第7話 呪の本性

「つまり、今、陰陽道や天文道は、単なる学問から呪術的なものへの過渡期ということですか?」

 泰久はここから変わってしまうのかと気づく。

「かもしれないな。遣唐使が廃止され、大陸から新たな知識が入って来なくなったことも影響しているだろう。事実、今の時代でも上は新しい暦が必要かどうかさえ解っていない」

 晴明はやれやれと溜め息を吐く。

 八百年後まで宣明暦が使われていたということは、保憲の作っている暦が採用されなかったということだ。これだけでも憂慮すべき未来が待っているとしか言えない。

「難しくて、理解出来ないから」

 泰久もこの時代から変化があったとは思っていなかっただけに、驚いてしまう。そして、それだけ極めようとしているものが難しいことも知った。

 今日一日、三角形の斜辺を求めるだけで苦戦していては話にならないのだ。

「晴明。そろそろ仕事だ」

 と、そこに暦博士としての仕事に追われていた保憲がやって来た。そして交代だよと笑顔を向ける。

「承知しました」

 晴明はよいしょと立ち上がると、不機嫌な顔で部屋を出て行く。これからまだ仕事とは、本当にこの時代の陰陽寮は忙しいんだなと泰久は驚かされる。

「さて、今日は頑張ったかな?」

 横にやって来た保憲は、泰久が書き散らかした計算用紙を拾って眺める。計算間違いを果てしなく繰り返した後が残るそれに、泰久は恥ずかしくなった。

「初歩の初歩も出来ないんだって、痛感させられました」

「まあ、そうみたいだね。しかし、一日逃げないで頑張ったご褒美はあげなきゃね」

「えっ」

 それってと保憲の顔を見た泰久は、それが単純にご褒美ではないことを悟った。目の前にいる暦博士は、明らかに悪い笑みを浮かべている。

「ええっと」

「君が気にしている呪術的な一面を、観に行こうか」

「えっ!?」

 しかも保憲が言い出したことが予想外すぎて、そのまま引っ張って行かれることになってしまうのだった。



「ええっと、ここは何ですか?」

 保憲に引っ張って来られた場所は、大内裏の西側。それも不自然に広がる建物のない空間で、松が植えられた広場だった。人気がなく、嫌な予感がビシバシとやって来る。

「ここは宴の松原さ。昔から鬼や狐狸の類いが出ると噂だ」

「へっ」

 しかも、説明された内容が、嫌な予感を肯定するものだから驚いてしまう。一体こんな場所に連れてきて何をしようというのか。

「ええっと」

「しっ」

 喋ろうとした口を保憲に押えられてしまう。そして、ちょいちょいと先を指差してきた。

 一体何なんだと思っていると、松の影に晴明がいるのが解った。そしてその前には、ひざまづく人がいる。

「な、何ですか?」

「呪いさ」

「は?」

 ますます訳が解らない。こんなところで呪いの準備をしているってことか。泰久が首を傾げていると、晴明が目の前の男に命じる声が聞こえてきた。

「大納言様はこの間の処置では満足されていない。少々荒事になっても構わん。今日こそ決定的なことを起こせ」

 しかし、大納言という人に関することだということしか解らなかった。一体何をしようとしているのだろう。

「承知」

 男はそれだけで解ったようで、詳しくは問わなかったからますます解らない。


「やれやれ」

 一方、保憲と泰久がいることに気づいた晴明は、悪趣味なと溜め息を吐いていた。何だか泰久が現われてから、溜め息を吐く間隔が短くなっている気がする。

「まあ、下手な希望を抱かせなくていいか」

 だが、晴明としても憧れの眼差しが少々鬱陶しくなっていたところだ。ここで幻滅させるのもありだろうと思ってしまう。

「来たか」

 と、そこにこそこそとやって来る公達の姿があった。すでに袖の下を渡したあの公達の友人から、姫に関して良からぬ噂を吹き込まれたところだ。宴の松原を通って宿直から抜け出すつもりなのだろう。

「おいっ」

「ひっ」

 そこに晴明が無遠慮に声を掛けたものだから、公達は飛び上がるように驚いた。そして、目の前にいるのが晴明だと知ると、顔を引き攣らせる。

「大納言様はお前を認めていない。澪の君に何を囁かれたか知らんが、身を引くのが一番だぞ」

 晴明はありのままを伝える。それに、公達は舌打ちをし

「下賤の者が何を言い出すかと思えば、そんなこと、お前に解るはずがなかろう」

 と虚勢を張ってみせる。

「ふん。では、陰陽頭の言葉だとすれば」

 晴明は自分の言い分がすぐに聞き届けられるとは思っておらず、そう返した。それに、公達の顔色が変わる。

「ま、まさか」

「呪を請け負ったのは俺だ」

 そこに効果的に晴明がそう嘯く。それだけで公達を居竦ませるには十分だった。

「ぎゃあっ」

 そして次の瞬間、公達が悲鳴を上げる。腕にいつの間にか傷が出来ていた。

「諦めねば、このまま死ぬことになるぞ」

 にやりと笑う晴明の言葉はまさしく呪いだった。公達はひっと悲鳴を上げ、そのまま内裏の方へと転がるように戻っていった。



「い、今のは」

「呪いの正体さ」

「ええっと。つまり、言霊と物理攻撃、ですか」

 横から見ていた泰久には、先ほど晴明の命令を聞いていた男が、隙を見て公達の腕を短い刀で斬りつける様子がばっちりと見えていた。しかし、晴明に気を取られていた公達はそれに気づかなかったのだ。

「そのとおり。あれであの公達は呪われたと信じる。そのまま気を病むだろうね。となれば、付けられた傷の治りも遅くなり・・・・・・というわけだ」

 保憲は何でもないようにそう説明してくれる。

 では、呪いがそうやって作られるのだとすれば――

「手を下すことも、あるのですか?」

 確認しなくてもいいののに、泰久はそう訊ねていた。

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