34 後輩は俺の帯をもって時代劇で悪代官がお女中にやるみたいのをやりたいらしい
美沙緒さんは隣のブランコにかけると、
「先輩はふつうにTシャツジーパンなんですね。なんか損した気分」
と、いたずらっぽい笑顔になった。
「損した気分って……だって俺の浴衣需要ある?」
「大ありですよ。先輩の帯をこうもってですね、ぐるぐるぐるーって時代劇で悪代官がお女中にやるみたいなのやりたいです」
それは立場が逆だと思うが、そういうことを言うと美沙緒さんに変な期待をされそうなので、とりあえず黙る。
話題を探す。美沙緒さんは、髪を可愛いアップスタイルにしている。
「髪、結ってもかわいいね」
「そうですか? 浴衣とか和装のときは髪は結うものなので、特に何の考えもなく結っただけですよ」
「そうなの? ずっとその髪型でもいいけどな」
「えへへ……先輩はうなじフェチなんですね」
そういうことじゃないんだけど、まあそれでもいいか。
「あの遊具のてっぺんから花火すごくきれいに見えるらしいよ。……ジャス子先輩も九条寺くんもなかなか戻ってこないな」
「そうですねえ……どっかのやぶに隠れてて、わたしたちがキス顔したとこで『ドッキリ大成功!』って出てくるんじゃないんですか?」
「やぶに隠れたら確実に蚊に刺されるよ。公園の内側は蚊なんてそんなにいないけど」
ていうかキス顔するつもりだったの、美沙緒さん。でもこれ以上のキスに最適なシチュエーションが思いつかない。急にドキドキしてきた。
ちなみに俺のファーストキスは小学一年生のときに、親戚の家で元気なオスの大型犬に押し倒されて顔面をべろべろなめられたのがファーストキスである。いやそんなドッグフードの味のするキスはファーストキスにはカウントしない気もするが。
キスの味ってイチゴとかレモンとか言うけどそういう味はしないよな。夕飯のコンビニ弁当の味だ。きょうは日曜なのでかろうじて親が家にいて、でも二人ともグッタリしていたので俺が暑い中コンビニ弁当を買いに行ったのであった。
「ジャス子先輩どこまでかき氷買いに行ったんだ? 並んでるのかな?」
「さあ……あの、先輩、」
「……なに?」
「好きです」
妙にハッキリと、その言葉が聞こえた。
「その好きっていうの、俺をおもちゃにしてなにかしたい、っていうのじゃなくて?」
「はい。先輩が、好きです」
「俺も、美沙緒さんが、好きだ」
ブランコから、右手をそっと伸ばす。美沙緒さんは、その手を掴む。ただ手をつなぐんじゃなくて、指を絡めた恋人つなぎにする。
静かにブランコから立ち上がって、ぎゅっと抱き合う。美沙緒さんの体温が伝わってくる。心臓の鼓動、呼吸、ぜんぶぜんぶわかる。
「美沙緒さん。本当の本当に、付き合おうか」
「はい。特別な、似合いの二人に、なりたいです」
恋する、ってこんな気持ちなんだ。すごく幸せな気分だった。このまま、美沙緒さんを頭からかじって、飲み込んでしまいたいほど、美沙緒さんが可愛いと思えた。
「ねえ美沙緒さん……なんで、きょうはそんなに正直なの?」
「わかりません。浴衣花火マジックというやつですね」
そう言ってまた、ぎゅっと美沙緒さんを抱きしめる。髪からほのかに整髪料の匂いがする。そっと離して、そっとキスをする。
特にキスに味はなかった。強いて言うなら、歯磨き粉の味だった。
二人、照れくさくて、互いの顔を見ていると、向こうからジャス子先輩の蛍光ピンクの浴衣が見えた。ブランコに戻り、平静を装う。
「あれーせっかく二人っきりにしたのになんもなかった?」
そう言いながらジャス子先輩はかき氷を配った。ジャス子先輩のぶんと九条寺くんのぶんは、九条寺くんが持っていた。
「なんもなくないですよ、手をつないでみました」
美沙緒さんが笑顔で言う。ジャス子先輩はアハハと笑って、
「そりゃ大進歩だー。あんたらじれったいからねー」と、レモン味のかき氷をしゃくりと食べた。俺のはイチゴ味で、美沙緒さんのもイチゴ味。まあお祭りの出店のかき氷なんて、シロップは色と香りだけで実際にその味がするわけじゃない。
九条寺くんはブルーハワイのかき氷をおっかなびっくり食べている。どうやらお祭りの出店でなにか買って食べるというのが初めてらしい。
そのとき、どーんと音がして、花火が上がった。ブランコからもよく見えた。ジャス子先輩は慌てて遊具のトンネル山によじ登って空を見上げる。
「都会の人ってさ、なんだっけ……『たまやー』とか『かぎやー』とか言うよね」
「そうですね、東京の人って花火大会観てると言いますよね、たまやとかかぎやとか」
「あれって江戸時代の花火職人のことらしいですよ。江戸は粋の街ですから」
美沙緒さんが真面目な口調で説明してくれた。やっぱり美沙緒さんは知的なひとだ。
「東京かあ……」九条寺くんがつぶやく。
「じゃあウチも専門学校行って東京で暮らすようになったら隅田川花火大会で元彼と『たまやー』って叫んでみよ」
ジャス子先輩は明るい顔でそう言い、その横顔が花火に照らされている。
花火は、空に元気よく上がる。
俺たちは、花火を見上げ、明るく笑いながら、そのきれいな一瞬のきらめきを見つめた。
その花火は、夏の夜空に、夢のように輝いていた。
俺たちの未来は、きっと幸せだと、信じるに足りる花火だった。
――花火大会はわりとあっさり終わった。予算がなかったらしい。いつメンは解散することになった。ジャス子先輩は明日から演劇部の全国大会で東京。九条寺くんは弦楽部の秋の発表会に向けて練習。高校生というのは忙しい。暇なのは将棋部だけだ。
「……冷風扇せっかくつけてもらったし、俺らも部活する?」
「そうですねえ……日下部先生がせっかく買ってくださったんですし。いいと思います。……白河先生、学校に来てらっしゃるでしょうか」
「どうだろう。なに、指導してもらうってこと?」
「はい! 来年は部活の新人勧誘頑張って、大会行きましょうよ!」
「俺らじゃ初戦敗退だと思うよ……」
「まあ、思い出作りということで!」
俺と美沙緒さん以外だれもいない公園で、俺は美沙緒さんに声をかけた。
「……あのさ、美沙緒さん、」
「なんですか?」美沙緒さんは明るい調子で反応した。
「もう一回、キスしていい?」
「いい、ですよ」
美沙緒さんの手をそっと取る。そっとキスをする。柔らかい唇の感触が伝わってくる。ああ、俺はこの美沙緒さんという人が心の底から好きなんだ。
それが分かっただけで、俺は、嬉しかった。ときどきすごいことを言っておもわず噴いたり噎せたりもするけれど、この美沙緒さんという人を、俺は守らねばならない。彼女を傷つけるすべてのものから、美沙緒さんを守らなければならない。
そっと唇を離す。美沙緒さんは顔を赤らめていて、それを公園の街灯が照らしている。
「――じゃあ、明日部活で」
「はい。それじゃあ――また明日!」
そこで俺は美沙緒さんと別れて、帰り道を歩き始めた。とても満足していた。もしかしたら、俺と美沙緒さんにキスさせるために、ジャス子先輩は九条寺くんを連れてかき氷を買いに行ったのかもしれないな、と思ったけれど、そんなことはどうだっていい。ジャス子先輩は、俺と美沙緒さんを進展させるために、俺を煽っていたのだ……。
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