すれ違っても、想い愛

まきや

第1話



■長男(5時25分)


 僕の朝は早い。誰もが寝ている早朝に目を覚まし、家族を起こさないように準備して静かにバイトに出かける。


 専門学校に通う僕は、毎日出される課題をこなすのに精一杯の日々を生きている。学校から帰って夜中まで課題をやって、何とか期限に間に合っている感じだ。


 暇な時間は全然ない。けれど少しは小遣いが欲しい。時間を作り出すとしたら、寝る時間を減らすしかなかった。


 結局、僕は朝の新聞配達のバイトを選んだ。コンビニとかの方が楽だけれど、なまった身体を動かしたい気持ちがあったから。


 最初は真っ暗で寒い夜明けに、家を出るのがきつかった。今はだいぶ体が慣れてきたせいか、辛さは感じなくなっていた。


 配達が終わって家に着く頃になると、空が明るくなってくる。とはいえ家族はまだ眠っているから、なるべく静かに鍵を開けるようにしている。


 音を立てないように歩いて、静かにバスルームの扉を閉める。働いた後に浴びるシャワーは格別だ。母が用意してくれたバスタオルで体を拭いたあと、冷えたミネラルウォーターを飲むと、さらに最高の気分になる。


 仕事が終わったといっても、今日みたいに授業がある日は、仮眠程度しか休むことはできない。それでも僕は貴重な睡眠時間を削ってリビングのソファに座り、少しだけテレビを見ることを習慣にしている。


 時間は10分ぐらい。ふうと息をついて、テレビの電源を入れる。家族を起こさないよう、音量の【小】ボタンを連打するのが癖になっていた。


 選んだのは、早朝しかやっていないニュース番組。いつも同じ時間帯にテレビを付けるから、決まってキャスターの女の子――毎日人は変わる――がニュースを読んでいるシーンが映る。


 音を出せないので、彼女たちが喋っているニュースの内容は、映像とテロップから想像するしか無い。ただ内容よりも、僕のように早起きして頑張っている人たちがテレビの向こうにいるんだと思うと、観ているだけではげみになる。だから僕はこうしてキャスターたちの姿を眺め、元気をもらってから、眠ることにしている。


 そして僕の寝る前の挨拶は、いつもこう。


「おはよう!」




■ママ(6時58分)



 朝。長男がバイトから帰ってきて、自分の部屋の扉を閉める音が、私を起こしてくれる。いちおう保険で目覚ましはかけているけれど、いつも鳴る前にアラームを手で止めている。


 隣で眠っている子どもたちを起こさないように、静かに布団から抜け出る。冷え切った部屋の空気に震えながら、椅子にかけていたカーディガンを手に取り、肩にかけた。


 リビングに出てくると、さっきまで息子がいたせいか、ソファのあたりに人の気配とぬくもりがある気がする。


 あくびをしつつテレビを付ける。まだ家族が寝ているから大きな音は出せない。でも長男の気遣いか、たいてい音量は最低になっている。朝のエンタメ系ニュースを観ながら歯を磨いていると、だんだんと目が覚めてくる。


 エプロンをかける頃になったらもうすっかりお弁当作りのモード。冷蔵庫を開けて取り出したのは、夜のうちに仕込んだハンバーグのタネ。そしてタッパーに入ったきんぴらごぼう。


 ここからは私の勝負の時。フライパンに油を引き、テレビに表示された時刻とリモコンの位置を確認する。残された時間はあと20分。手際よくラップを外してからの私は、まるでお店の料理人のような手際の良さを見せる。


 この姿を誰かに褒めてもらいたい気持ちもある。でも早朝の台所に拍手をくれる観客なんていない。ちょっと寂しいけれど、これでいいんだと思う。誰もいないから、自分のやり方で料理ができる(ちょっとのつまみ食いも)。もちろん文句も言われない。


 ただ自由といっても、まったくルールが無いわけじゃない。毎日時計が58分になるまでに、お弁当を作ると決めている。その理由は……。


 大丈夫、今日も順調に進んでいる……え、待って、残りあと5分? 予想よりも時間が経っていた。いつもある場所に弁当箱のフタがなくて、ちょっと時間をロスしたせいだ。きっとあのイタズラ坊主たちのせいに違いない。


 あと2分。もう料理は作り終えている。あとはお弁当箱に詰めるだけだ。早く! 急いで! 手が職人のように精密に動き、あるべき場所に、おかずを並べていく。


 あと1分。フタを閉めてロックして、ランチバッグの水筒の横にしまい込む。


 終わった! 時間は57分!


 すでにテレビの映像は、デジタル放送のメニュー画面へと、自動的に切り替わっていた。


 片方のスリッパが脱げるのもおかまいなし。リビングを早足で横切った私は、ソファに置いてあるリモコンをぱっとつかんだ。


「今日の色は……うん、赤!」


 タッチの差で間に合った。じゃあいくよと、今日のゲスト出演者が腕を振り上げて――。


「ジャン、ケン……ポン!!」


 相手が差し出したその手の先を見て、私はニヤリと笑った。


「やった! 今日も頑張れる!」


 私の声と同時にリビングの扉がゆっくりと開いた。勝利の叫びを聞いて子供が起きてしまったか。


 私は最愛の子どもたちを朝一番の笑顔で出迎えた。


「おはよう!」





■パパ(7時58分)



 またやってしまった――目を覚ましてスマホの時計を見てうめいた。また寝坊してしまった。アラームをかけているのに、いつのまにか指が止めてしまう、らしい。


 といっても会社に遅刻するわけじゃない。なぜなら俺は出社する必要が無いからだ。最近当たり前になったリモートワークのおかげと言いたいが、自分で決めた時間に起きられなかったのが情けない。


 部屋は入り込む日差しで明るく、とても静かだった。ママはもう家にないだろう。あいつのパートは朝の時間帯だし、出かける時間が早い。それに子供を保育園に連れて行かなくちゃならないから。


 部屋を出て居間に向かう途中、長男の部屋からいびきが聞こえた。朝までのバイトで疲れているに違いない。今日は授業があるって言ってたから、ちゃんと起こしてあげないといけない。あいつの方が俺よりも働き者だと思った。


 リビングのテーブルの上には、すでに朝食が用意されていた。朝は忙しいから起きて手伝うよ。そう言ったのは自分だった。だからそれを見ると心が痛んだ。


 自宅で仕事をするようになったら、逆に負担が増えた。それでも必ず定時で業務を切り上げ、家族と過ごす時間を取るようにした。そうして皆が寝静まったあとにベッドを出て、残務をこなしていた。こっそりやっていたつもりだったがママには、ばれていた。


 お前が起きる時間に起こしてくれよなと、何度も頼んでいた。けれどあいつは絶対にそうしない。ママの気遣いと優しさに甘えつつ、俺は心の中で「すまない」と謝った。


 ため息をついてテレビを点ける。いつも見る情報番組はもう終わりかけで、最後の方にやる全国の天気予報が映っていた。今日も一日、雨の心配が無いと聞いてほっとする。

早めに洗濯機を回すことが、俺の今日の最初の仕事だと決めた。


 でもその前に、やることがある。体重が気になってから始めた朝のジョギングの時間だ。俺はパジャマを脱ぐと、ママが用意してくれた上下のジャージに着替えた。


 そんなに長く出かけるわけじゃないから、部屋の明かりは消さなかった。点けっぱなしのテレビから、占いの結果といつものエンディングテーマが流れてきた。フィナーレにキャスターたち全員が視聴者に手を振ってくれる。


 これを待っていた。


 俺のなかでワクワクが止まらない。今日が始まろうとしている。どうしてかわからないが、そのラストの音楽聞くと、俺の1日のスイッチが入る気がするんだ。


 新調したランニングシューズの靴紐を固く締めれば、準備は終わり。玄関の扉が閉まると、俺は空を仰いだ。


「おはよう。行ってきます」




(すれ違っても、想い愛    おわり)

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