ぐーたらおししょーは、愛弟子の危機を察知する。
「おーし、こんなもんだろ」
毛玉スライムをエサで引きつけつつ山を登ったティーチは、一息ついて手を払った。
この辺りは庭だ。
だが、なるべく人と遭遇させないために山道は使わずに登ったので、少し時間がかかってしまった。
毛玉たちは、徐々にエサを撒く方向を変えたり、火で追ったり、木刀でつついたりして少しずつ散らしておいたため、今目の前にいるのは数匹だけだ。
ティーチは、エサに夢中な彼らからそっと離れて松明を消し、山道の方向へと視線を動かす。
そして、ふと目についた洞穴に小さく笑みを漏らした。
「おお、懐かしいところだな」
土が露出した傾斜に開いた、人一人余裕で通れるポッカリとした穴は、這った蔦によって隠されている。
そこは、勇者の剣が安置されていた場所だった。
「元気でやってかなー、アイツ」
ついに王にまで成り上がった幼馴染みを思い出し、そっと腰の木刀に手を添えつつ、ティーチは空を見上げる。
昔は一緒に悪さばっかりしてたのに、ご立派になったものである。
すると、不意に。
リィン……と鈴のような音色が山の中に響き、ティーチは表情を引き締めた。
自分の腰辺りに目を向けると、腰紐に紐を通して結んだ青い宝玉……【感知の呪玉】が震えて光を放っている。
それは、スートに持たせた【防御の腕輪】が《
ーーー何があった?
彼女には、訓練の時と、何か危険を感じた時以外に使うことを禁じている。
それが反応した、ということは。
「まだ、別の魔物が残ってたか……?」
今のスートなら、弱い魔物であればそうそう負けることはないだろうが。
それでも嫌な予感を覚えたティーチは、火の消えた松明を放り出した。
そして腰に差した黒い木刀に手を添え、それまでとは一転して、跳ねるような足運びで山を降り始める……と。
『ぷきゅう!』
「あ?」
走り出した瞬間に、妙な鳴き声が聞こえた。
視線を向けると、毛玉の一匹がティーチの腰の辺りの空中でブラブラと揺れている。
革袋の金属部分に、毛が絡まっているようだ。
どうやら、エサを食い足りずに革袋を狙って飛びついてきたところで、ティーチが走り出したのだろう。
「食い意地張ってんな……でも悪い、解いてる暇ねーわ」
革袋ごと捨てたらスートが後でうるさいし、今は時間が惜しい。
「しばらく走りゃ村に着くから、ちょっと我慢しとけ」
『ぷきゅうー!?』
妙な鳴き声の尾を引きながら、ティーチは村に向かって一直線に駆け抜けた。
※※※
「チッ……雑魚のくせに、エラく硬ェじゃねーかよ」
対峙したアーサスは、苛立ったように舌打ちしてこちらを睨みつけて来た。
大きく肩で息をしているスートは、それに答えない。
ーーー速い……。
敵の攻撃は、こちらの防御を貫いて致命傷を負わせるほどには強くなかったものの、浅い傷は幾つも負わされている。
腕も足も、露出しているところを何度か浅く裂かれ、血が流れていた。
一方、スートの反撃は、まるでアーサスに当たらない。
騎士なのに軽装鎧を身につけているのは、俊敏さを落とさないためなのかもしれなかった。
お互いに決定打がないが、体力的に不利なのは明らかにスートのほう。
ーーーでも、おししょーが、来る、までは。
一人だと勝てない、と悟った時から、ひたすら時間稼ぎに徹している。
毛玉を山に散らすくらいなら、おししょーはそこまで時間がかからないだろうから。
「ただでさえ、あんま時間掛けんなって言われてんのによォ……」
アーサスにとってそれは、別の理由で望ましくないことのようだった。
でもその言葉の意味を考える前に。
スートにとって、悪いことが起こる。
ジリジリと逃げ回るうちに、門から家の近くに移動していたのだが……家の方でカタン、と小さな音が鳴った。
「!?」
視線を向けると、自分とアーサスのちょうど中間くらいの距離で……家の外に置いた
「あ……」
村の少女だった。
怯えた目で、青ざめた顔をした彼女は、いつからそこに居たのか。
多分、おししょーとスートに、家人から預かった差し入れを持ってきてくれようとしたのだろう……少女の足元には籠が置かれていた。
彼女を見て、ニィ、とアーサスが笑みを浮かべる。
「ケケケ……良いこと思いついたァ!!」
「ッ逃げて!!」
スートは、叫ぶと同時に地面を蹴って飛び出していた。
アーサスが、剣に闇の輝きを込め始めたからだ。
「ヒャッハァ!! 《
彼が放ったのは、闇の中位
最初に受けたものより、さらに鋭い闇の剣閃が、複数。
広がるように周りに乱れ飛び、弧を描いたそれが少女の方に向かって収束していく。
「……!!」
動けない彼女の前に飛び込んだスートは、庇うように盾を掲げた。
「〝
げ、と、魔法を発動することは出来なかった。
「ハッハァ!」
アーサスがさらに剣を振るうと、少女に向かっていた剣閃がいきなり軌道を変え、さらに速度を上げてスートに迫る。
そしてズギュ、と、肉に鋭いモノが食い込む鈍い音と共にーーー。
ーーースートは全身を、ズタズタに引き裂かれた。
襲いかかってきたのは痛みではなく、カッと全身が灼けつくような熱さ。
意思とは無関係に、足から力が抜けて地面に膝をついてしまう。
「う……ぁ……」
視界が、ぐらりと揺れた。
「お、おねぇちゃん……!!」
「逃げ、て……早、く……!」
それでも何とか、倒れ込むのをこらえてスートはそう口にしたが。
直後に近づいてきたアーサスに、全力で腹を蹴り上げられる。
「ッ……ハッ……!?」
息が詰まり、意思とは関係なく涙が滲んだ。
そして、体をくの字に折って視線が下を向いたところで。
「ケケケッ!! 無様だなァ!!」
下卑た笑い声と共に足が引かれ、顔の左半分に意識が飛びそうな衝撃と共に、視界がぐるん、と回る。
ブツン、と左目が見えなくなり、残った右目の視界に空が映った。
顔に不愉快な痺れが走っているのを感じられる段になって、スートはようやく、自分が殴り飛ばされたのだと気付く。
「に、げ……」
地面に転がったまま何とか頭を起こすと、涙で歪む視界に、よろよろと駆け出す少女と。
なぜか手を出さない、アーサスの姿が見えた。
「……?」
「不思議かァ? 実はよ……テメェと、その師匠とやら以外は、殺すなって言われてんだよなァアアアアッ!! 庇い損だったなァアアアア!?」
ケケケケケッ!! とおかしくてたまらなそうな様子の、アーサスを見て。
ーーーなんだ、そっか。
スートは、逆に安堵を感じていた。
なら、あの子も、村の人たちも、スートが負けたって殺されなくて済むから。
ーーー良かった。
スートは奥歯を噛み締めると、どうにか立ち上がった。
全身が痺れていて、もう痛いのかどうかもよく分からない。
ただ、苦しい。
膝が笑えるほど震えているのも分かるし、腕にはちっとも力が入らない。
それでも奇跡的に、まだ握っていた小剣を掲げて、前に突き出す。
「ハァ……ハァ……」
スートの耳にはただ、自分の荒い息遣いだけが、聞こえていた。
他の音が、遠い。
するとカタカタと震える剣先の向こうで、アーサスがピタリと笑うのをやめ、不愉快そうな顔をした。
『しつけェな……! 頑丈なオモチャだとは思ったが、そういうのは不愉快なんだよなァ……』
アーサスは無傷で、スートはどうにか立っているような状態。
それでも、最後まで、抵抗しないといけない。
スートが死んでも、村の人たちは助かるけど。
そうなったら、あの優しいおししょーが、きっと、悲しむから。
どれだけ苦しくても。
辛くても。
スートは抵抗もせずに、自分の命を諦めるわけにはいかなかった。
「ゼェ……ゼッ……」
『放っといても死にそうだが……ムカつくから、トドメは、刺さねェとなァ!!』
ゆら、とアーサスが掻き消えるような速さで、こちらに足を踏み込んでくる。
刺突の刃を、スートは避けようとしたがーーー足が、動かなかった。
死。
頭をよぎった単語に、恐怖を感じることすら頭が出来ないくらい、頭が回らない。
迫り来る剣先を、ぼんやりと眺めるスートの心に最後に浮かんだのは、いつもヘラヘラ笑っていて、ぐーたらでな男の顔。
ーーーおししょー。
そう思った直後に、頭の中に自分ではない『誰かの声』が、流れた気がした。
疑問に思う間もなく、直後にスートの胸元から白い光が溢れ出す。
「え……?」
「ンだァ!?」
光ったのは、【身代わり人形】だった。
アーサスが突き込んできた刃は、空中に投射された白い図像……人形に刻まれた紋と同じ形をした光によって、押し留められている。
しかし、頭の鈍ったスートは理解が追いついていなかった。
反応も出来ないまま、驚くアーサスをそのまま眺めていると。
その顔が不意にぐにゃりと歪んでこちらの視界から消え、同時に、メキッ、と鈍い音が辺りに響き渡った。
さらに、空中に投射された紋が消えるのに前後して、ゴッ!! と、凄まじい風圧とともに視界をよぎる、黒い軌跡。
「ーーー大丈夫かッ!?」
黒い軌跡が通り過ぎてからすぐに、ガシッと肩を掴まれて、スートは誰かに顔を覗き込まれた。
焦りが滲んだその顔と、声。
見慣れた相手の顔を見た途端、全身に感覚が戻ってくる。
猛烈な痛みと寒気に、カラン、と小剣を取り落としたスートは、思わず泣き崩れた。
「おししょぉ〜……遅いですよぉ……!!」
「悪かった……!」
理不尽な八つ当たりを指摘もせずに、そう謝ったおししょーは。
優しく、力の抜けたスートの体を支え、地面に横たわらせてくれる。
その後、軽く頭を撫でてくれて、いつものようにへラリと笑った。
「もう、大丈夫だから。……でも、アイツをぶちのめすまで、ちょっとだけ待っててくれ。そしたらすぐに、呪術師のばーさんのトコ、連れてってやるから!」
「うん……」
「いい子だ」
もう一度頭を撫でてくれたおししょーは、そのまま立ち上がった。
「安心して待ってな。お前のおししょーは凡人だが……あの程度のザコに負けるほど、弱かねーからよ」
青空を背負った彼の顔は、吹き飛ばしたアーサスに目を向けた瞬間。
今まで見たこともないような、真剣で冷たい
整った顔立ちは引き締まって、とても凛々しく見える。
「俺の愛弟子を、随分と痛めつけてくれやがってーーー」
おししょーは黒い木刀を軽く振ると、目を細めて、低い声で唸った。
「ーーータダで済むと思うなよ、ドクズ野郎」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます