第3話 神の領域
礼拝堂の奥にある個室にも、女神をかたどった像が存在し、神父の立ち合いのもと、二人は両手を組んでしゃがみ、祈りの姿勢をしていた。
今回は立ち合いとして、二人の父親とケッセ、ジズエルの侍女と執事がいる。
神父の言葉は右から左へ、彼女たちの意識は状況の変化そのものへ向けられていた。
「――来た」
その瞬間、二人は立ち上がる。
「シルレア」
「やってる」
「そうか。――すまないが、少し席を外す。そのうち戻る」
そうして、彼女たちはその場から消えた。
「……、……ジズエル」
「はい旦那様」
「あー」
眉根に寄ったしわをほぐすようにしながら。
「どうなってる?」
「はあ、よくわかりませんが、お嬢様たちにとっては望み通りかと。こうなるだろうことは事前に聞かされていました――何故かは、わかりません」
「どうしてこうなった……?」
「そう悩むな、親なんてのは子供のことなんて、よくわかんねえって」
「お前なあ」
どうやら、大事にはならなさそうだ。
――
何故なら。
「……へ?」
そこには、一人しかいなかったからだ。
その景色を簡略化するのなら、広い宮殿の庭のような場所だろう。大きな湖には、さきほど祈っていた場所が映っている。
そして、そこにいた女は。
やや小柄ではありながらも、ワンピース姿で髪の長い――神だった。
「……なんだ、これならば二年待つ必要もなかったな。てっきり
その可能性を前提に動いていたからこそ、二年の成長が必要だった。
そして、十二の神を相手にするのならば、勝率は一割だろうと、シルレアは言ったのだ。
「どうするシルレア、これを殺すか?」
「んー……?」
「ふむ、後回しでいいか。――おい、貴様の名は?」
「――なんなの、あんたたち。どうしてここへ?」
「質問に答えろ」
「
言いながら、彼女はこの状況を理解しようとする――いや、状況ではない。
彼女たちを知ろうとする。
いわゆる裏ステータスとでも呼べばいいのか、スキルの一覧ではなく、立場や技術などにおける称号がこの世界では貼り付けられており、その閲覧権限を神は持つ。
たとえば剣聖と剣豪は違うものだ。
それをあっさりと見抜くことができる――が。
異界来訪者。
この称号は珍しいけれど、今までにもあった。意識、記憶、そういったものをほかの世界から持ってくる者たちだ。彼らの存在は、世界の進歩を後押しする――失敗しなければ、だが、そこまでの管理は彼女たち神の仕事ではない。
そこから先に連ねられた称号を、彼女は目で追う。
世界を歪めし者。
卓越者。
拒絶し者。
――魔術師。
まだ、八歳の子供が持つべき称号じゃない。いや、いやいや、本来はその称号なんてものは、一生に一つでも得られれば充分すぎる――。
「
その言葉に気づいて顔を上げれば、その瞬間に首を掴まれ、地面に叩きつけられていた。
「ぎゃっ」
「質問に答えろ、慎重にな。貴様は、私たちをこちらに呼んだのは誰か、知っているか?」
「し、――知らない。異界来訪者は、たまにあるけど、誰かがどうにかしたと、聞いたことは、ない」
背中を強く足で押さえつけられ、動けない。それどころか、さっきからいくつかのスキルを同時起動しているはずなのに、何も発生しなかった。
わかるはずがない。
スキルと呼ばれる仕組みを理解し、それを解きほぐした彼女たちにとって、それを無効化――使えなくすることなど、造作もないのだ。
魔術師。
世界の理を探求する者。
彼女たちにとってはスキルなど、子供が持っているおもちゃと同じだ。
「……フィイア、口外するな」
シルレアの放った一言が、彼女の脳に入り込む。
「呆れた、
「わかっていたことだろう」
「そうだけど、落胆した」
脳に入り込んだ言葉は、
ここでのことを、誰かに話せない。話そうとするたびに、楔が脳を貫く。
そして、キーメルが作り出した金属の棒で、右手を地面と一緒に貫かれた。
神なので痛みはない。ないが、どういうわけかスキルが発動せず、何もできない。
「その湖が
「そうね」
「見られている以上、こちら側からも繋がりを見通せるはずだ。まさか使い魔を媒介にしているはずはないだろう?」
「目隠し」
シルレアの右手に浮かんだ、円形を基本とした陣――つまり、魔術における術陣がひょいと投げられ、キーメルはそれを手元に落として見る。
そもそも術陣に限らず、他人の魔術式なんてものは解読できるものではない。人間には個性がある。術式そのものに、そして術式を稼働させる魔力に、その個性は出現するものだ。
まったく同一の結果を出す術式であっても、個人によって構成が違うなんて、彼女たちは当たり前のように知っていた。
――スキルだなんて。
誰が使っても同一の内容とは、違う。
しかし、付き合いが長ければ、わかることもあって。
「なるほど、見つからないようにする最低限の術式か。
術陣を消して、改めて術式の構築を始めようとするが、やめた。
どうせ長居はしない。
「さて」
両手を叩いたシルレアは、湖から、まだ地面と遊んでいるフィイアへ。
「コレが、神ねえ……」
しゃがみ、髪を引っ張るよう軽く顔を上げさせて、目を合わせた。
「どう考えても、こんなのが集まってる連中に、私たちを選別して呼び寄せるなんて真似、できそうにないんだけど――まあ、いい。今回は見逃して、泳がせておくわ。最初に殺すのは
「つまり、ここで見逃してやると、そういうことだ」
「安心なさい。本当にあなたが恐怖する時は、――戦神が殺されてからだから」
彼女たちは、小さく笑う。
どうせこの言葉でさえ、真に受けないだろうと、知っているからだ。
そして、彼女たちは湖の中に落ちるようにして、戻った。
※
第一戦神セイローと、第二戦神ディージーマを呼んだのは、かなり早い段階だった。
「――で、何の用だ、フィイア。生活神が俺らを揃って呼び出すとは、穏やかじゃねえな」
テーブルを囲み、まずは何から話そうか。
「祝福をしようとしたのよ」
「ああ、季節外れだし、まとまって集まらないから、半自動的にしなくても良いからな」
「セイと違って、フィは丁寧ですね」
「ありがとう。それで――」
それで。
言おうとした口がふさがらず、歯が重なるようよう何度か動かそうとするものの、言葉が出てこない。
「――っ」
「あ? どうした?」
言えない。
何があったのか、覚えているのに、口から――。
「なんなんだ? おい。用がないなら帰るぜ」
「待って。そうじゃなくて――」
駄目だ、頭が痛い。
話したいのに、内容が、口外できない。
スキルが使えるようになってから、リフレッシュしておいたのに。
「おい、大丈夫か?」
顔をのぞき込まれ、はたと気づく。
その瞬間、彼女の目に術陣が浮かんだのを、二人は見た。
「セイロー、死ね」
ようやく言葉が出たと思えば、意識とは別のところで放たれたそれを。
「わかった」
彼は承諾する。
すぐにテーブルに立てかけた大剣を引き抜き、柄を下にして足元に置き、その切っ先に己の首を――向けて。
しかし、そのまま崩れ落ちるよう、剣を回避した。
「すみません、セイ。麻痺針と麻酔針の混合です」
危うい状況だった。
セイローの持つ大剣は人間の手では作れないような業物だ。神とはいえ、死ぬ可能性だとてある。
「フィ、今の仕掛けは一度だけだとは思いますが、今から口を開こうと思わないでください。よろしいですね?」
彼女は、状況を理解して、頷いた。
ディージーマはその間に剣を戻し、セイローを持ち上げて椅子に座らせておく。感謝を口にしたので、会話には参加できそうだ。
「祝福ということは、相手は人間だ。つまり、その人間が来たのですね?」
肯定を示す、頷き。
「目的はともかく、今しがたセイに対してやったように、言葉を媒介にしたスキルをあなたに使った。そう、つまり、話すなと、そんな感じで」
どうすべきか。
いや、だが、ここは重要だろうと、頷いてから、首を横に振った。
「あってはいるが、違うところもありますか。そこは重要ですか」
頷く。
「……ディージーマ、大前提、だ。フィイア、祝福を、したのか?」
否定する。
そこだ、そこが重要なのだ。
「つまりその人間は、スキルが使えない?」
肯定する。
「念のため、確認しておきます。その人間は、あなたの祝福を、拒絶できたのですね?」
そうだ、そうだ、肯定である。
「映し鏡で追えばいい。しゃべれなくても、確認くらいは、できるだろ」
否定する。
「できない? ――時間はわかる、対象も見ている、けれど追えない……?」
「――まさか、消えてるのか?」
肯定する。
「そうか、そりゃ大事だ。……こうして殺されなけりゃ、俺も笑い飛ばしただろうが、な」
「私だとて半信半疑です」
「お前にかかったスキル――じゃない何かが、いつ消えるかはわからないが、話せるようになったらまた呼べ。それと、最後の質問だ」
睨まれると怖い。彼女は被害者なのに。
「そいつらは、俺らの、敵か?」
肯定する。
少なくとも彼女たちは、こちらを敵だと認識していた。
「疑問は残りますね……」
「忘れなけりゃそれでいいさ。いずれ、敵なら戦闘になるんだろ」
「その時は、私と背中を預けて戦いたいものですね」
「相手次第だ」
フィイアは、すべてのことを伝えられず、それでこの場はお開きとなった。
けれど、不安が残る。
いいのだろうか。
――あの二人に、時間を与えて、果たして本当に良いのだろうか。
神である自分がスキルを使えなかったことを、どうやっても伝えられないもどかしさを抱えながら、フィイアは一人、また、いつもの業務に戻る。
祝福をする以外、何をするのでもない、暇な業務だ。
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