3 後輩は俺を嚙み嚙みして舐め舐めしたいと考えているらしい
美沙緒さんは自分を「スケベニンゲン」と言った。そんなこと打ち明けられても困るし、そもそも「スケベニンゲン」というのは地名だ。
「わたし、気持ち悪い人間なんです。先輩を見て、変なことずーっと考えてるんです。何を聞いても変なことに変換しちゃうし、頭の中はだいたいピンク色で……我慢したいんです。変なことを考えたくないんです。でも、考えちゃうんです」
「……まあ、実行に移さないなら、俺を妄想のネタにしても別に構わないよ?」
俺がそう言うと、美沙緒さんはしくしく泣き始めた。困ったな、だれか助けに来ないだろうか。白河先生が助けに来てくれればなんとかなりそうだと思ったが、しかし美沙緒さんはそんなこと望んではいないだろう。
「ずっと、ずっと、かなり具体的に下品なこと考えてて。先輩のくちびるを噛み噛みして舐め舐めしたいとか、先輩の童貞を奪って処女を喪失したいとか、そういうことばっかり考えてて」
俺は何も飲んでいないのに噎せた。
かなり具体的なこと、と言われて覚悟していたが、まさかそこまでとは。
「……とりあえず落ち着こう。……梅仁丹食べる?」
俺はポケットから、気分転換したいときにフリスク替わりにぽりぽりしている梅仁丹を取り出した。美沙緒さんの白い手にかっかっと二粒ばかし落とす。
美沙緒さんはそれを口に放り込み、もぐもぐ口を動かしてから、
「先輩は、そういう目で見られてるの、いやじゃないんですか?」
と訊ねてきた。
「そりゃ……嬉しくはないけど、なにを考えるのも個人の自由だし。人の口に戸は立てられぬって言うだろ、それと同じで俺が他人の考えてることを変えることはできないよ」
「……じゃあ、ずっとえっちなこと考えてても、いいんですか?」
「そうしたいなら。でも自分で嫌だと思うから打ち明けてきたんでしょ? そうでもなきゃ言わないよね、あんなすごいこと」
「それは、……そうですけど。嫌です、すごく嫌です。先輩みたいな素敵なひとを、そんなふうに認識してるの、自分でもすごくすごく恥ずかしいんですけど、止められないんです」
「俺のどこが素敵なわけ?」
いちばんの謎はそこだ。なんで美沙緒さんは俺に惚れてしまった、いや、俺を性的な目で見ているのか。美沙緒さんは俺の顔を見て、子供みたいに唇をぎゅっと噛んだあと、
「先輩、『一年生を迎える会』の部活紹介で、すごくかっこよかったから」
と、小声で言った。
うぐ。
できれば黒歴史として忘れておきたいことを言われてしまった。今年の「一年生を迎える会」で、俺はたった一人ステージに上がり、「ご覧の通り将棋部は現状将棋を指せません! 入部お待ちしてます!」と、若干やけくそ気味に言って、学校中の失笑を買ったのだった。
そして学校中の失笑を買ったうえに、先輩三人に叱られたのだった。先輩たち、将棋部に来ないじゃん……と、理不尽だと思いながら、先輩三人のお説教を聞き、顧問の先生からは「いくらなんでも実情オープンしすぎじゃないか」と心配されてしまった。
「あれのどこがカッコよかったわけ?」
「だって、みんなの前でたった一人で思ったこと言うの、すごいなあーって思って。ほかの部活は何人かでコントとか競技のテクニックとかやってましたけど、先輩は一人でぜんぶやったんですよ。すごいじゃないですか。あんなかっこいいひと初めて見ました。それで、入部して近づいてみたら、すごく優しくて、いろんなこと丁寧に教えてくれて、それですごく好きになっちゃって、でもわたし口からうっかりいろんな変なことダダ漏れにして、嫌われてるんじゃないかなって思って、だからやめたいんです、変なこと考えるの」
美沙緒さんは真剣な口調で言った。この問題は、一見すると馬鹿馬鹿しく感じるが、美沙緒さんにとってはとても重要で真面目な問題なのだ。俺はそれに真面目に応えねばならない。
「やめなくていいんじゃないかなあ。えっちなこと考えちゃうのはそんなに悪いことなの?」
「……なんで、ですか?」
「保健室の白河先生が言ってた。男子でも女子でも性欲があるのは普通だって」
美沙緒さんは顔を赤くして、
「性欲ってレベルなんでしょうか、具体的な行動まで考えちゃうの。あ、や、もちろん実行には移さないですよ、それくらいの常識はあります」と、そう答えた。
「それならぜんぜん普通の性欲の範疇なんじゃないの? 俺もツイッターでえっちなイラスト流れてくるとそのアカウント遡っちゃったりするよ?」
「あ、わ、わかりみ……! 無限に遡りますよね、そういうの。ぜんぜん知らないキャラクターでも見ちゃいますよね、えっちなイラスト」
「それからネット見てれば広告のエロ漫画の内容が気になるし、河原歩いててエロ本落ちてたらちょっと見たくなっちゃうし、ぜんぜん普通だよ。性欲があるなんて」
美沙緒さんは恥ずかしそうに俺を見上げると、
「これからも、性的な目で先輩見てもいいですか……?」
と、あらぬことを訊ねてきた。
「構わないけど、実行に移すのはナシだよ」
美沙緒さんはとろんとした表情で、嬉しそうに顔の筋肉を弛緩させた。
「よし、でもそればっかり考えてたら将棋は指せないからね。将棋、指そうか」
「はい!」
その日は美沙緒さんに二連勝した。美沙緒さんは二歩と、大駒が取られることに気付かないという単純ミスで負けた。ミスの理由は注意力散漫という気がする。
「うぐうー……」美沙緒さんは悔しい顔をしている。
「部室にある本はどれでも持っていって大丈夫だから、好きなの借りてきなよ。これお勧めだよ、分かりやすくて」
と、入門書に分類される、有名な棋士の先生が書いた本を渡す。結構古い本だ。
「ありがとうございます。それから詰将棋の本あります?」
「あー、これ面白いよ。簡単な一手詰めがいっぱい載ってる」
また別の本を取り出して渡す。子供向けの詰将棋の本だ。こちらはまだ新しい。
「わあ、ありがとうございます。いっぱい勉強するぞー」
美沙緒さんは嬉しそうにそう言い、可愛いリュックサックに本を押し込んだ。
そのはずみで、美沙緒さんのリュックサックから文庫本がばさりと落ちた。中でこすれた結果、布製のブックカバーは外れている。そのものズバリ、「エルフの村を焼いて美少女エルフをいじめる話」。
美沙緒さんはそれを見てしばらく固まったあと、
「……こういう本読んでるので、こういう体質になるんですよね」
と呟いた。表紙には手首を縛られた、かなり露出の激しいエルフの少女。この間の、女戦士が拷問されてるのも相当だったが、こっちもかなり猥褻そうだ。
「その理屈で行けば俺はすっげえ将棋上手いはずなんだけどな。本を読んだくらいじゃその本みたいな人間にはならないと思うよ? ほら、残酷なゲームを子供にやらせると悪い人間になるとかいうの、科学的根拠はないってネットニュースで流れたわけだしさ」
「じゃあ、わたしはそもそも人格がヒワイなんです?」
しまった、そっちに切り替えてきたか。俺は少し悩んで、
「誰でもきっと当たり前なんじゃないの? 美沙緒さんはちょっと方向性が激しいだけで」
と、ぎこちない笑顔を作った。すると美沙緒さんは爽やかな笑顔になった。
「そうですよね! 先輩とセッ●スしたいって思うくらい普通ですよね!」
いやそれそんな爽やかな笑顔で言うこと? しかも美沙緒さんはすっごい美少女なので、爽やか笑顔の爽やかなことが尋常でない。まったくもって、そんなSで始まってXで終わる単語を言っているとは思えない顔だ。
「……えっちなことばっかり考えてないで、ちゃんと詰将棋解きなよ?」
「はい! きょうはずっと先輩を見てえっちなこと考えてたから負けちゃったんですよね。明日は盤に集中します」
「あ、あとできれば元のむっつりスケベ体質に戻って、できるだけそういうこと口に出さないでくれると、こっちも動揺しないで済んでありがたいんだけど」
「そうですか、そうですよね。オープンスケベよりならむっつりスケベのほうがまだ人格的にマシですよね。それじゃあ、また」
そう言って美沙緒さんは帰っていった。
その、ちょっとスキップする後ろ姿を、俺は呆然と見送った。
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