第23話 悪魔のムース
景色が変わったのを視認した瞬間、カナタとマヨイはお互いに背中合わせになって、ぐるりと周囲を見渡した。そしてすぐ、その方向を見て動きを止める。
「教官殿、あちらですか?」
「うむ、わかるか」
「なんとなくであります」
「今はそれでいい。では向かうぞ、少し距離があるが――ふむ、面倒だから直接乗り込むか」
転移の感覚が違うのを、何度か経験している二人は肌でそれがわかる。
何がと問われれば、わからないと答えるしかないが、シルレアとキーメルでは、何かが違うのだ。
同じよう周囲を見渡して、少しだけ緊張レベルを上げた。
廃墟――のように、見える。
ただ、木も倒れているし、それなりの規模の戦闘が行われたあとのようだ。熱気の名残りさえ感じられた。
「感情任せに暴れただけだな、これは」
「わかるのでありますか?」
「ああ、これは経験だな。戦場を歩いていると、こういう光景はよく見る。連れて来てなんだが、おそらく貴様らの手には負えんなこれは」
「えー、そこまでわかるもんですか? あくまでもこれ、戦闘跡ですよね?」
「もちろん、全てではないが、多少はな」
そして。
彼女は、瓦礫の上に、足を組んで座っていた。
小さいな、と感じたが、すぐ否定する。キーメルだとて似たようなものだ。
しかし相手は。
「ふむ、見たことがないが、あのしっぽはなんだ?」
「悪魔族であります、教官殿」
「ほう、そうか。魔力の質も違うし、肉体構造も少し変わっているが、ヒトガタか」
「――うるさい」
少女は瓦礫から飛び降りると、こちらを睨んだ。
「人の領域に立ち入って、
「ああ、それはすまなかったな」
半歩だ。
たったそれだけ、キーメルが前へ足を動かすと、瞬間的に少女は腰を落とした。
「――」
驚く。
それもそうだ。キーメルを知っている二人なら当然かもしれないが、彼女は知らないのに、対応した。
しかも攻撃ではなく、防御のための身構えだ。
「すごい……反応した」
「ああ、確かにぼくたちじゃ相手にはならなかったな」
キーメルは構えもせず、腕を組み、小さく笑った。
「――惜しいな」
改めて、その言葉は今度こそ、きちんと彼女に届いただろう。
「貴様ならば、そう、4%の可能性がある。私を殺せる可能性だ――が、まだ早い、早すぎる」
「…………」
「何が目的だ?」
「神殺し」
「どの神だ」
「
「因縁か?」
「――そうだ。理由をつけて、こちらは狩られる側だ、気に入らん」
「ほう」
改めて一歩、キーメルが前へ出れば、彼女の額に汗の粒が浮かんだ。
「気に入らないか」
「同胞を殺され続けた」
「ならば、貴様にはこう言った方がいいか? 戦神はもういない、――私が殺した」
「――なんだって?」
「私が、殺した。さて、貴様の感情はこれで私に向くのか?」
自然体のまま、組んでいた腕がほどけただけで、彼女は位置を動く。右へ、左へ、そしてまた前かがみになり、重心は低く。
見えているのだ。
攻撃の初動から発生する、攻撃そのものの予測が、見えている。
――だが。
「悪手だな」
一息で、うつ伏せに組み伏せられていた。
「身体能力の向上を術式で組んでいるだろう? 基礎能力への上乗せは評価できるが、だからこそ、目で追いすぎる」
それは二人も納得できる。
目で見ろ、そして目に頼るな。
この二つを切り分けるのが、対応への初歩だった。
「はっきり言おう、貴様の事情など知らん。知らんが……神を殺したいなら、うちに来い」
「なん、だ、と……!」
「暴れるな、痛むぞ。力を抜けばどうということはない」
「うる、さいっ」
「やれやれ」
ひょいと、キーメルが立ち上がると、飛び跳ねるよう距離を取った。
「まるで生まれたての赤子だな。――だがそれゆえに、惜しい」
「くっ……」
「戦神はいないが、そうだな、
「……あの、遠距離スキルで戦闘をする神か」
「そうだな、そういう認識で合っている。ただ今のままでは貴様が死ぬだけだ――が、うちに来るのなら、殺せるようにしてやってもいい」
「……」
苦渋。
疑念。
そして、口を開こうとした彼女へ、キーメルは右手を上げ、手のひらを向けた。
「――まだ、わからんか?」
びくりと、彼女は躰を震わせた。
それを二人は知っている。
ごくごく簡単な威圧だと、キーメルは笑っていたが、初見の時には腰が抜けた。
「ここで貴様の首を飛ばすのは容易いぞ? 問題があるなら言え、解消してやろう。貴様には可能性がある、ついて来い」
「…………時間を」
「即答しろ」
「……、……わかった」
「名は?」
「ムース」
「私はキーメルだ。人間と混ざって生活することに問題はあるか?」
「私はともかく、人間が嫌がる」
「では問題ない。――抵抗するなよ」
半分笑いながら言ったのを最後に、あっさり転移が完了した。
見慣れた光景に、ふうと、カナタは吐息を落とす。
「なんだ、この程度で」
「教官殿、人は環境の変化に即応できません」
「安心する場面ではないと思うが――ああ、いたなシルレア」
「ああ……また妙なのを拾ってきたわねえ」
きょろきょろと周囲を見ていたムースの前まで来たシルレアは、ふうんと目を細める。
「な、なんだ」
「ヒトガタはしているけれど、人間じゃないのね。体内で魔力の生成器官? ああ、周囲の魔力を食ってばかりだと、ほかの環境に適応できないからか。で、本来ある肉体構造を術式によって構築してるわけか。腕を落としても、構成を復元すればいいだけだから、魔力の塊と捉えるのが一番わかりやすい」
「――なんだって」
「ああ、自分の構造に無自覚なんだ。腕を斬り落とされた人間は、腕を失うけれど、構造がなくなれば、腕がなくなるなら、――人間と同じね」
一つ。
小さな術陣がムースの左腕に出現し、それが消えると同時に、腕から先が消失した。
「――っ」
「痛みはないでしょ? 壊したのでも、殺したわけでもなく、あんたの体内における設計図に細工をして、腕の先をないものとして上書きしただけ」
手を合わせて音を鳴らせば、元通り。
ただし、腕の復元にはムースの魔力を消費する。
「どうだシルレア」
「いいわね。4%くらいの可能性はある」
「あ、先生も同じ見立てなんだ」
マヨイが言うと、二人は揃って嫌そうな顔をして、こっちを見た。
「え?」
「……まあいい」
「あとで。ええと、名前は?」
「ムース」
「ん、まずは自分の躰について詳しく知ること。ドクロクのあたりなら説明できるでしょう。それからカナタ」
「はい」
「目で見えないものを把握する方法を教えておくこと」
「諒解であります」
「それと、明日は親睦会だ」
「――あら、どこまで?」
「そろそろ七割だな」
「そうね、そのくらいにはしましょうか」
「……メェナには黙っておけ」
「わかってるわよ、どうせ参加したがるし」
などと会話をしながら、二人は歩いていってしまった。
お互いに名乗りを終える。
「あいつらとは、長いのか?」
「いや」
「まだ半年くらいだし、顔を合わせた時間はもっと少ないよ。――逆らうほど馬鹿じゃないけどね」
「そうか。もう一つ、私が悪魔族だとわかって、どうなんだ?」
「どう……? もう少し胸を大きくしたりもできるのかと、そんな疑問を抱いたが――なぜ殴る!?」
「馬鹿なこと言わないの。そういうとこ、教官殿の癖だよ」
「む……軽口のつもりだったんだが」
「ああいい、いい、私が悪かった。気にしないならそれでいいや。それで、目に見えないものを把握する方法ってのは?」
「それか。というか……意欲的なのか、ムースは」
「どうかな。だが興味はあるし、神殺しの件も疑ってはいる」
「疑うって?」
「はいそうですかと、頷ける話か?」
言われ、二人はお互いに顔を見合わせて。
「たかが神を殺しただけだろう?」
「そのくらいのことで驚いたりはしないよ」
「お前ら、毒されてるだろ……で」
「ああ悪い。そうだな、ムースは目を閉じることはできるか?」
「おい、そりゃ馬鹿にしてる台詞だぞ」
「すまん、そういう意味じゃない。だが、言葉通りだし、俺たちはそこから始めた」
「詳しく」
改めて、言葉を選ぶよう少し考えてから、カナタは口を開いた。
「目を閉じても、暗闇は見えるだろう? あるいは、まぶたの裏側が感じられる」
「そりゃな」
「だが、閉じているのは確かだ。その感覚の延長で、――耳を閉じる」
「……は?」
「だから、耳を閉じるんだ。考えてもみろ、目を凝らしたり、耳を済ませたりできるだろう? その逆も、本来ならできるはずなんだよ。そこらの感覚を手掛かりにして、耳を閉じると、ほかの感覚がよくわかる」
「ちょっと、待ってくれ……いや、理屈はそうか?」
「実際にわたしたちはやってるけど」
「目で追うことは少なくなったな。だいたい、背後や見えないところからの攻撃の方が、現実には多い」
「そうなんだよねえ」
「……コツは?」
「片手を水に入れながらやれ。感覚がよくわかる」
「とりあえずやってはみるが……」
「そこらへんの小石を投げてみるか? よほどのことがなけりゃ、だいたい避けられる」
「じゃ、まずは試しだ」
全部避けた。
というか、時間差をつけたところで、一つずつ投げるのなら、背後からでも避けられる。体中を痣だらけにして会得したのだ、それも当然だろう。
――それから。
ちょっと離れた位置に越してきた三人とも挨拶を交わして。
明日の本番に向けて、二人は躰を充分に休めた。
親睦会だなんて。
嫌な予感しか、しない。
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