第89話 何故詩織さんなの?
旅館に着くと、お父さんは矢野先輩の肩をポンポンと叩いて
「後でな」
そう言って中へと入って行った。
お父さんは一体先輩のどんな表情を見たのか分からない。
でも問い詰めないところは幼馴染であり、
また親友でもある大人な二人なんだなと思った。
心が通じ合ってるようなそんな感じだった。
でもお父さんが旅館の中に入って行ったのとすれ違いで
詩織さんがバタバタと中から走ってきて、
先輩の所へと行ったかと思うと、
先輩の頬をバチーンと派手に叩いたので僕は度肝を抜かれた。
すぐさま彼らの所に走っていくと先輩の前に立ちはだかり、
「頬をはたくなんてひどいじゃないですか!」
と僕は詩織さんに食って掛かっていた。
「陽一君、ここは彼らに任せよ?」
城之内先生がそう言う傍ら、
「陽一! 早く来い!」
とお父さんが旅館の中から叫んだ。
僕はお父さんと先輩を交互に見合わせると、
唇をかんでお父さんの方に走って行った。
「どうして止めるの?
先輩の事叩くなんて、詩織さん酷いじゃない!」
そう言うと、
「これは二人の問題だから、
お前が口を出すんじゃない!」
とまたお父さんに怒られてしまった。
確かに僕には関係のないことだろうけど、
いくら何でも自分の婚約者をはたくなんて!
僕には納得できなかった。
確かに先輩は詩織さんに心配は掛けたんだろうけど、
頬をはたく程かな……?
僕はチラチラと先輩の方を振り返りながら
お父さんの後をついて行った。
そうしたら、詩織さんが先輩に抱き着いて
泣いているような態度になったので、
“雨降って字固まるなのかな……”
とぽつりと思った。
きっと彼女は本当に先輩の事が心配だったのかもしれない。
部屋に戻ると、今度はかなちゃんが鬼の形相で僕の事を待っていた。
「陽ちゃん! 洞窟に行くんだったら、
一言言っていきなさい!
潮が満ちたら戻れないって言ったでしょ!
せっかく海に来たのに洞窟に丸一日トラップされるところだったでしょ!
本当に…… あの小学生たちと会話をしていてくれたことが不幸中の幸いだよ!」
「小学生たち?」
「そうだよ。
城之内先生から陽ちゃんの姿が見えないって言われたときは度肝を抜いたよ!
探しまわっていたら、小学生たちが数人、
砂浜の方から歩いてきたから色々と話を聞いたら、
陽一みたいな子に洞窟のありかを教えたって教えてくれたんだよ。
多分洞窟じゃないかなとは思ったけど、
あの辺りは潮の流れが速いらしいから、
もしかしてトラップされて自分で泳いで帰ってこようとしてたらって
もう、気が気じゃ無かったよ!」
そう言って頭をげんこつでゴン!とやられた。
その時僕はボンヤリと、
“そうだったのか~
泳いで帰ろうとしなくてよかった……
もしあそこに先輩が居なかったら、
本当に泳いで帰ろうとしてたかも……
そうしてたら今頃僕は土左衛門?”
などと考えていた。
「ほら、朝食取っておいてもらってるから、
先輩と一緒に食べに行っておいで!」
かなちゃんに怒られ、怒られ食堂に行くと、
先輩と沙織さんもそこに一緒にいた。
今一番会いたく無い人だった。
「陽一君! 君の分ももらってきてあるから、
ここにおいで!」
“げっ……マジですか?!”
先輩にそう言われ、隣に座る詩織さんを見て少し躊躇した。
でもここで断ると変かもしれない……
そう思って、先輩の前に座った。
先輩の頬はさっき叩かれた跡が残っていて、
まだ少し赤かった。
詩織さんは何も言わずに、
少しむくれたようにして先輩の隣に座っていた。
「あの……今朝はご迷惑をおかけしてすみませんでした……」
僕は精一杯の誠意でお詫びをしようと思った。
でも彼女は、
「何故あんな早くから、あなたと浩二さんが一緒にいたの?
もしかして私の知らないところで二人、会ってる?
浩二さんは偶然にあったって言ってたけど、
本当は二人示し合わせて夕べから一緒にいたんじゃないの?」
と、浮気を疑われだしてしまった。
「そんな……
本当に先輩とは今朝、偶然に会ったんです!
洞窟に閉じ込められたのも本当に偶然で……!」
僕が先輩に助けを求めるためにチラッと見ると、
「詩織さん、陽一君は関係ないでしょう?
僕たちの問題に彼を巻き込まないで。
僕たちが会ったのは本当に偶然で、
浮気を疑われるなんて本末転倒なんだけど……」
と、スパッと彼女に言ってくれたので、
詩織さんはその後は何も言えなく、
先輩の横におとなしく座っていた。
その時僕は初めて詩織さんの左手薬指に光るダイヤを目にした。
“あれが先輩が彼女にあげた愛の印なんだ……”
そのダイヤが彼女の
“彼は私のものよ”
と主張している様で、僕は彼等からサッと目を逸らした。
泣きたくなるのを死ぬほど我慢して僕は朝食を終えた。
そ後僕たちは、
食堂の係の人に丁寧にお礼を言って、
「後で海に行くときに」
と先輩と別れた。
部屋に戻ると、
「陽一、朝はお疲れだったな」
と智君がからかったようにして突っかかってきた。
「ほんと、散々だったよ!
まさか海の水が満ちてることに気付かなかったなんて、
前代未聞だよ!
かなちゃんとお父さんには雷落とされるし、
せっかく清々しい朝でスタートしたのに、
もう帰りたいよ……」
そう言うと、
「まあ、そう言うなよ。
でもな、陽一がいなかったときの城之内先生は見ものだったぞ?」
と智君が今度は話の矛先を城之内先生に移した。
でも彼は落ち着いていて大人で、
「そりゃあ、僕の監視下にある陽一君が朝一番に居なくて、
何処に行ったかもわからなければ、そりゃあ慌てるでしょう?」
ともっともなことを言っていた。
心配掛けて凄く悪かったなと思ったけど、
洞窟で僕を見つけたときの慌てっぷりは話さないでおこうと思った。
「でも愛里は凄いな。
あいつ、彩香と温泉完全制覇したらしくってさ、
お前の事探すのにどこかの温泉に居るかもしれないって
全部を回ったらしいぞ?
かなりの数の温泉があるのにな。
誰が一人で朝早くから温泉に入るかって?
あいつ、ほんと面白いな。変なとこに気合入ってるよな」
と笑っていた。
「海岸へは10時に繰り出すらしいよ?
陽一君は少し休んでから来る?
それともみんなと一緒に来る?
お父さんがパラソルの駆り出しをしたって言ってたから、
その下で休んでても良いよね」
城之内先生にそう言われ、
「多分、かなちゃんはパラソルの元で荷物番だろうから、
僕も暫くそこで休んでおく」
そう言って僕たちは海岸へ行く準備をした。
海岸へやってくると、お父さんが先輩と3つのパラソルを組み立てていた。
「かなちゃんは荷物番?」
僕がそう言ってかなちゃんの隣に立つと、
「そうだよ。
個々が僕のパラソルだから、
なにかここに置いておくものがあったら置いておいてね」
と言ったので、
「いや、僕ちょっとここで横になってるよ。
夕べよく眠れなかったから少し太陽がまぶしいんだ……」
そう返すと、サングラスをはめて、
かなちゃんが座ってる横にタオルを敷いて寝転んだ。
皆んなはもうすでに海へ繰り出し、
ギャーギャーと騒いでいる。
目を閉じて暫くすると、
「ねぇ、陽ちゃん、起きてる?」
とかなちゃんが声をかけてきた。
「うん、目を閉じてるだけで、
意識はちゃんとあるよ?」
と答えると、かなちゃんは急に、
「あのさ、これって、本当に先輩が望んだ結婚だったのかな?」
と言い始めたのでびっくりした。
「それ、どういう意味?」
「ほら、電車でも話したけどさ~
先輩と詩織さんが結婚の挨拶に来てくれた時に感じたんだけど、
先輩、何だか詩織さんの鎖につながれてるって感じで……」
「意味わかんないんだけど……?」
僕は更にこんがらがってしまった。
鎖につながれてるって……どういう事?
「あのさ、先輩って結構自分の意志が強いんだけど、
詩織さんのなすがまま?
陽ちゃん、そんなとこ、感じたりしなかった?」
僕はどちらかというと二人を避けてたので良く分からない。
「ん~?」
と考えていると、
「あんなに運命の番にこだわってたのに……
こんなに潔く諦めるなんて変じゃ無い?
何か一言相談があっても良さそうなもんだったのに、いきなりだったじゃ無い?
何故急に詩織さんなんだろう?
どっから見ても、先輩が詩織さん好きな様には見えないんだよね~
勘違いって事もあるけど、詩織さんを運命の番って感じてる風でも無いし……
詩織さんは先輩にゾッコンっぽいけど……
おかしいと思わない?
妊娠でもさせたのかな?
でも先輩がそんなドジするとも思わないけど、
コンドームに穴開けられてたりとか?」
かなちゃんがそう言った途端に、
詩織さんならやりかねない……と思った自分が少し恥ずかしかった。
でもその後続いて、
「でも妊娠してるような感じでもないんだよな~
マインドコントロールでもされたのかな~」
と凄く不思議がっていた。
それくらい、かなちゃんには、
先輩はこの結婚には乗り気ではないように見えたようだ。
じゃあ、何故婚約したんだろう?
僕の先輩に対するなぞは益々深まっていった。
そしてお父さんとパラソルを立て終わって2人で立つ先輩を見て、
僕の心はモヤモヤとした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます