第31話 歌織と父親



『もしもし。どうした、歌織』


 父親の声が聞こえてきた。

 慌てて耳にスマホを当てて返事をする。


「お、お父様、突然のお電話申し訳ありません」

『ああ、驚いたよ』

「お、お忙しい中、私の電話なんかに出てもよかったのですか……?」

『ん? 娘の電話に出ない父親が、どこにいるのだ?』

「っ――」


 その言葉に、声が出なかった。

 数十秒単位で決まっているスケジュール、今のこの数秒のやり取りでさえ、スケジュールを大幅に押してしまっているだろう。


 それなのに……自分の父親がそんなに自分のことを想っているとは、思わなかった。


『それで、何か用か?』

「あっ、その……」


 そうだ、電話をした要件は……一瞬だけ久村の方をチラッと見る。

 まさか繋がるとは思っていなかったので、こんなに恥ずかしいことを聞くことになるとは。


 だが父親の時間を奪うのも申し訳ないので、勇気を振り絞り問いかける。


「お、お父様が、私を……あ、愛しているか、聞きたくて……」

『……そんなことか?』

「っ……」


 先程とは、全く逆の理由で声が出なかった。

 やはりお父様は、自分のこと何とも思っていない――。


『愛してるに決まっているだろう』

「……えっ?」

『聞こえなかったか? 電波が悪いな。おい、ここの建物の電波を変えておけ』


 父親が近くの人間にそう指示を出すのが聞こえた。


「ち、違います、聞こえました、はっきりと……」

『そうか? それならいい』

「あ、愛して、いただいていたのですか……」

『父親が娘を愛するのは、当たり前だろう』

「――っ!」


 その言葉に、思わず目から涙が溢れる。

 今まで一度も愛されていないと思っていた。


 だって一度も、そんな素振りもされたことはないし、一度も口に出されたこともない。

 これは本当にお父様なのか。


 偽物ではなく、本物で……その愛は本物なのか。


「お、お父様……」

『ん? ど、どうした歌織。なぜ泣いているのだ?』

「えっ、あ、すみません……」

『な、何か私がやったか? それとも何か面倒ごとに巻き込まれたか? 大丈夫だ、私が今からそちらに行く』

「えっ?」

『おい、この後の予定は全部中止にしろ。アメリカ大統領との会食? どうでもいい、後にしろ』

「ちょ、お、お待ちください! お父様! 私は大丈夫ですので!」

『本当か? 無理はしてないか?』

「はい……大丈夫、です」


 まさかお父様がこんなにも自分のことを想っているとは、本当に夢にも思わなかった。

 ずっと無関心な態度を取られてきた、というような印象しかない。


 だけそれは……全部、自分の勘違いだった?


『……ならいい。そういえば来週の土曜日の夕食だが、何を食べたい?』

「あっ……」


 言われるまで忘れていた……いや、意図的に遠ざけていたのだが、来週の土曜は一ヶ月に一度のお父様との食事会だった。


 毎回高級レストランとかで食事をしているのだが、いつも爺やとかに「ご主人様が何を食べたいかお聞きしたいようです」と言われていた。


 その度にいつも「何でもいいです、と伝えて」と言っていた。


 だが今回は初めて、こうして直接問いかけられた。


「その……なんでもいいのですか?」

『ああ、なんでもいいぞ。私が用意できないものはない』


 あの大企業東條院グループの社長だ、この世で用意出来ない食材など本当にないだろう。

 しかし……歌織は、特別なものは求めない。


 ただただ、娘として……。


「あの……お、お父様の、手料理を、食べてみたいです」

『っ……私の、手料理か?』

「は、はい」

『本当にそれでいいのか? どこの高級レストランでもいいのだぞ』

「いえ……私は、お父様の手料理が、食べたいです」


 子供の頃……何歳かも覚えていない時。

 まだ会社がそこまで大きくなく、家もあまり大きくない時だった。


 その頃にお父様が作った料理を、食べた覚えがある。

 どんな料理だったかも覚えていないが……美味しかったということは覚えていた。


 どんなに高級なレストランで美味しいものを食べたとしても、いまだに忘れていない。


 その時の料理を、食べたい。

 だが今とあの時じゃ、状況が違う。


 今ではお父様は先程も言ったが、数十秒単位で予定を組んでいる。


 そんな忙しい中、自分のためだけに料理を作る時間なんて、あるはずがない。


『ふむ、そうか……わかった、久しぶりに作るから上手く出来るかわからないが、私が作ろう』

「えっ……いいのですか?」

『もちろんだ。ただ、そうだな……私からも、一つ頼みごとがあるのだが、いいだろうか?』

「は、はい、なんでしょうか?」


 お父様からの頼みごとなんて、記憶にある限りほとんどない。

 どんなことを頼まれるのか、そう思っていたのだが……。


『歌織が作る料理も、食べてみたいのだが……いいだろうか?』

「あっ……も、もちろんです! ぜひお父様に、食べてもらいたいです!」

『……そうか、ありがとう。楽しみにしている』

「は、はい、私もです……」

『……すまない、そろそろ秘書が私を殺しそうな目つきで見ているから、切らないといけない』

「あ、そ、そうですよね。すみません、いきなり電話をして……」

『いや、大丈夫だ』


 最後に一言……歌織は、言いたいことがあった。


「あ、あの、お父様……」

『なんだ?』

「……わ、私も、お父様を、愛しております」

『っ……そうか、ありがとう』

「は、はい……ではまた、お食事会で」

『ああ、楽しみにしといてくれ』


 そして、電話を切った。



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