第17話

「メロディ~! ちょっと来てくれ、メロディ!」


 厨房に老調理人マートの大声が響いた。


「メロディ!」


「なんだい? メロディならいないよ」


 酒場からサンディスが面倒臭そうな顔を出して答えた。


「いない? 出掛けたのか?」


「ああ、ポーケントッター共々ね。もうじき学校が終わる時間だろ。矢も楯もたまらずに、さっき出ていったよ」


 時刻は午後の二時を少し回った頃である。

 忙しない昼時を過ぎ、手の空く時間帯だ。


「なんじゃ、結局行ったのか」


「まあ、初日だからね。迎えにぐらい行っても罰は当たらないだろうよ」


 サンディスは、どこか感慨に耽るような面もちで言った。


「お前さんも、学校に行けてたらな」


「……え?」


「お前さんほど頭が良い娘なら、きちんと学問を修めていれば、もっと色々な人生が拓けただろうに」


 老マートが、珍しく気遣うような眼差しをサンディスに向けた。


「……まあね。でも、わたしは今の自分の境遇に満足してるよ。行き倒れ同然のわたしを引き取ってくれた上、ちゃんと読み書き算術まで教えてくれて、一人立ち出来るようにしてくれた先代のスプリングウィンドさんには本当に感謝してる」


 あいつはメロディに輪を掛けたお人好しだったからな――とマート。

 まあね――とサンディスが、故人を偲ぶように相槌を打った。


「ほんと、ここに拾われてからだよ。わたしが安心って言葉の意味を知ったのは」


 そしてサンディスは思う。

 あの時この宿屋に拾われていなかったら、自分は身体を売って生きなければならなかっただろう――と。

 実際、そうなる寸前だったのだ。


「でも――」


「でも、なんじゃ?」


「でも、やっぱり羨ましかったかな。毎日学校に通うメロディを見ててさ」


 そう言って、サンディスは寂しそうに微笑んだ。


「お前さんが、ここに来たのは14の時だった。もしお前さんが今のティアリンクと同じ歳で先代に引き取られていたら、きっとお前さんも学校に通わせてもらえただろう」


「当たり前だよ。14って言えば立派な大人だ。自分の食い扶持ぐらい稼がなくてどうするんだい。メロディだって学校に行きながらこの店を手伝ってたんだよ」


 そこでサンディスは吹っ切ったようにパンパンと手を叩くと、『さあ、仕事、仕事』と言って、厨房を出て行った。


 老マートは、実の娘に向けるような眼差しで、その背中を見送った。


◆◇◆


 一方その頃。


 件のメロディ・スプリングウィンドとナカト・ポーケントッター(目玉)の二人は、『聖ギルモア学園』の近くに一本だけ生えている楢の巨木の陰から、コッソリと校舎を覗っていた。

 丘の頂を広く平した土地に、この町では珍しい木造の三階建て校舎が建っている。

 ひるがえって見れば、ポートホープの全景とその先に広がる大ラトリア海が一望できる絶好のロケーションだ。

 元々は、海運業で財を成した素封家が、死に際して故郷の町に寄贈した土地である。


 町ではせっかく寄付された土地の有効利用をあれこれと考えたが、有力者たちの様々な思惑が絡み合い、住民を含めて誰もが納得する使い道はなかなか決まらなかった。

 結局、町の上層部で何度も腹に逸物ある話し合いがもたれた結果、教会学校や各種ギルド学校組合学校の枠を超えた正規の学校を作ることで落ち着いた。

 ポートホープも大きな街になった以上、公式な学校の一つもあった方が良いだろうという消極的な理由からである。

 言い替えればそれは、学校なら住人以外の誰も得をしない――という、有力者同士の牽制の結果であった。


 そんな曰わくを持つ学舎を、メロディとポーケントッターは木陰から見つめている。


「ああ、心配です、あの子、きっと泣いて出てきます。苛めっ子に石もて追われて、きっと心に大きな傷を負って泣きながら出てきます」


「アア、メロディサン、コレ以上ワタシヲ不安ニサセナイデ下サイ……ワタシハ繊細ナ精密機器ノ集合体ナノデスカラ……」


「ポ、ポーケントッターさん、こういう時、大人はどうやって子供を慰めてあげたらよいのでしょうか? 優しく慰めてあげるべきでしょうか? 励ましてあげるべきでしょうか? それとも怒髪天で苛めっ子への怒りを表すべきでしょうか? わ、わたし経験がなくて……」


「ソ、ソノドレモダト思イマス」


 ポーケントッターは動揺を隠せない声で答えた。

 巨大な目玉は、メロディの頭の上に浮かびながら校舎を覗き込んでいる。


「デスガ、ヤッパリ最初ハ、優シク抱キシメテアゲルベキカト」


「そ、そうですよね、やっぱり最初はそれですよね」


「メロディサン……」


「な、なんです?」


「娘ヲ抱キシメル役ハ、アナタニオ任セシタイノデスガ……ワタシデハ抱キシメルトイウヨリ、抱キシメラレテシマイマス……」


「りょ、了解です、ポーケントッターさん」


 オロオロソワソワしつつも、メロディとポーケントッターは二人なりの覚悟を決めて、ティアが校舎から出てくるのを待った。

 メロディは、泣きながら出てくるティアの姿を認めたら、すぐに駆け寄って強く抱きしめてやるつもりだった(メロディはこの場合、優しくも強くも同義語だと思っていた)。

 メロディはいつの間にか、出走前の競走馬のように勢い込んでいた。


 ――さあ、傷心のティアリンク! 何も言わず、わたしの胸で泣きなさい! わたしも一緒に泣いてあげるわ!


 やがて終業を知らせる鐘が鳴り、まもなくティアが校舎から出て来た。

 回りを同い歳くらいの子供たちに囲まれている。


 ――ああ、やっぱり、苛められて四方八方から罵詈雑言を浴びせられているのね!


 この悪童たち! わたしのティアになんて酷いことを!

 憤怒の形相を浮かべたメロディが駆け出……そうとしたとき、その襟首をポーケントッターの『魔法の手』が掴んだ。


「は、離して下さい、ポーケントッターさん! わたしはあの悪童たちに怒りの鉄槌を――」


 すでにしてティアを優しく抱きしめるという当初の目的を忘れているメロディを、ポーケントッターがなだめ、抑える。


「待ッテ、待ッテ下サイ! 落チ着イテ下サイ、メロディサン! ヨク目ヲ見開イテ、様子ヲ見テ下サイ!」


「目を見開いてって、あなたにだけはそのセリフを言われたくありません!」


「イイカラ、イイカラ!」


 ――も、もう! 今はティアの一大事なんですよ! メロディは荒い鼻息はそのままに、それでももう一度ティアの様子を覗った。


 ティアは――。


「ティアリンクちゃんのパパって、ほんとに『そうるあ~ま~』なの?」


「ティアでいいわ、みんなそう呼ぶから。うん、ティアのパパ、ほんとに『ソウルアーマー』だよ」


「お、俺、父ちゃんから聞いたぞ! 『はぐれあ~ま~をげきとうのすえ』に倒したって! 俺の父ちゃん、『はぐれあ~ま~』退治に行ったから!」


「『げきと~のすえ』かどうかはよく分からないけど、この町に来るのは止めたわ。でも、あの『はぐれアーマー』は、とっても可哀想な人だったよの」


「新聞に載っていた絵を見たわ! ティアちゃんのパパって、『大きな目』なの?」


「あれはパパのもう一つの身体なの。大きな身体で入っていけないような所に行くときは、あの目玉で行くの」


「空を飛べるってほんとか!?」


「うん、大きな身体も小さな身体も飛べるよ」


「ティアちゃんも飛んだことあるの!?」


「何度もあるよ。パパのお腹のクックピットに入って飛ぶの」


「すっご~い!!!」


 級友たちを周囲にはべらせて、まるで女王の如くティアが歩いてくる。


「……何か、すでにして人気者のようですね」


「……エエ、アノ様ナ状況ヲ、人間ハ人気者ト表現スルノデショウ」


 楢の木の陰に縦に並んで、ホッとするやら肩透かしを喰らうやら二階に上って梯子を外れるやら振り上げた拳の下ろし所を失うやらの、メロディとポーケントッター。

 まことに世の中はセリカの教え通り『過ぎた留はおよばざるが如し』である。


 その時、ティアが二人の姿に気がついた。


「――あ! パパとメロディだわ!」


 それじゃ、また明日ね! と級友たちに振り返ると、ティアは楢の巨木の下の二人に向かって駈けてきた。


「み、見て! あの大きな『目』! 本当に浮かんでるわ!」


「や、やっぱりほんとだったんだ! あいつ『そうるあ~ま~』の子供なんだ!」


「それも、ただの『そうるあ~ま~』じゃないんだって! 『はくぎんのいなづま』っていうこの間の戦争で物凄く強かった『えいゆ~』なんだって!」


「すっご~い!!」


「――パパ! メロディ! どうしたの!?」


「イ、イエ、チョットソコノオ店ニ買イ物ニ……」


「そ、そうそう、ちょっとお塩を切らしちゃって」


「クスクス、ここは丘の上の学校よ。近くにお店になんてないわ」


 返答に窮するポーケントッター&メロディ。

 子供の純真な曇り無きまなこは、真実をあっさりと見抜くものである。


「ソ、ソレヨリモ、初メテノ学校ハドウデシタカ?」


「そ、そうよ、どうだったの、ティア?」


 それが問題です――と言わんばかりに、頭の上から真剣な顔で自分を覗き込む保護者二人に、


「とっても楽しかったわ! ティア、学校大好きよ!」


 と、頼もしい被保護者は満面の笑顔で答えた。


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