第62話 小さな豪邸



 幸いにも、藤瀬と聖ちゃんが車に乗り込んできてから十分程度で、東條院家へと着いた。

 東條院さんや藤瀬はまだいじり足りない、といった感じだったが……。


 東條院家に着いた瞬間、少なくとも藤瀬のその気持ちはなくなった。


「す、すごい……!」


 リムジンの中から見えたその豪邸に、藤瀬が思わず呟いていた。

 藤瀬以外にも凛恵、それに聖ちゃんも目を丸くしている。


 窓の外にあるのは、もう見たこともないような大豪邸。

 いや、漫画とかではこのくらいの大豪邸は見たことあるかもしれないが、現実では見ないだろう。


 ……一応ここ、漫画の世界だったな。


 俺は原作を読んでいたから東條院の家がこれくらい大きいってことは知っていたが、現物を見ると、すごすぎてもう笑えてくる。


「少し待ってちょうだい、今、門を開けてもらっているから」

「も、門……」


 リムジンは今止まっているが、それはこの豪邸に入るために門が開くのを待っているのだ。

 豪邸の敷地内に、リムジンで入るだけの庭があるということだろう。


 ……本当にすげえな。


 そして学校の門よりも大きな門が開き、リムジンは敷地内に入った。

 大豪邸に近づいていき、ようやくリムジンは止まり俺達は外へ出た。


 見上げるほど大きな豪邸、入り口のドアはもう扉と呼んだ方が遜色ないくらい立派だ。


「やっぱり東條院さんって、お嬢様なんだね……」


 藤瀬がぼーっとしながらそう呟いた。


「あら、逆にそれ以外なんだと思っていたの?」

「いや、お嬢様だと思ってたけど、すごいね……」

「私にとってはここはそこまで大きくないと思うけれど……普通の方からすると、この家も大きいのよね」

「えっ、これ以上大きな家があるの?」

「海外にある別荘で、これの数倍の大きさの家があるわね」

「……想像つかない」


 これの、数倍って……藤瀬の言う通り、一般人には想像がつかない世界だ。


「外装を見るのは十分かしら? もう入るわよ」


 東條院さんがそう言って扉の方へと進むので、俺達も後ろについていく。

 その時、聖ちゃんと隣同士になって視線が交わったのだが……。


「っ……!」


 聖ちゃんは顔を真っ赤に染めて、俺から顔を逸らした。

 さっきまであれだけ俺と結婚するのかしないのか、みたいのでからかわれていたのだ、あの反応もしょうがないだろう。


 俺もなんだか恥ずかしくて視線を逸らそうと思ったくらいだ。


 だけど聖ちゃんの照れる顔も可愛いな。



 そのまま豪邸の中に入ると、やはり家の中もめちゃくちゃ広いし豪華だ。

 俺達は広すぎる玄関、高すぎる天井、シャンデリアなどを見渡してしまう。


 東條院さんだけは慣れた様子でそのまま中へと入っていく。


「では、どうしましょう? すぐに調理場で料理を練習するのであれば、このまま案内しますが」

「そ、そうだね……お願い出来る?」


 今日の目的は藤瀬の料理の練習だ。

 藤瀬は料理が本当に出来ない、素晴らしいほど出来ない。


 あの聖ちゃんが匙を投げるほどだ。

 前に聖ちゃんに「久村も手伝ってくれ」と言われていたけど、ぶっちゃけ「何の罰ゲーム?」と思っていた。


 だって味見役が毒味役で、気絶する可能性が高いんだから。

 だから東條院さんと聖ちゃんが球技大会の試合で負けた方が罰ゲームを受けると聞いて、すぐに藤瀬の料理の手伝いということを思い出した。


 藤瀬の料理の手伝いというだけで罰ゲームなのに、東條院さんにとっては恋敵の手伝いをしないといけないのだ。

 しかも大きなアドバンテージを持っている料理で。


 それを聖ちゃんに提案すると、すぐに採用してくれた。

 東條院さんにその罰ゲームを話すと、とても屈辱だと言いながらもやってくれるということで。


 だから今日は東條院さんの家で、藤瀬の料理の修行だ。


 広すぎる豪邸を東條院さんに案内される。

 その間も招待された俺達は、チラチラと周りを見てしまう。


 だって周りに完全に執事とかメイドがいて、俺達が通る度に頭を下げてくるのだ。

 東條院さんは慣れた様子だが、俺達が浮き足立ってしまうのはしょうがないだろう。


 そうして廊下を歩いていたら……前から一人の男性が歩いてきた。


 って、あの人は……!?


「お父様!?」


 一番先頭歩いていた東條院さんが立ち止まり、大きな声を上げた。


「えっ、東條院さんのお父さんって……」


 藤瀬が思わずそう呟いたが……そう、全員の頭に思い浮かぶ通り。

 総資産が一千兆を超えるほどの大企業の社長……東條院光輝だ。


 四十歳を超えているとは思えないほど若々しい見た目、黒髪で耳がしっかり見えるほど短口揃えている。

 顔立ちもとても整っていて、目は東條院さんに似ている。


 いや、逆か、東條院さんがお父様に似ているのか。


 スーツで無表情で近づいてくるお父様に、東條院さん含めて俺達は緊張度が増す。


「歌織、おはよう。元気にしてたか?」

「お、おはようございます、お父様。はい、お陰様で」


 緊張した面持ちの東條院さんは、硬い笑みを浮かべている。

 後ろにいる俺達も先程よりも背筋がピンと伸びているだろう。


 お父様はなぜか一瞬眉をひそめたが、すぐに俺達の方に顔を向けた。


「そちらの方々は、歌織の友達か?」

「は、はい、私の友人で、今日はこの家に招いております」

「そうか。初めまして、私は歌織の父親、東條院光輝だ」

「は、初めまして、藤瀬詩帆です」


 藤瀬が最初に喋ってくれて、俺達もそれに続いて挨拶をした。

 凛恵も聖ちゃんもやはり少し緊張しながら挨拶をし、最後に俺が話す。


「久村司です」

「……君が久村くんか」

「えっ?」


 俺の名前知ってるの? なんで?


「君には随分とお世話になった、ありがとう」

「え、えっ、いや、何がですか……?」

「先日の歌織からの電話、君の言葉で歌織が電話をかけたと聞いたが」

「あっ、その件ですか」


 まさか東條院さんが電話の件で、俺のことをこの人にも話していたとは。

 東條院さんからも貸しが出来た、と言われたが、俺的にはそこまでの貸しだとは思っていないのだが。


「君にはお礼が言いたかった、ありがとう」

「い、いえ、そんな、大したことはしてないです」

「私達からすれば大したことなのだ。とりあえずお礼に、これを」


 お父様が懐から出した紙を、両手で受け取る。

 なんだこれは?


 ……えっ、小切手?


「好きな額を……と言いたいところだが、上限はすまないが百億で頼む」

「え、えっ、あ、はっ?」


 何を言っているのか全くわからない。


 百億って、百億円……?

 ……いやいやいやいや!?


「こ、こんなの受け取れませんよ!? あとそんな額、書けるわけないです!」

「そうか? では軽井沢にこの家くらいの小さな別荘があるのだが、それはいらないか?」

「いらないです!」


 この家くらいの小さなって何?

 大豪邸すぎますけど?


「そうか。今は君の求めるものが思い浮かばないが、いずれお礼の品を送らせてもらいたい」

「気持ちだけで十分なんですが……」

「そうもいかない。君は私達家族の氷を溶かしてくれたのだから」


 そう言ってお父様は東條院さんの方を見て、優しく微笑んだ。

 東條院さんは少し気まずそうに目を逸らしたが、耳がとても赤い。


「お、お父様、なぜ今日はこのお家に?」

「歌織が勇一くん以外に初めて友達を家に呼ぶと聞いたからな」

「は、恥ずかしいのでやめてください……」

「すまない。だが気になりすぎて仕事を放り出してきてしまった」

「それは大丈夫なのですか!?」


 ああ、だから今さっきからお父様の内ポケットから、バイブ音が鳴り響いているのか。

 おそらく仕事関連の電話なのだろうが……本当に大丈夫なのか?


「もうそろそろ行く。歌織、来週の食事会なのだが……本当に歌織が料理してくれるのか?」

「は、はい、まだまだ練習中ですが腕を振るって作ります」

「歌織が料理をしてくれるだけで、私にとってはどんな高級な料理よりも価値があるものだ」

「っ……あ、ありがとうございます……」


 俺達は、とても珍しい光景を見ている。


 あの東條院歌織が、とても恥ずかしそうに身を縮こませて、消え入りそうな声を出しているのだ。

 先程までリムジンの中であんなお嬢様だった東條院さんが、可愛らしい女の子になっている。


「それと歌織……もうあの呼び方はしてくれないのか?」

「うっ!? そ、その……」

「……そうか」


 少し寂しそうに、落ち込んだように目線を下げたお父様。


 それを見た東條院さんは顔を真っ赤にしながらも、意を決して……。


「……パパ、お仕事頑張ってください」

「っ……ああ、ありがとう、歌織」


 東條院さんの言葉にお父様……パパは、とても優しい笑みを浮かべた。


「君達も、ゆっくりしていってくれ」

「あ、はい、ありがとうございます」


 パパは最後にそう言ってから去っていった。

 パパが去っていってから数秒、沈黙が流れる。


「……随分とパパと仲がいいようだな、東條院」

「っ!?」


 最初にその言葉を発したのは、意外にも聖ちゃんだ。

 いや、意外でもないか、リムジンの中であれだけいじられたのだ。


「し、嶋田さん……?」

「いや素晴らしいことだ、親子仲がいいことだ。これからもパパと仲良くするようにな」


 聖ちゃんは優しい笑みを……浮かべようとしているようだが、ニヤつき抑えきれていない。

 ただ俺も……口角が上がるのが止められないな。


「そうだね聖ちゃん。パパと仲がいいのはいいことだよね」

「ああそうだな。とても素晴らしいことだ」

「東條院さんがパパと仲良くなったのに俺が役立ったなんて、とても嬉しいよ」

「よくやったな、久村。お前のお陰で東條院とパパがさらに仲良くなったようだぞ」

「っ……」


 その後、調理場に着くまで俺と聖ちゃんは、顔を真っ赤に染めている東條院さんをからかい続けた。


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