドールな訳だからね。ある意味では閉じた世界なのかな。でも、逆に? コンコットドールの外に出ていく若者はいるね、たまに」

「ああ」ルキムさんの話を思い出す。「コンコットドールからエルエットにいらして、兵隊さんになった方もいらっしゃるみたいですね」

「ああー、はいはい、あの子ね。ペンデゥラスね。解るよ。あの子はエルエット王国みたいな華やかな街に憧れていたし、多くの人を守る仕事をしたいって言ってたから。いい子だよ。泣きながらコンコットドールを出たんだ」

 守る仕事。

 王国の軍に仕えること、そのために訓練や武器の整備をすることを国や民を守る仕事と捉える者いれば――ジョーダンくんのように人の命を奪う仕事だと捉える者もいる。

 むろん、エルエット王国軍は略奪や侵略や戦争もするが、国内の治安整備や侵略者・テロリストから国と民を守ることもしている。そうした実績がちゃんとある。誇り高い仕事として志したって間違いじゃない。

 要は、どっちでもあるのだ。何事もそうで、一面的に捉えて批判することは、間違っていなかったとしても、足りないのだ。

 ペンデゥラスさんは『人を守る仕事』を出来ているだろうか? 警備員や対策室で勤務が出来ているだろうか?

 出来ているといいな、とわたしは思う。

 そうでなくても、せめてペンデゥラスさんが殺める命が全くの無実でなければいい――なんて、それは歪んだ倫理観なのかもしれないが。

 写しを読みきったエリリンは老婆に返却しようとしたが、「いいよいいよ、そんなに気に入ってくれたなら持ってってもいい。大事にしてくれると嬉しいけど、もしも本にするならまた声をかけてね」と言ってくれて、エリリンは嬉しそうに何度もお礼を言う。

 歴史館をぐるっと見て回って、もう一周してから外に出る。少し歩くと商店街。瑞々しく美味しそうな果物と、知らないセンスの装飾品や衣類。独特だがお洒落なスカートを見つけたから二着購入する。

 次のデートで着よう、とひそひそ話で持ち掛けると、当然だよ、と答えてくれる。約束になる。『近いうちの約束』が次々に生まれては叶えられていく幸せって換えがたい。

 似顔絵を描く店をやっているおばさんがいたから、三十ロードを支払ってお願いする。おばさんは五分ほどわたしとエリリンを虚ろな目で見つめたかと思えば、台紙のうえに紙を置き、尖ったペンをインク壺に浸けて、遮二無二描き始めた。がりがりというより、さらさらというより、しゃりしゃりな音を鳴らしていた。百秒も経たない間に完成したペン画は緻密に書き込まれていて、描線もインクの煌めきも明暗も綺麗で、モノクロなのにとても華やかだった。

 わたしとエリリンは肩を組んで笑っていた。それはまるで、わたしとエリリンが肩を組んだ状態でモデルになったみたいな正確さだった――実際はただ横並びで観察されただけだったのに。そのとき手を繋いだり抱き締めたりしていた訳でもないのに、なんだかこの絵に描かれているわたし達は――気のせいなのかもしれないが――カップルのような空気感があった。

 見抜かれているのかな、と思っていたら、おばさんは絵を渡しながら言った。

「はい。幸せにね」

「あ……ありがとうございます」

「ふふ。見れば解るよ、あたしには」

 堂々と言ってのける彼女は、少し怖かったけれど、かっこよかった。



 商店街を抜けたところでルキムさんとばったり再会する。成果を訊くと、グッドだよ、と答えてくれた。

「どうしても高くついたけれど、定期的に仕入れさせてもらえることになった。一先ず、明日の朝には五十品ぶんのアロマオイルが買える」

「やりましたねー!」エリリンはにこにことして言う。「これで頑張って宣伝して売れば儲かりますよ」

「ああ。宣伝については帰ってから練ろう。今日はもう宿を取ろうか」

 コンコットドールには旅人のための宿はなかった。旅人がほぼ来ないため需要がないのだ。だが、家屋が燃えてしまったりした人のための『緊急宿泊所』としての建物はいくつかあって、そこに泊めてもらうことにした。

 わたしとエリリンは同室になった。ふたりで眠るには狭いが、堪えられる狭さだった。ひとつのベッドで抱き合って過ごした。どこかから聴こえてきた誰かの歌が心地好かった。

 翌朝、ルキムさんがハーブを買いに行っている間にエリリンと散歩をしていると、ジョーダンくんに出逢う。

「え? なんでここにジョーダンくんが」

 とわたしが訊くと、

「獣を狩って食べたりしながら谷を越えようとしたら、迷い込んだんだ」と答えてくれる。「なんだいメリア、君も結局、エルエット王国を脱け出したのかい」

「そんなことないよ。コンコットドールには観光と商談で来ただけ」

「そう。もっと見ていったほうがいいと思うよ、ここだけじゃなく色んな世界を。軍事侵略なんてしなくても豊かに暮らすことができるって、心から理解するべきだ」

「今日にはエルエットに帰るよ。わたしとエリリンの帰る場所はそこにある」

「そうかそうか。じゃあ、もう二度と会うことはないかもしれないなあ――僕はエルエットでのほほんと生き永らえるなんてごめんだから。達者でね」

 ジョーダンくんはそう言って背を向け、ひらひらと手を振る。なんだか苛々とした気持ちになる。これはなんだろう? 自分の生まれ育った、自分にとって一番愛着のある国を貶されたことが気に入らない、のだろうか?

「ジョーダンくん」

 エリリンが呼んだ。振り向いたジョーダンくんに、

「あなたがエルエット王国をどんな風に嫌おうと勝手で、自由だけれど――肯定的に見ている人を貶していい権利はないし、いつか刺されても文句は言えないよ」

 とエリリンは言った。

「……ご忠告痛み入るよ」

 ジョーダンくんはそれだけ返して去っていった。

 宿に戻るとルキムさんが袋いっぱいのアロマオイル瓶を持って待っていた。関門まで戻って、挨拶をして外に出してもらえる。オイルを各自の肌に薄く塗ったお陰で、怪物害獣に襲われることなく、昼が終わる頃にはエルエット王国領の関所まで来れた。

 証明ペンダントを返却する手続きをしようとしたら、

「申し訳ございません、これより王国軍が通行するので、しばらくお待ちください」

 と職員に言われたので大人しく引き下がった。

 少しして見覚えのある兵隊長が通過し、それから魔法兵を含む王国の兵士達がぞろぞろと関所を通行していった。二百人程度だろうか。領地の外へそんなに出兵するなんて――ひょっとしたらどこかに攻め入ろうとしているのかもしれない。

 兵達が過ぎたあと、関所で手続きをしながら訊いてみると、職員はこう答えた。

「ああ。谷の農村に怪物避けのハーブや鉱脈があるらしくて、それをエルエット王国の財産にするための出兵だそうです。国内に帰れば既に報せが出ていますよ。我々の暮らしにどんな発展が生まれるのか、楽しみですね」


 エルエット王国は全ての国民から国民税を、全ての商売人から収入税を徴収しているから、それを財源とした国政や執行や軍事行動については惜しみなく公表する決まりになっている。全住居の郵便受けに、何に遣ってどうなったか、という報告を投函することで報せている――翌日の朝、わたしとエリリンの家にもそれは届いた。


 《我々はコンコットドールと呼ばれる農村に侵攻し、ハーブの種やアロマオイル、それから鉱山の所有権について全面的に明け渡すよう、現地の者達に命じた。これを頑なに拒み、また誇り高き王国兵へ暴行を加えたため、コンコットドールの住民を武力を以て制圧し、尚抵抗があったため、やむなく、大地を血で染める顛末となった。王国軍はコンコットドールをエルエット王国の領地として旗を掲げ、鉱山を領有し、ハーブの種やアロマオイルなどを合わせて六百点、エルエット王国へと輸入することに成功した。エルエット王国内にて『ハーブアンドハーブ』というハーブ店を経営し、つい先日コンコットドールを訪れたというルキム氏によれば、そのアロマオイルは怪物害獣の接近を防ぐ成分を含んでいるとのこと。遠征における兵達の安全性が高まること請け合いだ。

 そのように素晴らしい成果を上げ、王国軍は帰還した。本日も晴天である。》


「……ねえエリリン」

「……なぁに」

「『本日も晴天である』は兵に重大な負傷者がいなかったって意味なんだっけ?」

「そうだね。いたら、『今日は雨足が悪い』になるはずだから」

 その日の夜、わたしもエリリンもなんだか眠れなくて、ベッドのうえで抱き合いながら、月光が消えるのを待つみたいに夜をやり過ごした。



 後日、わたしとエリリンは約束通りの報酬を貰った。『ハーブアンドハーブ』が仕入れたコンコットドール産のアロマオイルは国に買い占められ、国営の販売所での取り扱いになるそうだ。さらにルキムさんは現地でゆっくりと性質を聞いて記録していたお陰で、城内庭園のハーブ育成担当に抜擢されることになった。

「それでね」エリリンは髪を整えながら言う。「ルキムさんが掛け合ってくれて、わたしも庭園で働けることになったんだ」

「え、やったじゃん!」わたしは言った。「城の人とのコネクションが出来るってことじゃないの、それって? もしかしたら魔法兵になるのに役立つかも」

「うん。労働時間ほぼ変わらないのに給料がいいし、余裕ができそう」

「おめでとう、エリリン」

「ありがとう、メリア」

 いってらっしゃいのキスをして、エリリンの出勤を見送り、ある程度の家事をしてから散歩に出てみる。すると同性の友人とばったり会って、飲食店で軽くお茶をする。

「ねえ聞いて、うちの旦那って鉱夫だけどずっと仕事なくてずっと家にいたのね、でも最近のコンコットドール? だっけ? の鉱山の採掘に駆り出されたお陰でしばらく帰ってこないんだよー! だから久しぶりに自由を満喫してるんだー」

「……あはは、えー、よかったじゃんね。でも不思議だなあ、愛してるのに家にずっといたら嫌なの? ってこれ毎回訊いてるかな」

「うん毎回訊いてる。ふふ。そりゃ愛してるけど、ずうっと一緒にいても疲れないかは別なんだよね。じゃなんで結婚したのかって、そりゃ愛してるからなんだけど」

「えー。複雑だねえ」

「複雑なんかじゃないよぉ。複雑に見えるとしたらただの錯視ってやつじゃない? ……メリアは最近は何かあった?」

 と訊かれたから、わたしはエリリンに起こったことをそのまま伝える。すると喜んでもらえる。心からって感じで。いい友人だ。

 いい友人だからこんなことも言ってくれる。

「でもメリア、なんだか疲れてるように見えるよ? 嫌なことも、何かあったの?」

「え? そうかな、全然、大丈夫だけど」

「そうなの? ならいいけど。まあメリアのところは幸せ一杯な雰囲気だもんね」

 そうだ。

 わたしは幸せなのだ。エリリンと一緒に暮らしていて、豊かで安泰な国に住んでいる。素敵なスカートだって持っている。生活に不自由はないし、エリリンの給料が上がるから来月はもっといいものを食べられるかもしれない。

 わたしは幸せだ。国民を幸せにしてくれる、素敵な国で生きている。

 だからわたしはわたしの胸中に芽生えた疑問を、それから、ひとさじの嫌悪感を摘まないといけない。そうして忘れないといけない。

 エルエット王国は富も民も世界随一の豊かさらしくて、食べ物も品物もたくさんあって城下町と城もすごく綺麗で、最高の国だ。

 そんな国でエリリンや友人達と暮らしていられることは、とても恵まれたことなのである。



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