夢見る海王星

夢咲香織(ユメサキカオリ)

第1話 序章

 海王星の上空に浮かんだメタンガス集積プラントの一室で、ワシリーは窓から眼下に広がる青い大気を見つめていた。まるで大海の様な目に鮮やかな青いガス体を見ても、ワシリーの心は晴れなかった。ワシリーは最新型のアンドロイドである。知性は申し分無く、人間と同じ様な感情さえも持ち合わせていた。人間に混じって働くからには、頭脳だけでなく、複雑な人間関係を円滑にこなすための感情機能も必要である、と設計者が考えたからである。最も、特別に感情を植え付けなくとも、高度なAIが人間観察に基づいて人々の感情を推し量るうちに、ワシリーにも自然に感情なる物が発生したのだった。



 そんな訳だから、アンドロイドと言えども気分が塞ぐ事だってあるのである。目下ワシリーを悩ませているのは、果たして自分には魂と呼べるものがあるのか? という疑問だった。事の発端はメタンガスの収集中の事故だった。プラントから小型の宇宙船に乗り込んだ若い技師は、液体マントルのメタンを収集機で吸い込むのだが、収集機の取り扱いを間違えて、小さな爆発を起こしてしまった。その爆発で宇宙船の窓が割れ、船内の急激な気圧低下による血圧上昇で、死亡したのである。



 プラントでは急遽技師の葬儀が執り行われた。勿論ワシリーも参列したのだが、その時思ったのである。葬式というものは、亡くなった者が死後安らかに眠れるようにするための祈りの儀式である。だが一体何が安らかになるのか? 既に肉体は生命活動を停止しているのであり、葬儀の後は焼却されるのであるから、肉体の安らぎは関係ない。司祭の言う、霊だとか魂とか言うものの安らぎを願っての事と捉えるのが、やはり妥当である。だが、誰も魂など見た事が無いのだ。それでも人は魂の存在を信じているらしい。太古の昔より人類は魂の存在を信じてきた。では自分は? アンドロイドである自分にも、魂はあるのだろうか? あるとすれば、どうやって確認すれば良いのだろう?



 そんな事を考えている内に葬儀は終わり、同僚のキリーが話しかけてきた。キリーは角ばった顔に明るい金髪、抜けるような青い眼をした、陽気な中年男である。


「何をそんなに深刻そうな顔してるんだ? 事故は確かに悲しいが、こんな辺境のプラントじゃ、たまにあることだろう? 大体お前さんにゃ、死なんて物は理解出来ないだろう?」


そう言ってキリーはカカカ、と笑った。


「お言葉ですがね、私にだって死位分かりますよ。それが悲しい物だということもね。ですが、私が今考えているのは、悲しみについてでは無いんです」


「ほう……じゃあ、一体何について考えてるんだ?」


「……魂ですよ」


「魂!?」


「そうです。人間には――人間だけじゃない、動物にさえ、魂はあると皆さん言いますよね? だったら、アンドロイドはどうなんでしょうか? 私にも魂はあるんでしょうか? あるなら、どうやって確認すれば良いんです?」


ワシリーは一気に捲し立てた。


「悪いが、アンドロイドには魂は無いんじゃないか? 生物じゃ無いんだからな」


「やはり、そうでしょうか?」


「分からんが、多分な。TVに魂があるとか、誰も思わんだろう?」


「失礼な。私とTVを同列に扱うとは!」


「すまん。例えだよ。しかし、魂があるかどうかなんて事が、そんなに重要なのか? お前さんは今まで十分役割を果たしてきたし、それじゃ駄目なのか?」


「ええ、まあ――そう言って頂けると嬉しいですが、やはり魂が無いとなると、何と言うかこう――自分が不完全な出来損ないの様な気がして」


「魂があっても、出来損ないみたいな人間も山ほど居るがな。まあ、あんまり気にするな。お前だっていつか、死――いや、壊れる時が来る。その時に分かるんじゃないか?」


キリーはそう言うと、ワシリーの背中を叩いて葬儀会場を出ていった。



 その後、ワシリーは自室へ戻り、先程も言ったように窓から外を眺めて塞ぎ込んでいたのである。ワシリーは人間以上を目指して作られた高性能アンドロイドである。作業員としても、またその存在の希少価値に於いても、通常の人間より優れている――密かにそんな自負を抱いていたのだ。それが、魂が無いという一点の曇りによって、足元からガラガラと崩れていくような気がした。勿論キリーが言った様に、メタンガス収集作業員としては、魂があろうが無かろうが関係ない。的確に作業をこなし、業績を上げさえすれば誰も文句は言わないだろう。だがこれは、彼の存在に対する哲学的安心感に関わる事なのだ。



 自分とは一体何者なのか? そんな疑問は人間だって抱く。ある者は職業上のアイデンティティーに答えを見出だし、ある者は子孫を残す事に生物的意味を見出だす。ワシリーには職業上のアイデンティティーは既にあるが、それだけで満足出来るほど、彼は凡庸では無かった。

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