第5話 その夜

 カインとアストライアがキャラバンに戻ると、グレゴリーが血相を変えて駆け寄ってきた。


 どうやら心底心配していたらしく、無事アナグマは倒した旨を伝えると、ほっと胸をなでおろし、そっと「あぁ――、よかった。」と呟いた。


 この騒動の後、キャラバンのエルフたちの反応や態度が一変した。今までとは打って変わって、とても親切になったのである。どうやらキャラバンの危機を救ったことで、信用を得られたようだ。


 エルフたちが好んで食べる木の実やお菓子も分けてもらった。木の実に関しては癖のある味だが、エルフ菓子は甘党の間では一等品と有名らしく、アストライアが嬉しそうにほおばっていた。


 アストライアは、「人間とエルフの絆は断たれた」と言っていたが、やはり長きにわたって紡がれたつながりは、そう簡単には切って離せないのだろう、とカインはそう思った。



 ***



 しばらく道なりに進み、ようやく目的の村にたどり着いた。やはりダニアに近いからか、雰囲気が暗く、あまり活気のあるような村ではない。それになにやら嫌な感じのするエーテルが流れている。


 話を聞く限り、グレゴリーは彼の出身地である“ウェウクトル”では有名な「薬屋」だという。こうして各地の過疎地を廻って薬を売ったり、時には寄付したりして生活しているらしい。


 エルフたちが村で薬を売っている間、そこら辺をうろついていたアストライアがふとカインの隣にやってきてこんな耳打ちをした。


「どうやら彼は『翡翠薬ひすいやく』も扱ってるらしいよ。なかなかの商人だねぇ、グレゴリーさんは。」

「翡翠薬………?」


 エルフの作る薬の治癒効果は、人間の作るそれとは比べ物にならない性能を持つ。

 エルフは生まれつき「治癒魔法」が得意であり、かつエーテルを扱う才能にたけている種族である。それゆえにエルフの治癒能力を薬に変換すれば、人間のものとは質が異なるのは自明の理である。


 そしてエルフの薬の中でも最も高価で、最高品質のものが「翡翠薬」である。これは一般の商人が軽く扱えるものではなく、商売用に所持するには許可がいるのだという。


「じゃあグレゴリーさんてほんとにすごい人なんだな」


 カインにはいまいちその翡翠薬の価値が分かりかねるが、それでも十分すごいことはわかるのでしっかり感心した。


 ―――それにそんなこと知らなくたってグレゴリーさんがすごいことはわかるさ。


 村人に薬を売るグレゴリーの横顔を見て、カインは思わず笑みをこぼした。



 ***



 その夜。


「――はぁ、はぁ、……!」


 少女は走っていた。


 包帯の巻かれた右腕がわずかに痛むが、この痛みにはもう慣れた。


 生まれてから外に出たのはこれが初めて。囚われの身から解放された少女は、必死に身をよじらせ、大地を踏みしめる。


 しかし少女にそんな感傷に浸る時間はなかった。


「探せ!まだそう遠くへは行ってないはずだ!」


 後ろの方から声が聞こえる。

 振り返るとその声の主の姿はまだ見えない。視界に入るのは燃える建物と燃える木々。鮮やかの炎の明かりが、暗い夜空をまばゆく照らす。


 ―――逃げなくちゃ……!


 少女は走っていた。


 靴などは持ち合わせていないため、裸足で駆ける。石が食い込む。枝が刺さる。何度も転んで体中が痛い。


 生まれて初めて走った少女は、逃げ切れるほどの体力がなかった。


 少女が走った末、たどり着いたのは崖だった。もう逃げ場はない。


「いたぞ!こっちだ!」


 気付くと少女のうしろには二人の【人間】の男が立っていた。


 少女の顔が一気に青ざめる。


 ―――はいや……!もう熱いのはいやだ……!!


「手間取らせやがって。」

「今回は二倍の罰を受けてもらうぞ」


 そう言って目の前の二人の人間が手を前にかざす。彼らの手が赤く光る。

 いつものの合図だ。


 そして。


「「炎弾ファイアボール!」」


 赤く光る手の先から、炎の玉が四つ発射される。


 ―――あぁ、まただ。またに戻されるんだ……


 少女の眼から希望の光が消えた。

 絶望の闇が心を覆った。


 刹那。


 少女の右腕が無意識に動いた。

 迫りくる炎を受け止めるように、炎に対して右腕がつきたてられた。


 すると右腕に巻かれた包帯の、手首から先の部分がひとりでにほどけ、がむき出しになった。


「痛っ…!」


 少女の右腕に鈍痛が走る。そんなことはお構いなしに、炎は慈悲もなくつきたてられた少女の右腕に直撃する………はずだった。


 しかし。


 ズォォォォォォォォ!!


 轟音とともに少女の右腕の穴に炎がされる。


 「い、いったい何が……!?」


 放ったはずの魔法が吸収されていく状況に、二人の人間は理解が追い付かない。


 結果、少女の体に傷一つ与えることなく、炎は消え去った。


 少女の意識は突然そこで朦朧もうろうとし始めた。気付くと右腕の鈍痛は消えていた。その時、少女のいた崖が崩れ、少女は崖下へ放り出されてしまった。


 仰向けに落ちていく少女の瞳には、大きな月が映っていた。そして彼女の意識は、夜空に空いたその黄色い穴に吸い込まれていった。

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