彼と彼女 1
「だから、お粥の材料だけ買うから、余計なもの買わないの!」
「じゃこれは?」
「しょう油から味噌に変えただけでしょ!だから何でさっきからインスタントラーメンばっか取ってるの?」
スーパーの食品コーナーで、十分前からはずっと同じ会話が繰り返していた。
見た目からして、少女より頭一つ分も高い少年は、まるで妹を連れている兄みたいだ。
しかし二人のやり取りは、駄々をこねる息子とそれに困っている母親のようなものだ。
「全く……来た道でラーメン屋に入ろうとしたのはともかく、スーパーに入ったら変なものばかり取るなんて……子供じゃないんだから」
「ラーメンは変なものじゃない」
「はあ……」
目の前にいる、話の聞かない大きい子供を見て、少女——茉緒は指でこめかみを抑えながら深くため息をした。クラスメイトである成良のお見舞いに買ったお粥はちょっとした出来事で台無しになった。なので、茉緒は風邪を引いた友達のために、自分がお粥を作ると決めた。
それなのに……
「これはどう?」
「……豊原くん、お願いだからもうインスタントラーメンを取らないで」
このマイペースで、ラーメンしか目に入らない男子生徒に対し、さすがに気の長さに自信がある茉緒も、段々余裕が擦り減ってしまう。
奈名はもうちょっと落ち着けば良かったのに……
そう思ってはいるが、茉緒も茉緒で、成良のあの姿を見て一時パニックになったので、他人を言える立場ではないのだ。
成良の格好を思い出して、恥ずかしくてピンク色が茉緒の顔に這い登る。。
「どうした?顔赤いぞ」
「え?なん、何でもないよ」
京陽の顔に疑惑が映っているが、それほど気にする様子もなく、茉緒は一人でほっとした。
何とか京陽に計画通りの購買を戻せて、だいぶ食材が揃った時。
「そう言えば、あの短髪……」
と、京陽は切り出した。
「短髪?」
「たぶん先輩のあの人」
「……花玲先輩だね」
「人の名前をいちいち覚えられない」
「……」
自分や奈名と比べると、確かに花玲の髪は短い方だけど……
「じゃあ奈名のことはどう呼んでるの?」
「金髪」
「……私は?」
「黒髪」
「そうだけど……」
お年頃の乙女にとって、髪色だけで認識されるのは、複雑な心境になるものだ。
「ちなみに、私の名前は覚えてる?」
「お……お……美味しそうだな、これ」
「小野里だよ!小野里茉緒!それにインスタントラーメン取らないでって言ったでしょ!」
頬を膨らませて、半分呆れた口調で茉緒は念を押す。
「知り合いの名前ぐらいはちゃんと覚えた方がいいよ」
「……善処する」
どう見ても、善処する気はなさそう。お昼の一件以来、奈名を説得するために、成良は何度も茉緒に奈名のことを聞きに来た。その時は、大体京陽も付き添っていた。
そのため、茉緒もある程度京陽の性格を把握していた。一言で言うと、面倒くさがりだ。
「それで、花玲先輩はどうしたの?」
噂ぐらい茉緒も聞いたことがあるが、実際に花玲に会ったのは、今日は初めてだ。茉緒と京陽にも「花玲でいいよ」と言ったほど、思ったよりずっと親切で距離を感じない人だった。
「何だか金髪に似てるな」
「奈名と花玲先輩? ……言われてみればそうかもね」
「まぁ、僕は大抵の人も同じに見えるから別にいいけど」
「それはそれで良くないと思うけど……」
京陽の顔音痴をほっておき、茉緒は頭の中で奈名と花玲の外見を重ねる。
「でも、仲が良さそうね、あの二人」
「……」
「なのに、花玲先輩のこと、私は一度も奈名から聞いてなかった……少し寂しいね」
友達が自分の知らない他の友達がいるなんて、別に珍しいことではない。が、奈名の場合は、話が違う。長い間、自分が奈名にとっての唯一だと、茉緒は信じていた。
「あ、別に花玲先輩が嫌いわけじゃないよ!親切な先輩だと思ってる。ただ——」
「材料はこれでいい?」
「え?あ……うん」
「そう」
聞いているかどうかを疑わせるほど、京陽は平然と一パックの卵をカゴに入れる。話題を続ける気はさらさらないみたい。
だけど、それは彼なりの優しさだと気付いて、茉緒もそれ以上言わないことにした。
「なぁ、これ買っていい?」
優しさ……だよね?
またインスタントラーメンを手に取っている京陽を見て、茉緒は苦笑いをする。
「仕方ない、一パックだけね」
「ありがとうございました」
開いた自動ドアから、錆びたような機械音が流れた。
何度聞いても聞き慣れないなと、一瞬思った京陽だが、単なる家のパシリすら滅多にしない自分がスーパーを通う次数が少ないからだろうと、一人で納得できた。
そんなどうでもいい考えも、スーパーを出た同時に、あまり好きになれない秋風が吹いた。寒いと思いながら、突然の温度差でビクッと肩が跳ねた茉緒に京陽は声を掛ける。
「大丈夫?」
「大丈夫、スーパーが暖かかっただけ、へへっ」
にっこりと笑って、茉緒は手を組んで、二の腕をごしごし擦って温度を求める。
小動物みたいだなと、スーパーと繋がる商店街を眺めて京陽は思う。
そんな京陽の想像なんて知る様子もなく、茉緒の視線は京陽の右手に握られている、スーパーのロゴが印刷されてあるビニール袋に移る。
「それよりありがとうね、持ってくれて」
「別に」
正直、京陽は面倒いと思っている。だが、自分にとってそれほど重くない食材を、茉緒は大変そうに両手で持っているのを見て、忍びなく彼女からビニール袋を取り寄せた。
「そうだ、帰りが遅くなるって家に連絡しないと」
薄暗いになった空に気付いたのだろうか。成良の家へ戻る道を進みながら、茉緒はブレザーのポケットからスマホを取り出す。
SNSアプリを操作してメッセージを送っている茉緒を見て、京陽はあることに気付いた。
「そのストラップ……」
「ん?これがどうした?」
京陽の視線に沿って、茉緒はスマホにつけている白い猫のストラップを揺らす。
「昨日はなかったな?」
「え?よく気づいてたね」
茉緒は訝しげ顔が浮かぶ。そしてすぐ嬉しそうに京陽にひけらかして来る。
「今朝奈名がくれたの。奈名とお揃いだよ。かわいいでしょう?」
京陽は評価せずにをすくめる。その反応に少し失望しそうな茉緒だけど、特に引きずることもなく、続けて前髪を固定する髪留めを指さす。
「これもね。あとカバンにつける缶バッジも」
「多いな」
「うん、これは……友情の証……だと思う」
何故だろう。微笑んでいる茉緒なのに、京陽はどこか悲しそうに見える。
「豊原くんは、佐上くんが怖いって思ったことある?」
「成良?あるよ」
「え、本当?」
自分が聞きに来た割に、茉緒は随分驚いているようだ。
「ああ、以前あいつの家に行った時、キッチンの棚にあった……GODI○A?というチョコレートを食った。そしたらあいつはめっちゃくちゃ怒った。あれは怖かった」
「……聞いた私がバカ」
「本当だって」
「疑ってない……ちなみに、それは完全に豊原くんが悪かったよ」
「……何でこんなこと聞いた?」
「……時々、奈名が怖いって思うの」
夕食の時間が迫って、賑やかさが満ちる商店街に、隣にいる女の子を、京陽はいつもより小さく感じている。
「ううん、もしかしたら、奈名が怖いじゃなくて、私が怯えているだけ。奈名はいつか遠くへ行くのに…….怯えている」
「……」
「ごめんね、変なこと言っちゃった。忘れて」
一方的に聞かされて、今は忘れてって言われ、京陽はわがままだなと思った。
会話が中断となり、二人は静かに横並んで歩いている。
そして、赤信号を待つという、そう長くもない退屈な時間で、京陽は漫ろに口を開く。
「……『特別』だって言っただろう?」
京陽は奈名が屋上で言った言葉を思い出しながら言う。
「なら、君を大事にしてるじゃないか?」
「大事にしてる、か……うん、そうだね!」
「……」
笑顔を浮かばせた茉緒。だが、京陽でも簡単に見透かせるほど、あからさまな愛想笑いだった。
慰めは難しいなと、京陽も少し凹んだ。
「あまり深く考えるな、黒……小野里」
「……!」
言葉がみつからなくて、これしか言えなかった京陽だったが、名前を呼ばれた茉緒は何故かきょろんした。
そして、また笑顔を浮かばせる。今度は偽りのない、暖かい笑みだ。
「ありがとう、豊原くん」
「……」
慰めは、案外簡単かもと、とにかく結果オーライの気持ちで、京陽は手で後頭部を掻く。
だが、どうして茉緒はそこまで、奈名との絆に不安を抱えているだろう?
「京ちゃん〜」
「あ……成恵おばさん」
頭に疑問が浮かんだ。しかし、それは信号の向こうから手を振っている人物を認識したと同時に、京陽の脳内から消え去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます